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15・父親②

 出された夕食の主役は、鳥肉を小麦粉の皮で包み焼きにして、甘酸っぱい野イチゴのタレをかけたものだった。

 隣国発祥の料理で、国境に近いバグローヴィ辺境伯領でも定番だ。

 実家ではお父さまが狩ってきた野鳥の肉を使う。

 野鳥の肉は赤いので、小麦粉の皮の中も外も真っ赤だ。

 この家の淡白な白身の肉のほうが好きな味なのに、内臓の後味が残る濃厚な野鳥の赤身が恋しくなる。

 隣に座ったお父さまが、わたしを見て苦笑した。


「辺境伯領が懐かしくなったんだろ」


 発酵させた黒パンのジュースを入れた杯を卓上に置き、太い指で濡れた目元をぬぐってくれる。ちょっと潤んでしまっていたのだ。

 わたしの膝に座っていたカルルも、心配そうに見上げてきた。


「イオアニャ、嫌いなものあった?」

「ううん、大丈夫。お父さまの言う通り辺境伯領が懐かしくなったの」

「くだらないことしてないで、帰ってくりゃいいだろうが」


 お父さまの言う『くだらないこと』は、男性の体になって武竜学院に通うこと。

 あんな男ばっかりのところで女だと知られたらどうすると、ものすごく心配してた。

 イオアンが、お父さまが婿養子に入る前の子どもという設定も気に食わないのだ。

 下町で暮らしていた子どものころ、お父さまは近くの礼拝堂に訪れたお母さまを偶然目撃し、恋に落ちたという。

 お母さまもわたしと同じ武竜バカだから、各地の礼拝堂に保管されている武竜を見て回っていたのだ。わたしもユーリイ国王陛下と婚約してなかったら、お父さまにおねだりしてラヴィーナ王国全土の礼拝堂を回っていただろう。

 初恋を実らせたお父さまに申し訳ないとは思うけど、


「……帰らない」


 わたしは首を横に振った。

 だって武竜祭はまだ先だし、ユーリアからの連絡もない。

 国境近くの辺境伯領に帰ってしまったら、彼女になにかあったとき駆けつけられない。

 お父さまは溜息をついて、黒パンのジュースの残りを飲み干した。黒パンのジュースは少しシュワシュワしていて、お酒の成分が入っている。なのでわたしと子どもたちは、癖のない白樺のジュースを飲んでいた。


「閣下、お代わりはいかがですか?」

「ありがとう」


 赤ん坊を抱いている妻の代わりに、甲斐甲斐しく給仕するダヴィートのお父さんを、お父さまは見つめる。


「……あんた、隣国リョートにいたころは貴族だったんじゃないのかい?」

「わかりますか?」

「ああ。成り上がりの俺なんかより、立ち居振る舞いが綺麗だよ。ダヴィートもだ。どんなに取り繕ったところで、生まれ育ちは出ちまうもんだからな」

「王宮の近衛騎士だったんです」


 ダヴィートのお父さんは、あっさりと答えた。

 隣国で革命が起こって貴族が処刑されたとはいえ、ここはラヴィーナ王国だ。

 何年も前に亡命してきた家族を処刑するために押し寄せてくることはない。

 リスのようにほっぺを膨らませていたアントンが、口の中身を飲み込んで唇を開く。


「かーちゃんがスケベな王さまに狙われたから、逃げてきたんだよね?」


 話を振られて、彼の隣のダヴィートが無言で頷いた。

 スケベな王さま──隣国の王のことは聞いている。彼は愛人と結婚するため、他国の王家から娶った妃を不倫という冤罪で処刑し、幼い王子を塔に監禁した。王子が塔から落ちて亡くなった後は、跡取りを求めて次々と愛人を取り換えた。最後には結婚すらせず、愛人だけを増やしていった。

 彼女たちにかかる費用で、ただでさえ貧しかったリョート王国の財政は破たんした。

 妃を殺したことで、他国からの援助も受けられなくなった。

 生活に苦しむ国民たちによる暴動が相次ぎ、遂にはそれが革命となったのも無理のないことだったのかもしれない。

 革命が起こってすぐ、隣国の王は暴政の罪で処刑されている。

 妻と違って冤罪ではないだろう。


「守るべき民を見捨てて逃げ出すなど、情けない男だとお思いでしょうね」

「いいや。人間は自分の手が届くところまでしか守れない。俺だって嫁が危なかったら、なにを置いても逃げ出すさ。子どもだって心配だしな」


(小僧がマリッサ姫を嫁とは偉そうに。マリッサ姫は嫁になど行ってない。お前が婿に来たのだ)

(……炎の竜王(ザート)、そういう話じゃないから)


 婿養子は大変だなあ。


「イオアニャ!」

「なぁに、カルル」

「おえ、小っちゃくした」


 見ると、カルルがお皿の上の鳥肉を小さく千切ってくれていた。


「あーん」

「ありがとう、あーん。……もぐもぐ、美味しい」

「良かったー」


 鳥肉を美味しくいただいた後、わたしは野イチゴのタレで真っ赤になったカルルの指先を布で拭いてあげた。

 ダヴィートも同じように、アントンや双子たちの顔や手を拭いている。

 昔から弟妹に憧れていたけれど、これだけいたら大変だなあ。

 アントンと双子は、ものすごい勢いでお代わりをしている。

 ダヴィート自体も隙を見て食べていた。

 うちのお父さまはもちろん、ダヴィートのお父さんもなんだかんだで食べている。

 これだけの人数がこんなに食べていたら、面倒ばかりかける隣室の同級生なんてお芋一袋で売り渡されそうになっても仕方がないわね。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「イオアンナ」


 夕食を終え、わたしとお父さまは帰路についた。

 お腹いっぱいになったカルルが眠ってしまったので、別れの挨拶ができなかったのが寂しい。でも起こすのも悪いしね。

 人気のない夜の下町を親娘で歩く。

 ダヴィートのお父さんが別邸まで馬車で送ると申し出てくれたのを、お父さまが断ったのだ。

 さっき災霊が現れた礼拝堂の跡地に寄って帰りたいのだろう。

 建築業者が呼んできたパーヴェル司教が結界を張った後、とっくに赴任していたのに工事現場には来ず宿屋で過ごしていた新しい司教を連れて来たらしい。今後は休憩用の小屋で過ごすよう言い含めたそうだ。


「なぁに? 新しい司教さまに脅しをかけに行くのならつき合うわよ」

「ああ、それもある。それもあるが……お前と陛下の間に、なにか秘密があることは感じている。親である俺やマリッサにも、絶対言えない秘密だということも」

「お父さま……ごめんなさい」

「謝るな。べつに、無理に話せとは言わねぇよ。だがな、なにかあったら頼ってくれ。お前の親父と、バグローヴィ辺境家を見守ってきた炎の竜王は、そんなに捨てたもんでもないんだぜ」


(そうだぞ、イオアンナ姫!)

(……!)


 普段は暑苦しい炎の竜王のせいで印象が薄い、お父さまが婿養子に入る前に契約した風の竜兵も強い気持ちを向けてくる。この子の武器の形は対になった短剣だ。


「彼女にも、ちゃんと頼るんだ」


 お父さまの視線が、わたしの左足に向けられた。

 それに応えるように、光の竜王姫(リェーヴァヤ)が心の声を上げる。


(イオアンナ、遠慮するでないぞ!)

(……)


 リェンチャイはめんどそうに感じている雰囲気だ。

 わたしはそっと、お父さまの腕に抱きついた。


「どうした?」

「お父さま、ありがとうございます」

「まあ本当は、あの学校辞めて家に戻ってきてほしいんだけどな」

「それはイヤです」

「へいへい。お前の武竜バカはマリッサ譲りだ」


 子どものときのように、お父さまは優しく頭を撫でてくれた。

 王都に現れた災霊、隣国の革命──わたしがユーリアのことをお父さまに話せないように、ユーリイ国王陛下にもわたしに話せないことがあるのだろう。世界で今、なにが起こっているのかしら。

 今回お父さまが王都へ来たのは、武竜学院で特別授業をするためだけではなかったのかもしれない。

 どちらにしろ趣味と実益を兼ねて、わたしは武竜学院で頑張るしかないんだけどね。


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