◆37◆ファーストサイレン
決して、決しておっさんの百合マンガにつられたわけではない。
普段の私なら、百合本に目を輝かせている姿を誰かに、ましてやママになぞさらすわけがない。あくまで「百合? なんですか、それ。へぇ、女の子同士の恋愛なんですかぁ」と、興味も知識もない中学生を気取っていたはずだ。
はず、なのだったが……。
全てはやつらが……ボーイズでラブラブしていたやつらが悪いのだ。百合切れを起こさなければ、もっと冷静な判断をできたはずなのにー!
「おはよう湖渡子ちゃん。今日は引き受けてくれてありがとうね」
オジサンこと、尾木のおっさんがご機嫌に挨拶してきた。まだ朝だというのに、相変わらずテカテカフェイスである。趣味の悪いボーダーのポロシャツが、でっぷりした二段腹を強調している。
つくづく思う。ママはなぜこんなにもダサいおっさんと付き合っているのだろう? ママの才能はデザインだけに特価されていて、男を見る才能はさっぱりらしいですな。
「お、おはようございます……。今日はよろしくお願いします……」
お外では原作者とモデルということなので、一応弁える。口が滑ってもおっさんなどとは呼んではいけない。尾木さんでもオジサンでもなく、『いちごマカロン先生』とお呼びせねばならない。
長い。そして似合わない。っていうかキモい。しかし今日だけの我慢。どこを取ってもいちごでもマカロンでもないが、今日だけは先生と呼んでおこう。
モデルの依頼を引き受けてから2週間が経った。私は今、4つ隣の駅にある都立高校に連れてこられている。中学に入ってまだ3ヶ月ちょい。中3の先輩にでさえ目が合うと緊張するというのに、私に縁もゆかりもない高校の敷地はそわそわしてとても落ち着かない。
どこから拝借したんだか、私は黄土色ベースのイモくさいセーラー服を着せられている。うちの学校の制服より、若干似合うのは気のせいだ。イモくさいから似合うのは気のせいだ。
「教室ん中を設営してるから、準備ができたら呼ぶね」
キャップを後ろ向きに被ったお兄さんが「はい、これ飲んで待っててね」と言って、ペットボトルのお茶をくれた。一緒に来たママがいつの間にかいなくなって心細かったのが顔にでていたのだろうか。それとも単なる差し入れなのだろうか。
さっき挨拶を交わしたばかりの尾木のおっさんもいない。あんなおっさんでも、誰も知らないアウェイな土地では、一緒にいてくれたら心強いのに……。役立たずめ。
スタッフらしき大人たちはみな、教室内でガタガタしている。私はその様子を、扉の窓から覗くことしかできない。居心地の悪さのそわそわと、早くしてよのイライラが混在する。
「あれぇ? なんかセーラー服の子がいるけどぉ?」
「あー、今日なんかの撮影があるって誰か言ってたよねー」
「そうなのぉ? じゃああの子芸能人ー?」
「えー? でもパッとしなくなーい?」
廊下の先から4種の声が響いてきた。言いたい放題の女子高生どもがジロジロひそひそ。私はバッグに手を突っ込みスマホを探すふりをして、聞こえてませんよアピールをかました。
そうなのだ、ここの学校は私服登校なのだ。ちんちくりんでイモセーラーの私は、金魚の中の出目金のごとく、いや、錦鯉の中の腎面魚ばりに目立ちまくっている。っていうか、浮きまくっている。
きっとあれだ。彼女たちの中でド田舎から来たイモ娘っぽいモデル、略して『イモデル』などとあだ名を付けるに違いない。もしくは80年前から来たタイムトラベラー、略して『タイモトラベラー』だ。角を曲がったら爆笑するのだろう。そうだろう。
あぁ、早く帰りたい。何年かぶりにママが恋しくなった……。「ママも一緒に行くからね?」そう説得してきたくせに、かわいいイモ娘を独りおいてどこへ行ってしまったのやら……。
「ことちゃーん」
恋しさゆえの幻聴じゃありませんようにー、と願いながら音源のほうへ振り向く。
「おっまたせー! ごめんねぇ、メイク時間かかっちゃってーぇ。寂しかったでしょー?」
ママだった。紛れもなく若作りテンションのママだった。私は安堵のため息が漏れた。未開封のペットボトルを握り直して、「大丈夫」と頷く。
メイクに時間が、と言ったわりには今朝とあまり変わっていない。はて? と首を傾げた矢先、ママの影から女性が1人現れた。
奇麗な人だった。めちゃめちゃ奇麗な人……。『ギャル純』を読んだことのある人なら誰が見ても夢ちゃんだろう。ぷりプリティーンからそのまま出てきたような生夢ちゃんだった……。
「ジャーン! ヘアメイクさんが遅れるっていうから、ママがメイクしたのよー! 元々美人さんだけど、メイクすると余計光るわねー!」
得意気に胸を張るママ。確かに、夢ちゃんのギャルメイクをここまで忠実に再現できるおばさんはそういないだろう。当の夢ちゃんがにっこり微笑んだ。笑顔もパーフェクトだ。
マンガの中だから華麗な変身ができた夢ちゃんだが、いくらイメージスナップとはいえ、イモい私がこんな美人さんに変身できるわけがなかろう。いくらなんでも現実味がなさすぎて笑える。笑えないけど笑える。
「久しぶり。湖渡子ちゃんもセーラー服、似合ってるわね」
生夢ちゃんがしゃべった。声はイメージとかけ離れていて柔らかかった。
私はパチパチと浅い瞬きをした。どこかで会っただろうか? まぁでも私の名前を知っているし、久しぶりと言われたし、昔会ったことのあるママの知り合いかなんかなのだろう。
言われれば確かに声は覚えているような、いないような……。しかし、はっきりとは思い出せない……。
「もう忘れちゃった? 茜よ。風原茜」
……生夢ちゃんは、できればマンガから飛び出してこないでほしい人だった……。
私の脳内で、ファーストサイレンが爆音で鳴っている……。




