◆7◆ ファーストコレクト
てっきりさっきの人……志緒先輩が部長なんだと思い込んでいたのに、まさかの一年生部長?
誰が何部に所属しているかなんて知らないから、もちろん氷堂さんがどこに所属しているかも知っているわけがない。
陸上部? バスケ部? 足が速い氷堂さんのことだから、きっと運動部に決まっている。
いやいや、運動部なんかに勧誘されても、部活自体興味がないんだから、誘われても困るし……。
また氷堂さんに話しかけるきっかけが増えてしまったけど、入部届けを志緒先輩に返しておいてほしいと、もうこの際だからいっそ全部まとめて、頭を下げに行こう……。
「あの、氷堂さん……」
先に登校していた氷堂さんは、すでに席についていた。退屈そうに頬杖を付きながら空中を眺めているように見える。
おずおずと話しかける私の方へ、頬杖をついたまま目だけ寄越した。
やっぱり、昨日のことで怒らせてしまったんだ……。次の言葉を待っているかのように、こちらをじいっと見ている。
「なんていうか……昨日のことは全部なかったことにしてほしいっていうか……忘れてほしいっていうか……」
「んー? どれのことか、ちょっと分からないなぁ」
「ど、どれって……」
真顔になられると、本当に分からないのか、相当怒ってるから意地悪されてるのか判別出来ないっ! 教室じゃ誰が聞いてるか分からないから詳細なこと言えないし……。
「御影さん、放課後時間ある? 」
「えっ? う、うん」
「ちゃんと話そっか、昨日のこと。私も謝りたいことあるし」
「……分かった。でも、氷堂さんは部活あるんじゃないの? これ、志緒先輩って人から渡されたんだけど……」
「あぁ、志緒ちゃん先輩に会ったんだ? 」
ちゃん付けでいいよとは言っていたけど、「ちゃん」と「先輩」の両方ってどうなの?
そんな疑問より、いつもにっこり笑顔の氷堂さんが真顔だという謎の方が気になって仕方がない……。
「さっき下駄箱で待ち伏せされてたの。ものすごい勢いだったし、早口すぎて断る隙もなかったから、これ渡しておいてもらえないかな? 」
「んー……分かった」
少し間を置いていたものの、差し出した入部届けをあっさりと引き取ってくれた。
それでも、頬杖を付いたままじいっと横目で私を見ている姿には、納得の色が窺えない。
こちらとしては、二年生の教室に行かなくて済むという安堵は、大きな仕事を一つこなしたくらい山を越えた気分だったけど……。
放課後に、とは言われたけれど、私はさっきの質問が引っかかっていた。
「今日は部活ないの? 氷堂さん、部長なんでしょ? 」
「あー、うん。やってって言われたから引き受けただけだけどね。名義貸しみたいなもんだし、大した仕事ないもん」
「そうなの? 」
「今日も部活の時間ってだけで、先輩たちは結構好きなことして過ごしてるだけだから、特別な部活動はしてないの。私は一応顔は出すけどね」
「そっか。じゃあ後で……」
運動部でもそんなに緩い部活あるの? まぁ、氷堂さんが何かをがっつりやっている姿は想像出来ないし、一年生に部長任せるくらい適当みたいだし、そういう意味では適切な居場所なのかもなぁ。
放課後、ゆるゆるの部活が始まる前に話そうってことだよね。でも、氷堂さんから私に何の話? 白紙の入部届けを受け取ってくれたってことは、部活の勧誘ではなさそうだし、謝りたいことがあるって言ってたし……やっぱり昨日からかってきたことへの謝罪なのかも?
いつもは余裕な表情をしているのに、なんだか今日は笑顔がないし、なんか気になる……。
授業中、後ろにプリントを回すついでにちらりと見ても、何かが違う気がして仕方がなかった。
さらりと流れてきた横髪を耳にかける姿も、どこか憂いを帯びたように見えた……。
こんな時、今までだったら必ず目が合ったのにな……。
「湖渡子ー! もう帰れる? 」
「あれ? 宇未ちゃん、今日は図書室行かないの? 」
「行こうと思ったんだけどさぁ、今日部長休みなんだってー。風邪かなぁ? 」
「ふぅん……それで、部長さんがいないから図書室に用事はないと、そういうこと? 」
「そういうことっ! 本ならまだ読んでないのが家にあるし、わざわざ用もないのに行く必要ないでしょー? 」
宇未ちゃんの部活動、動機が不純すぎる……。
「でもごめん、今日は私が用事あるんだ。先帰ってて? 」
「そうなん? 湖渡子が真っ直ぐ帰らないなんて珍しいねぇ? じゃあまた明日ねー」
「うん、明日ねー」
よかった、宇未ちゃんに何の用事か聞かれたら、話の内容まで聞かれそうだし、おとなしく帰ってくれてちょっと安心……。
借りた本が家にあるって言ってたし、帰ってから読むのかな。あぁ、その本が百合小説だったら嬉しいのになぁ。宇未ちゃんと百合トークが出来たらどんなに楽しいだろうか。
逆に私も図書室にあるような本に興味があれば、もっと普通の中学生らしいんだけど……。
帰る支度をしながら教室を見渡したが、氷堂さんの姿はどこにもなかった。
てっきり、帰りに声をかけてくれるんだと思ってたのに、当てが外れた……というより、じゃあどこで待っていればよかったんだろう? まさか帰っちゃったってことはないだろうし。
机を見てもバッグすらない。このまま教室で待つか、校内をうろついて探すか考えたが、後者は入れ違いになるかもしれないし、得策ではない。
仕方なくバッグを置き直すと、持ち手のところにおみくじのような紙切れが結んであることに気が付いた。
何これ? ていうか、いつの間にこんなの……。
容疑者の予想は大方ついているものの、いつ付けられたのか疑問だった。急いでこっそり結んだというより、ぴったりと両端を揃えて、丁寧に折りたたんで結び付けられているから、それなりに時間を要したと思うんだけど……。
綺麗に折りたたまれていると、こちらも釣られて、つい慎重に開いてしまう。
中身には軽い筆圧で「西校舎の二階、第一視聴覚室にいるね」と、小さな文字が並んでいた。
名前は書いてないけれど、まぁ氷堂さんらしい筆跡だ。この手紙には、結び方といい文字といい、几帳面さがにじみ出ている。
視聴覚室? 運動部って女子更衣室とかで着替えたりするんじゃないんだ。
いやいや、みんなが着替えるところに呼び出すわけないよね。
じゃあ何で視聴覚室……? 単に生徒がいない教室を指定してきただけで、深い意味はないのかな。
電気は付いているものの、視聴覚室の中に人の気配はなかった。
まだ来ていないんだろうか? 見渡しながら扉を閉めると、準備室から足音が聞こえた。
「いらっしゃーい」
ひらひらと手を振りながらこちらへ歩いてくる氷堂さん、その顔にはやはり覇気がない……。
釣られて私も片手を上げる。何か調子狂うなぁ。どこか頼りなく見えるし、倒れちゃうんじゃないかとすら思わせる目尻……。
垂れ目なのはもともとだけど……。
「氷堂さん、具合でも悪いの? 」
「具合? 悪そうに見える? 」
「うーん……朝から様子おかしいし、気だるそうっていうか、体調悪いのか機嫌悪いのかなぁって……」
「んー……悪いと言われれば悪いかな。……機嫌が」
やっぱり、いつもと雰囲気違って見えるのは機嫌の悪さだったんだ……。
「昨日はごめんなさい! 私、氷堂さんにあんな本買ってるの知られて動揺してたし、からかわれて当然だと思うけど、女の子に急にあんなことされてびっくりして飛び出しちゃって……」
「あんなこと? 」
朝もあったな、このくだり。わざと?
「だから、ち、近かったのっ! 距離が……顔が近すぎてびっくりしたの! 」
「近いとびっくりするの? それとも女の子だったから? 」
「いきなりあんなことされたら誰だってびっくりするでしょ! 」
「いきなり、じゃなければいいの? 」
挨拶していた手の隙間に、氷堂さんの細い指が一本一本そっと絡まって来た。
冷たい体温が伝わってくる。私が熱いの? まるでお互いの気持ちがそのまま反映されてるみたい……。
解こうと思えば出来たのに、私の脳裏には一瞬昨日の事がよぎった。こちらが無理に引けば、また引き寄せられるかもしれない。それは本末転倒だし、今日は話をつけに来たんだから!
「ち、違う違う! いきなりじゃなくてもこういうことは……」
「こういうことって何だろ? 」
さっきから言いづらいことをわざとこそあど言葉にしているのに、どんどん掘り下げて聞いてくる。
困惑で泳ぐ私の目をじっと見つめる氷堂さんが、ちっとも意地悪そうに見えないのが不思議なくらいだった。
普通、ここまでからかわれたり詰め寄られたりすれば、誰だって嫌な気分になるはず。でも、私には、どうしてか意地悪をされている自覚が沸かなかった。
「だからだからっ、女の子同士で手握るとか……」
「とか? 」
氷堂さんは一瞬窓の方に顔を叛けたが、また横目でこちらをちらりと見た。この横目も朝見た。同じくだりだ。
次の言葉を急かすような表情に焦りを感じ、気持ちに比例するように一歩後ずさりすると、握りしめられた片手がぎゅっとなった。
ダメだ! これじゃ昨日と同じ展開になる! 抵抗しようとするから引き止められるんだ。
もう一歩下がりそうな足を止め、おずおずと見上げると氷堂さんはにっこりと微笑んだ。それは今日初めて見た笑顔だった。
「いい子……本当にこねこちゃんみたいね」
「か、勘違いしてるよね? 昨日も言ったけど、私はああいう本が好きなだけで、こういうことが好きなわけじゃないからねっ! 」
「ああいうこととかこういうこととか、分かりにくいなぁ。はっきり女の子同士のキスって言えばいいのに……」
うぅっ! ち、近いー!
「だから、そういうことしたいとか思ってないから……」
「へぇ……じゃあどうしてドキドキしてるの? 私にキスされるかもって身構えてるんでしょ? 本当は、こういうことされたいって思ってたのかもよ……? 」
「お、思ってないもん! 百合っ子なんかじゃ……百合っ子なんかじゃないんだからねっ! 」
きっと、説得力のない声のファーストコレクトだったと思う……。
コレクトは
collect
ではなく
correct
の方です(^-^)ノ