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11・お兄ちゃん

 わーっと、辺りは蜂の巣を突いたような騒ぎになる。

 逃げ惑う人々の悲鳴、慌てて屋台を畳む店主たち。

 大通りに迸る人込みに流されそうになったわたしを、ダヴィートが引き寄せて近くの建物の陰に連れ込んでくれた。彼の弟たちは、長兄にしがみついている。

 阿鼻叫喚の渦の中、お父さまが悠々と立つ。

 逞しいお父さまの体は、少々ぶつかられても動かなかった。

 お父さまは空になった揚げパンの袋に息を吹き込み、膨らんだのを叩きつぶす。


 ぱぁんっ!


 大きな音がして、一瞬人の流れが止まった。

 でも一瞬だ。

 再び人々が動き出そうとしたとき、お父さまは口を開いた。


「俺はバグローヴィ辺境伯、炎の竜王の契約者だ。足手まといになられちゃ困るから、逃げてくれるのはかまわない。……だが、走るな。騒ぐな。ドサクサに紛れて店のもん盗もうとすんな」


 お父さまに睨まれて、老いた店主が荷物をまとめている屋台に近づいていた若者たちが身を縮めた。

 すっと、災霊に怯えた人々の熱気が下がっていく。

 炎の竜王が宿った剣をかざし、お父さまは宣言した。


「夕方には片付いてる、安心しろ。だからそれまで家でゆっくりしてな」


 わーっと、今度は明るい歓声が巻き起こる。

 人々は急ぎながらも落ち着いた様子で、手早く避難していく。

 焼けた礼拝堂があった方角からやって来て災霊の出現を叫んだ男に、お父さまが尋ねる。どうやらこの男は、礼拝堂の再建にかかわっていた建築業者らしい。


「災霊は何体だ。犠牲者は出たのか?」

「一体です。とはいっても、かなり大きい。礼拝堂の裏にあった墓地がそのままで、そこに埋まってた骨がくっついて怪物になっている。俺を含めて力自慢の大工たちだから、なんとか逃げたが、ひとりふたり齧られたものがいます」


 男は、案外冷静に答えた。

 災霊に襲われて傷を受けると、そこが穢れて壊死してしまう。光属性の武竜と契約している司教によって治療と浄化を受ける必要があった。下手をしたら穢れが全身に広がってしまうのだ。すぐに浄化できないときは、穢れた部分を切り落とすこともあった。

 建築に携わる職人たちが手や足を失ったら、これから先とても苦労するに違いない。


「怪我人は?」

「休憩用の掘っ立て小屋で隠れてます。一応竜神教が結界を張ってくれてたんだ。……いつまで保つかわかりませんが」


 災霊が出た場所で、結界を張るのは当然だ。

 だけど礼拝堂再建のために土を掘り返したりしているうちに、結界が崩れてしまったのだろう。王都の地下には邪神が封印されている。礼拝堂の結界がなかったら、簡単に災霊が生じてしまう。再建したら赴任する予定の竜神教の司教が、工事についてたら良かったのに。

 まったく、神聖ダリェコー教国は詰めが甘い。


 ひゅー……。


 風の音がして、大通りを逃げていく人々の足が止まった。


 ひゅー……。


 風の音に続いて、がしゃん、と硬質な音もする。

 わたしは建物の陰から顔を出した。

 ちょうどそれも曲り顔から顔のようなものを出したところだった。


 ──災霊だ。災霊が近づいてくる。


 墓地に埋められていた骨がくっついて、不思議な怪物になっている。

 内臓なんかないのに、彼らは永遠の飢餓に突き動かされて生きるものを襲う。

 口元らしき場所には職人たちのものと思しき血がこびりついていた。

 かしゃんかしゃんと乾いた音を立てて進みながら、揺れる骨が風を鳴らしている。

 お父さまが指示を出す。

 まずは建築業者。


「お前は近くの礼拝堂に行って、そこの司教に事態を伝えろ」

「はい、閣下」

「お父さま、わたしも……」

「イオアンナ、お前はそのチビたちを避難させろ。災霊討伐において、契約者以外の避難は最重要事項だ。それとダヴィート」

「は、はい! なんでしょう、バグローヴィ辺境伯閣下!」

「いつまで俺の娘抱き寄せてんだ。災霊の前に、てめぇ死なすぞ?」


(私が黒焦げにしてやろうか)


 ……お父さま、炎の竜王。こんなときになに言ってるの。


「いえ、その、大通りだと危ないかと」

「……まあそうだな。今日のところは不問にしてやる。さっきの誘惑がどうとかって話も流してほしかったら、お前も災霊討伐を手伝え。チビたちは、自分の家の場所くらいわかるんだろ?」

「はい、もちろんです。閣下、実は俺……」


 ダヴィートはなぜか、自分の左足に視線を落とした。

 彼の武竜の竜環が巻きついているのは、左腕のはずだ。


「話なら戦いながら聞く。ほかの礼拝堂の結界にまでは入れないだろうが、ひとつの礼拝堂が焼け落ちたことで、王都全体の結界がほころびかけてる。これ以上どうにかなる前に片づけるんだ」

「はい、閣下! イオアンナ……さん、弟たちを頼む」

「イオアンナ、こっち!」

「近道だよ」

「近道」

「だぞ」


 子どもたちに手を引かれて、わたしは建物の陰から続いていた裏道に入った。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 この中で一番上のアントンは七歳。

 一番色の薄い金茶の髪。

 四歳の双子は赤茶の髪で、名前はヤーコフとヨーシフだという。

 一番小さい焦げ茶の髪は二歳のカルル。ずっと末っ子だったのが、最近弟ができてお兄ちゃんになった。新しい末っ子は家でお母さんとお留守番中。

 小さい体で頑張っていたから疲れが出たらしく、大通りから離れて裏道を出たところで、カルルは転んだ。


「あ。おえ、転んじゃた」

「イオアンナが抱っこしようか?」

「だいじょぶだぞ。おえ、兄ちゃんだから」

「抱っこしてもらえよ、カルル。お前の足が遅いから、なかなか家につかないんだぞ」

「……おえ、兄ちゃんだから歩く」


 きゅっと唇を結んで、カルルは譲らない。

 あんまり顔は似ていないものの、ダヴィートが小さいころもこんなだったのかしら。

 人の通りはまだ多い。

 お父さまとダヴィートが対峙しているし、結構離れたから大丈夫だと思うけど。

 わたしは中腰になって、カルルを見つめた。


「ねえカルル」

「にゃに?」

「イオアンナ、災霊が出て怖いな。ぎゅっとしてくれる?」


 ん、と頷いて近寄ってきたカルルが、小さな体でわたしを抱き締めてくれる。


「ありがとう。イオアンナまだ怖いから、このままぎゅってしてもらってていい?」

「いーよ」

「じゃあイオアンナがカルルを持ち上げるから、このままぎゅってしててね」

「おう。おえ、兄ちゃんだからイオアニャ守ってやる」

「ありがとう」


 そのままカルルを抱き締めて、わたしは立ち上がった。

 アントンを真ん中にして手をつないだ双子が見上げてくる。


「イオアンナ怖いの?」

「怖いの?」

「俺たちも守ってやる」

「守ってやるよ」

「ありがとう。じゃあみんなでお家に急ごう」

「おー!」


 アントンはなにもかもわかった顔をして、わたしに向けて片目を瞑ってみせる。

 もちろんカルルを抱っこするのが目的だったんだけど、怖かったのも本当だ。

 託されたこの子たちを家まで送り届けられないんじゃないかって、考えるだけで体温が下がってしまう。

 頭の中で武竜の声がした。


(……ぐぬう、わらわの力があれば、あの程度の災霊くらい)

光の竜王姫(リェーヴァヤ)、契約者以外の避難はとても大切なことよ。お父さまとダヴィートがいるんだから、戦闘は大丈夫)


 生まれ変わる前の竜が争いで自滅したっていうのに、武竜は戦闘が好きだった。

 人間が殺し合いをするのは嫌うが、試合などの手合わせは大好きなのだ。

 もちろん災霊討伐も。


(……そうじゃな。ダヴィートはやはり……)

(え、なに?)

(……なんでもない、大切な役目を果たすぞ)


 彼女に教えてもらわなくても、わたしには想像がついていた。

 わたしが光の竜王姫(リェーヴァヤ)を隠しているように、ダヴィートも水の竜兵以外の武竜を隠しているのだ。光の竜王姫(リェーヴァヤ)が彼を気にしていたのは、なんとなくその気配を感じていたからだろう。

 わたしにも秘密があるのだから、ダヴィートが秘密を隠しているのも仕方がない。

 ……事情を教えてくれなくてもいいから、隠している武竜の幻影だけ見せてくれないかな。なんてことを思いながら、わたしはカルルたちとダヴィートの家へ急いだ。

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