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12・弟

 下町の住宅地にあるダヴィートの家の近くに来ると、もう人の流れは落ち着いていた。

 大通りに災霊が出たことを知らない人もいるだろう。

 そのこと自体はいいのだが、ダヴィートの家の前に黒ずくめの男がいる。

 なんだか不穏な空気を漂わせていた。……借金取り?

 気づかれずに入ったほうがいいのかな。裏口ってあるのかしら。

 玄関の真ん前に立つ男を見て、アントンが声を上げる。


「ゲンリフ!」

「アントン……」


 男は、濡れたような黒髪を長く伸ばしていた。

 前髪も長く、顔が半分隠れている。髪だけでなく、着ているものも真っ黒だ。

 渋く魅力的な声の持ち主なのだけど、なんとなくしゃべり方が弱弱しい。


「ダヴィートは?」

「大通りに災霊出たから、バグローヴィ辺境伯閣下と一緒に戦ってる」


 自慢げなアントンの答えを聞いて、ゲンリフと呼ばれた男がうな垂れる。

 いや、前髪の隙間から見える顔は整っていて素肌もすべすべだ。わたしやダヴィートと同じ年ごろの少年なのかもしれない。


「……そうか。ダヴィートは武竜の契約者だもんね。クルーク商会厄介者の僕なんかと、会ってる時間なんかないよね」

「わかってんじゃん。家に入るから、そこどいてよ」


 アントンの容赦ない言葉に、ゲンリフはますますうな垂れた。

 ん? 今クルーク商会って言った? そういえばバグローヴィ辺境伯領担当のアリフォンスさんは、三人兄弟の長男だって言ってたっけ。貴族の家と同じように、長男が家を継いで次男は竜神教の聖職者になり、三男以降は予備として生きる感じ?

 あれ? 次男が聖職者? かなり印象は違うものの、濡れたような黒髪に渋い声って。


「あなた、武竜学院で竜神学を教えていらっしゃるパーヴェル司教の弟さん?」

「ふぇ? う、うわあああ、女子だあっ!」


 ゲンリフはわたしに気づくと……って、最初からいたよ? 驚いて後退り、玄関前の柱に後頭部を打ちつけた。

 アントンたちが溜息を漏らす。


「ゲンリフ、女の子苦手なんだよ」

「苦手なんだー」

「なんだって」

「……」


 わたしの腕の中のカルルは、親指をくわえてウトウトしてる。


「ご、ごめん。パーヴェル兄さん? そうだよ。でも教職専門じゃなくて、この下町の礼拝堂もひとつ受け持ってる。……僕と違って、兄さんたちは優秀なんだ。女の子のことも怖がらないで、いつもはべらせてるし」


 うぉいっ!

 いやまあアリフォンスさんは実際に女の子といるの見たことあるし、竜神教の司教も結婚や男女関係を禁じられてるわけじゃないから問題ないけど、なんかちょっと、ね。

 でも武竜学院でパーヴェル司教を見たときは、気づかなかったなあ。

 確かにみんな濡れたような黒髪だし、声も渋くて顔も似てるのに。

 ううん、アリフォンスさんとパーヴェル司教の顔立ちは似てなくて、このゲンリフがちょうどふたりを合わせた感じなんだ。だから気づいたのね。


「いきなりごめんなさい。わたしはバグローヴィ辺境伯家のイオアンナ。お兄さまのアリフォンスさんには、いつもお世話になってます」

「へ、辺境伯令嬢?……え? なんで先にパーヴェル兄さんのこと聞いてきたの?」


 ……それは秘密。

 わたしは笑顔で誤魔化した。うん、たぶん誤魔化せたと思う。

 ゲンリフはそれ以上追及してこなかった。


「僕、帰るね。ダヴィートによろしく。……ダヴィートはもう、僕となんか仲良くしたくないかもしれないけど」

「そんなことないんじゃないですか?」

「え?」


 わたしはつい、口を挟んでしまった。


「武竜学院で彼、友達同士でバカなことを言ってはしゃぐのは貴族も平民も変わらないって、楽しそうに笑ってました。いろいろなことを話してはしゃいでた友達って、あなたのことじゃないですか?」

「……うん」


 ゲンリフが顔を上げる。


「うん、そうだよ。僕とダヴィートは、たくさん話をした。アントンの作った発明品を大量生産する工房を開いて、神聖ダリェコー教国の教主に売り込む。独占販売でセーヴェル大陸を席巻し、経済的に世界を支配する。それが僕たちの夢だったんだ」


 ……男の子はみんな、野望を胸に抱いているのね。

 熱く言い終わった後で、ゲンリフは再びうな垂れた。


「だけど、ダヴィートは武竜に選ばれてしまった。もう、僕と一緒に夢を追ってくれないんだ」

「まあまあ」


 双子から手を離し、アントンがゲンリフの背中を叩いた。


「ゲンリフが実家の金を俺につぎ込んでくれれば、兄ちゃんだって喜ぶぜ?」


 ニヤリと笑う姿を見ていると、カッコイイような気がしてしまう。

 ゲンリフもなんだか乗せられてしまったみたいで、そうだね、と明るく頷き、明日また来ると言って帰っていった。

 やっと入れるようになった玄関の扉を叩きながら、アントンに尋ねる。


「アントンは発明をするの?」

「ちょっとだけ。父ちゃんの義足を改良するのが趣味なんだ」

「義足?」

「父ちゃんと母ちゃん、隣国のボーセーに耐えかねてラヴィーナ王国へ来たの」

「国境近くで災霊に出くわして、父ちゃんの片足なくなっちゃったの」

「そうだったの」


 国境に面した辺境伯領は、災霊の出現率がほかの場所よりも高い。

 隣国で暴政に傷つけられている民の苦しみが国境を越えて邪気を呼び、災霊を生み出しているのではないかともいわれていた。ラヴィーナ王国のように竜鉱脈がない隣国リョート王国は、北の大地の厳しさに激しく苦しめられている。食べるものも満足にないのに税は重く、人が人として生きられない貧民街という場所が各地にあると聞いていた。竜神教が罪とする奴隷販売が横行し、簡単に人が殺されてしまう場所だ。

 リョート王国は革命によって、もう王国ではなくなってしまったが、それで大地が変わるわけではない。あの国はこれから、どうなっていくのだろう。

 ダヴィートとアントンの年齢が離れているのを不思議に思っていたけれど、途中で国を移ったからだったのかな。


「ゲンリフは医者の勉強してるから、俺の技術すごく買ってくれてて。自分の兄貴たち説得して金出してもらうって言うからダヴィート兄ちゃんも話に乗って、まあ、さっきゲンリフが語ってた計画があったわけ」


 本当はアントンも残念だったみたいだ。

 彼は小さな溜息を漏らした。


「俺とゲンリフでもなんとかなると思うんだけど、ダヴィート兄ちゃん以外に経理を任せると、給料払わなくちゃならないじゃん? ゲンリフの兄貴たちに頼んでも、兄弟価格にはしてくれないと思うし。はあ……ちょっぴり武竜が恨めしいよ」


 ……うん。えぇっと、うん、そうなんだ。なんか、うん、いや、お金は大事よね。


「神聖ダリェコー教国の教主に売り込むのなら、ダヴィートが武竜の契約者なほうが伝手があっていいんじゃないかしら?」

「兄ちゃん、災霊退治より工房の決算優先してくれるかな? 父ちゃんが個人乗合馬車の御者やってて母ちゃんが経理なんだけど、決算期はいつも大変そうなんだよね」


 人間の命がかかってるので、災霊討伐はすべてに優先してください。

 心の中の反論を口から出す前に、目の前の扉が開いた。

 赤ん坊を抱いた綺麗な女性が立っている。ダヴィートのお母さんにしては若い気がした。


「あの……どちら様でしょうか?」


 わたしを見て不思議そうに首を傾げた彼女に、アントンが答える。


「バグローヴィ辺境伯令嬢のイオアンナだよ。ほら、ダヴィート兄ちゃんが誘惑するって言ってた子」

「あら、お兄ちゃんの! どうぞ入ってくださいな。そういえばお兄ちゃんは?」

「辺境伯閣下と災霊退治してる」

「礼拝堂跡から、また出たの」

「あらあら、お兄ちゃんも災難ねえ」

「……むにゃ、母ちゃ?」


 一ヶ月ほど前、ダヴィートがお父さんの乗合馬車の助手をしていたとき、礼拝堂の前を通ったら飛び出してきた災霊に襲われた。もうお客を全部降ろして、家へ帰ろうとしていたころだ。

 そこで、礼拝堂に保管されていた武竜に呼びかけられて契約したのだという。

 武竜との契約は断ることもできるけれど、目の前でお父さんが災霊に襲われていたのではしょうがない。

 礼拝堂は燃え盛っていて、司教や孤児院の子どもたちはすでに亡くなっていた。

 隠している武竜と、そのとき契約したのかしら。

 それとも、どちらもそのときに契約したの?

 どうしても武竜関係のことが気になるけれど……まあ、いいか。

 わたしだって秘密があるものね。


「んん? お家ついた? イオアニャだいじょぶ?」

「カルルのおかげで怖くなかったわ。ありがとう」


 目覚めたカルルを抱き締めた後で、わたしはダヴィートの家へ招き入れられた。

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