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◆29◆ ファーストストラテジー

 美人家庭教師が家に来たのは、それから3日後のこと。

 私の交渉後、すぐにママは先方に電話をしてくれた。よそ行きのママの声は相変わらずぞわぞわしたが、私がお願いしたことなので黙って隣にいた。なんで大人は電話口でもペコペコ頭を下げるのだろう? 見えないっつーの。

 家庭教師は週に3日ということで決定した。向こうも高校生なので、17時から19時まで。それだけでも自習する気がしない私には充分なお勉強タイムだ。

 そして、今日が初日。私は17時の10分前から玄関でスタンバイしている……。

 スタンバイといってもひたすらそわそわしているだけで、特に何もすることがない……。何度となくそろえた靴をまたそろえてみたり、使用頻度の少ない来客用スリッパのニオイをなんとなく嗅いでみたり……。

 なんでこんなことしてるんだろう? とバカバカしくなり、スリッパを戻そうとした瞬間、ピンポーンという疳高いドアベル。反射的に背を伸ばし、つられて「はーい!」という疳高い声になってしまった。

「こんにちは」

 思いのほか勢いよく開けてしまった扉の向こうは、今流行の異世界というやつに繋がってしまったのだろうか? それとも新種の人間なのだろうか? お花模様のキラキラオーラを纏ったプリンセスがそこに……。

風原かざはらあかねです。今日からよろしくね、湖渡子ちゃん」

「ここ、こちらこそよろしくお願いしますっ」

 改めて見ても見なくても、まさしく百合本から出てくるお嬢様キャラのような色白美人さん。庶民的なうちの玄関に似つかわしくなさすぎて現実味がない……。

「どどどどうぞ、薄汚い豚小屋ですが……」

 お客様用スリッパを置く手がロボットのようにカクカクと動く。そんな私がおかしかったのか、茜さんは笑いをこらえているようだった。

「あ、あの……すいません。私、なんか緊張しちゃって……」

「わたしこそごめんなさい、笑ってしまって。湖渡子ちゃんの表現がおもしろかったから」

 表現? ロボットダンスではなかったのか……。確かに『豚小屋』なんて表現、お嬢様はあまり耳にしない単語なのだろう。

 恥ずかしさで耳まで赤くなっていくのを自覚した。

「お邪魔します」

 お育ちの良いお嬢様は、お洋服も歩くお姿も、お香りさえ清楚極まりない。……お香り、はおかしいが。だが『お』をつけたいくらい、庶民とはかけ離れたものを感じるのだ。

 やっぱり、私にはまぶしすぎたかもーっ。

「奇麗なお部屋ね。湖渡子ちゃん、奇麗好きなんだ?」

 いやいやいやいや、あなた様の方が何万倍もお奇麗ですから。家庭教師が来るからってママと必死こいて大掃除しましたけどね、しましたけどね? したにも関わらず、あなた様をお呼びするようなお部屋にはほど遠いわけですけどね?

「どどっ、どうぞ」

 何て返したらいいのか分からず、とりあえず椅子を勧める。リビングから持ってきた木製の椅子。座面に敷いたハート柄のクッションを見て「かわいい。ありがとう」と微笑んで腰掛けた。

 まずは私の1番嫌いな英語。教科書を広げて進捗状況を伝える。いいお香りは近いものの、デスクに向かう私の45度くらいの角度に座っているので、真正面からの『美人フラッシュ』でクラクラすることはなさそうだ。

 ……何を心配しているのだ、私は。

 茜さんは英語が得意らしい。めちゃめちゃ流暢な発音なので、思わず帰国子女なのかと聞いてしまった。茜さんは少し眉尻を下げた後「母が英語の教師なの」と苦笑いした。

 身に入ったような入らなかったような1時間を過ごし、5分間の休憩の後は数学。これまた大嫌いな科目なので、アレルギー反応のため息が出る。

 算数でも精一杯だったのに、数式がどうの言われても……私のこれからの人生に全く必要なさそう……。唸りながら考える私の横顔をしばらく眺めていた茜さんだったが「ちょっと借りるわね」と言ってシャーペンを手に取った。

「こう考えたらどうかしら? こっちはまだ置いといて、まずはこの式を……」

 線を引いたり丸で囲ったり、茜さんはスラスラとノートに書き込んでいく。その姿すら美しくて、私はホゥッと見とれてしまった。

「分かる?」

 覗き込まれてハッと我れに返る。首を傾げたついでに、毛先が胸元を滑っていった。

 カーディガンとカットソーの間から覗く白い胸元がやたらエロティカルだった……。

「わわわわ、分かりましたっ」

 謎の罪悪感に、急いで顔を伏せる。絶対分かってない素振りだろうし、絶対怪しい言動だったろう……。

 これかっ! よくある『家庭教師にドキドキ』はっ! 漫画やドラマであるあるなのはこれだったのか……!

 王道のあるあるだとは思っていたが、私にもその時が来るだなんて……。

 いやいや、これが女同士でもこんなにドキドキするものなのだから、男女なんてまさに鼻血ものだろう。オスの気持ちは分からないが「せ、せんせーっ!」となる気持ちは十二分に、いや百分くらい分かる。うん、これなら仕方ない。

 家庭教師、破壊力ハンパないっ!

「えっとね、湖渡子ちゃん。それだとさっきわたしが教えたのと逆で……」

 や、やばい。集中できなくて、理解したふりをしていたのがバレてしまう……。嫌な顔一つせずに、茜さんはもう一度同じ説明をしてくれた。アホでごめん、茜さん……。

「最初だし、お互い慣れないから気にしないで? わたしの説明も悪かったかもしれないから、次回までに予習しておくわね」

 その後も集中できないまま、初めての2時間が終わった。帰り支度をしながらにっこり微笑む茜さんもまた、女神様のように輝いて見える。この人の眩しさに慣れる日が来るのだろうか……?

「いいえ、私こそごめんなさい。勉強は元々ダメだし、なんか緊張してしまって……」

 茜さんは俯いた私をクスッと笑った。バレバレだったのだろう。

「もっと自信を持って? 勉強する姿勢にも『どうせ私なんて』っていうのがにじみ出ているもの。湖渡子ちゃんは落ち着けばちゃんと理解できそうよ?」

「え……」

「わたしの身近にもいるの、湖渡子ちゃんと同じタイプのもったいない人が。ちゃんと自尊心を持たないと、ひねくれた大人になっちゃうわよ? そんなのもったいないじゃない」

 私の顎に茜さんの指が触れる。冷たかった。笑顔は暖かいのに、覗き込まれた視線も冷たく感じた。

 そうだ、初めて出会った時も……。

『あなた、とってもいい目をしてるわ。将来素敵な女性になるでしょうね』

 なんだろう? この感じ……。

 薄いモヤが心にかかり出すのに気付かぬふりをしながら玄関まで見送る。お客さん用のスリッパを丁寧に揃える姿をじっと見つめた。やっぱり1つ1つの仕草が美しい。ベージュ色のパンプスを履き終えると、茜さんはゆっくりと振り返った。

「そうそう、御礼を言わなくちゃね。返してくれてありがとう」

「……返す? 何をですか?」

 茜さんが首を傾げる。私も傾げる。

「定期入れ。あの子に返してほしいとお願いしたはずだけど……」

「あっ」

 自分のことに精一杯で、預かり物を美空さんに渡すのをすっかり忘れていた……! 私のリアクションで気付いたんであろう茜さんは、今日何度目かの苦笑いをした。

「あの……実はあれから学校行ってないんです……。ちょっと色々あって……」

「そうだったのね。……どうしようかしら……」

 しばらく沈黙が続いた。その間あれこれ考える。

 私は美空さんの住所も連絡先も知らない。でも、茜さんは『わたしもあの子に渡せないのよ』と言っていた。少なくとも顔見知りっぽい言い方だった。

「茜さんはその……美空さんの……」

「顔見知り、ではあるけれどね」

 私が言い終わる前にキッパリ遮られた。

「ただ、わたしから渡すより、お友達から返してもらったほうが喜ぶと思ってね。わたしはあの子に嫌われているから」

 茜さんはふふっと笑った。嫌われている、その言葉とは裏腹に笑っている……。

 なぜか、その姿が氷堂さんと重なった……。

 私は反射的に鳥肌の立った二の腕を押さえ「分かりました」と答えた。テストまで登校しないと決めているのに、何が分かったのか分からないが……とりあえず私がどうにかして美空さんに返さなければならないということだけは分かった。

「ごめんなさいね。湖渡子ちゃん、あの子のおうちは知ってる?」

「いえ、クラスも違うので携帯番号とかもしらなくて……」

「そう。じゃあ……」

 茜さんはバッグからルーズリーフを取り出し、その1枚にさらさらと地図を書き出した。同じ学区内だが、美空さんちは駅の向こうらしい。書きながら茜さんは「この角のコンビニは、スイーツが充実しているのよ」などと街情報も付け加えてくれた。

「今日はもう遅いので、明日にでも持っていきます」

「ありがとう、助かるわ」

 丁寧に描かれた地図を受け取ると、茜さんは満足げに微笑んだ。そして「じゃあ、またね」と気品溢れるお香りを残して扉を閉めた。

 すぐに2時間の緊張から解き放たれたため息が漏れた。あまり空腹感はないけど、ママが作り置きしてくれた夕飯でも温めようと冷蔵庫を覗いた。

『成海さんのお宅に落ちていた、と伝えてくれたら分かるはずよ』

 ……そもそも成海さんとやらは誰なのだ? 成海さんとやらが返せばいい話ではないか。成海さんも返せない理由があるのだろうか? なんじゃそりゃ、みんな訳ありすぎませんかね?

 私はただ、平和な中学生ライフを過ごしたいだけなのに……なんでこうも厄介そうなことに巻き込まれていくのやら……。

 勘弁してほしい……。

 レンジでアツアツになった野菜炒めに小さく「いただきます」をしてテレビを付けた。と同時にスマホが揺れる。

 見ると宇未ちゃんからメッセージが届いていた。『3日も休んでどうしたのー? 心配だよー』と、大泣きのスタンプが添えてある。さすが宇未ちゃん、優しすぎる。嬉しすぎる。大好きすぎる。

 ちょっとダルイからズル休みしてるだけー、と企み笑顔のスタンプを添えて返信。するとすぐ『なんだぁ、心配したんだぞー?』と、アッカンベーのスタンプが返ってくる。つい吹き出してしまった。

 ありがとう、宇未ちゃん。じんわりこみ上げてくる嬉しさに心が熱くなる。

『そうそう、宇未ちゃんて1組に知り合いいる?』

『読書部の子なら何人かいるけどどしたの?』

『同じ演劇部に美空さんて子がいるんだけど、ちょっと急ぎの用事があって。誰か連絡先知ってるか聞いてくれない?』

『オッケー、待ってて』

 チョキマークのスタンプが送られてから約10分後、再び宇未ちゃんからメッセージが届いた。

 さすが読書部、美空さんとは腐女子仲間だという女子がいるとのこと。いいなぁ腐女子さんはお仲間がいて……。

 宇未ちゃんの伝手に感謝しつつ、もう1つお願いする。

『その子に頼んでもらえない? 私の連絡先を美空さんに教えてほしいの』

『オッケー! 承るから元気になったらちゃんと学校来てよ? 寂しいんだから』

『ありがとう! 宇未ちゃん大好きだよー』

 投げキッスのスタンプを連投。負けじと宇未ちゃんも投げ返してきた。ほっこりついでにご飯を頬張る。

 茜さんに地図を書いてもらったものの、突然「ピンポーン、お届け物でーす」と突入する勇気はないので、これで一安心。あちらから連絡来たら「明日届けに行くね」と入れておこう。

 それがファーストストラテジーとは知る術もなく……。

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