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◆22◆ ファーストピンチ

 かわいこ男子こと美空くんとバイバイして帰宅するも、私のドキドキは未だ顕在だった。下校途中にもんもんと断る口実を考えたけど、いまいちピンとくる言い訳が思いつかなかった。それに、やっぱり断る理由もないか、という気持ちとも大分格闘した。


 結局、結論はどちらにも転ばないまま家の鍵を回した。雨でどんよりしているから、ママは玄関の灯りを点けて出掛けたみたい。仕事? デート? 知りたくはないのにお気に入りのピンヒールの有無を確認してしまう。……ない、けど、こんな雨の中でも穿いて行くとは、さすがママ。あんな脂ぎったおっさんのどこがいいんだか……。


 感情と同じくらい大きな音を立てて扉を閉める。安っぽいマンションにバタンという音が響いた。鍵なんか掛けなくても貧乏なうちには泥棒さんが盗む物なんて何もないのに、習慣でつい鍵を掛けてしまう。盗まれてもいい物、盗んでくれるとしたらママの女の部分を盗んでほしい。娘の私に見せてほしくない女の部分。盗まれてぐっちゃぐちゃに丸めて燃えるゴミと一緒に灰になるまで燃やしてほしい。そしたらママも少しは……。


 首を振って考えるのを止めた。だってママがいないからこそ愛読書たちと戯れられるんだもん。寂しくない寂しくない。無造作に靴を脱ぎ捨ててスリッパに穿き替える。


「……やっぱね……」


 テーブルにはメモ書きの手紙が置いてあった。拾い上げて目を通し、手の中でグシャっとつぶす。どことなく仰々しい文章で胡散臭い言葉が並んでいたので胸糞悪い。バレバレの嘘つくくらいなら、いっそデートに行ってきますと書いてくれればいいのに。いつまでも分からないふりをしてあげてる娘の気持ちにもなってよね……。


「くそっ! ママのバカ!」


 丸めた手紙をゴミ箱へ投げ入れる。力んでしまったので淵に当たって戻ってきた。ナイスシュートした方が確率低いのに、イライラしてる時に限って外して、それがまたイラつく。仕方なしに拾い上げて、改めてゴミ箱へ突っ込んだ。


 そういえばイライラしてる場合じゃない、美空くんが来るんだった。向こうも一度家に帰ってるんだからあわてる必要はないのに、時間的にというより気持ちの方が焦る。好みのかわいこ男子くんが家に来るんだもん、緊張しない訳がない。なるべくかわいい服を選んで着替えた。


「は、はぁーい!」


 早いな、とか思いつつ玄関チャイムに返事をする。画像の出るインターホンなんてハイテクな物うちには取りついてないのが今更恥ずかしくなった。


「い、いらっしゃい……」


「無理言ってほんとごめんね。急にお邪魔してお家の人大丈夫だった?」


「う、うん。大丈夫。ママは……お母さんは仕事でいないから。……狭いし散らかってるけど……ど、どうぞ」


「え、いいの? パラッと見せてもらうだけでいいから、玄関でいいんだけど……」


 こ、ここで「そう?」と鵜呑みにしていいものなのか、「いえいえ、どうぞ?」と強引に連れ込んだ方がいいものなのか……どっちが常識なの? どっちが清純中学生のお付き合いなの? あ、いやいや、『お付き合い』と言っても恋人云々の方じゃないからね? あくまでお友達から……だとすると、ここで躊躇してる私はやらしい事考えてるから躊躇ってるって事になるじゃない!


 ならばここでの清純な回答は……。


「気にしないで? せっかく雨の中来てくれたんだから、上がって読んでってよ」


「急に押しかけたのに申し訳ないけど……じゃあお言葉に甘えて、お邪魔しまーす」


 美空くんは紺色のスニーカーを脱ぐと丁寧に端へ寄せ、私が差し出したスリッパを穿いた。少しだけ雨に濡れたデニムのワイシャツの肩が色濃くなっている。スラッと伸びたパンツスタイルといい、痩せ型でおしゃれといい、申し分ない程私のツボ。


「ごめん、うちお客さん用のおしゃれなカップとかないんだ。紅茶くらいあればいいんだけど……」


「いいよいいよ、お構いなく。さっさと帰るから気にしないで?」


「うーん、でもぉ……」


 お客さんなんて滅多に来ないからなぁ、と戸棚の引き出しをごそごそ。冷蔵庫には牛乳しか入ってないし。ママが毎朝飲んでる粉コーヒーでコーヒー牛乳でも作るか、と食器棚からマグカップを取り出す。


 そして、ふと気付く。昨日氷堂さんが来たんだった。その時のカップはお客さん用じゃなかったっけ、と。思い出してシンクを覗くと、脇のグラス立てにぶらんと干してあった。私はそれを手に取り、冷蔵庫の中の牛乳をレンジで温めた。


「あの、御影さん……。台本、いい?」


「あ、あぁ! そうだよね! ちょっと待ってて!」


「う、うん」


 危ない危ない。おもてなしばかりに気を取られていて本題を忘れてた。私はパタパタとスリッパ音を立てながら急ぎ足で自室へ向かった。まだ一ページも捲っていない台本は、無造作に勉強机に乗っている。それを片手にこれまた急ぎ足でダイニングへと戻った。


「はい、これ。私も昨日渡されたばっかで全然読んでないんだ。よかったら持って帰ってもいいよ?」


「ううん、ちょっと確認しておきたい所があるだけだから。……借りるね」


 美空くんはそう言って台本をパラパラと捲り出した。確認? どこを? 気になったけど電子レンジの呼ぶ音で我に返った。早く牛乳を取り出さないとラムスデン現象が……私あの膜嫌いなんだよね、と熱々のカップを取り出す。


「ごめんね、これくらいしかおもてなしできなくて……。コーヒー少なめにしたけど、甘い方が良かったらお砂糖入れるから言って?」


「……」


「あの……」


「あ、ごめん! つい没頭しちゃって……。ありがとね」


 美空くんは一度こちらに振り返ってにっこり笑った。か、かわいい……。そんな余韻に浸る暇もなく、また台本に目を移した。真剣な顔も素敵。顔がいい人はどんな表情しても様になるんだな、と思う瞬間。


 私も自分のカップを片手に向かいへ座る。「少しだけ」と言ったわりに熟読してる美空くんをチラチラ見ながら、何してよう? と考える。このままお客さんを放っておいて自室に行く訳にもいかない、かといってここにいてもすることはない。ただその綺麗な顔を盗み見することくらいしか……。


 ふとブーブーという電子音が響いて美空くんがあわててバッグをあさった。取り出したのはよく見かけるリンゴ社製のスマートフォン。それも私のより新しい機種。鍵っ子なわりに中学に上がってからママが買ってくれたスマホ、正しくはママのお下がりだけど。そんな私とは違い、ピカピカのスマホを持つ美空くんは、きっと家族に愛されて大切に育てられてるんだろうな、と自分と比較してしまう。


「メール? お家の人? 帰らなくて大丈夫?」


「あ、ううん、友達。貸したいコミックがあるから、明日持って行くねってさ」


「……そっか。マンガ、好きなの?」


「うん、変わったジャンルだから恥ずかしくて言えないけど……友達の影響で結構ハマってるんだ。御影さんはマンガ、好き?」


 変わったジャンル? 恥ずかしいジャンル? 言えないジャンル? ももも、もしかして……。いやいや、早まるな私、冷静になれ私! 誰も百合だとは言ってないぞ? でも待てよ? もしかしたらって事も有り得る。もしかしたら百合好き男子だって事も……。もしそうだとしたら、この上なくお近付きになるチャンスじゃない? 仲良くなって百合本交換し合っちゃうとか、一緒に買いに行っちゃうとか、あげくの果てには……こここ、恋人に……なんて……。


 どうする湖渡子、カミングアウトしちゃう? 今なら流れでカミングアウトできちゃうかもよ?


「わ、私もマンガ好きなんだ……。小説も、読んだりする……。私も変わったジャンルだから……」


「え! ほんと? もしかして御影さんもBL好き?」


「……え? びーえ……」


 『も』って言った?


「同じクラスの子でさ、すんごい腐女子な子がいるんだ。アキバとか池袋まで発掘しに行くんだってさ。仲良くなってからそれを回し読みしてて……あ、激エロなのは読んでないよ? さすがに中学生が十八禁買ってたらバレちゃうからね」


「激え……」


「え、いや、だからそういうのは読んでないってば! あぁ、だから言いたくなかったんだよなぁ……変態だと思ったでしょ?」


 変態、という言葉は胸に刺さりますな……。ジャンルは違えどこちらからすれば百合好きも変態と思われてるんじゃないかという疑念がぐるぐる回ってますからね? 心配な気持ちは分かりますが、こちらこそですからね?


 そして百合じゃなかったのね……い、言わなくて良かったぁ……! 女の子のくせに女の子同士の恋愛が好きなの? っていう浅墓な勘違いをしやがる奴らと同じじゃないよね、美空くんはそんな誤解しないよね? だって自分だって男の子のくせに男の子同士の話を読んでるんでしょ? 同じ事だよね? ノンケでも同性愛作品を芸術として認められるから読んでるって事だよね?


「ぜ、全然思ってないよ! 思ってないどころか偏見ないから。偏見どころか理解あるくらいだから!」


「……ほんと?」


「うんうん、だってマンガとか小説の中の話だもん」


 自分で口走っといてなんだけど、リアル百合ップルのいざこざに巻き込まれた事、思い出しちゃったじゃない……。お話の中、ねぇ……。あの氷堂×永井妹も作り話だったらいいのに。どいつもこいつもノンケでしたー、とかいう平和なオチならいいのに。……んー、まぁあの二人がレズだろうがノンケだろうが、どっちみち私には関係ないのよね。どっちでもいいしどうでもいいから巻き込むのだけはもう勘弁して欲しいもんだわ。


「あ、ごめん。つい語り出しちゃうところだった。もうちょっとで見つかりそうなんだけどなぁ……」


 美空くんは慌ただしくスマホをテーブルに置き、再び台本に目を落とした。傍らに置かれたスマホが光っている。慌てた勢いで画面を消し忘れたんだろうか、ここからでもはっきりと待ち受け画面が見える。


 笑顔の……男の人……。え、待って? 男の子が待ち受け画面に男の人を……? えっと……。み、見ちゃいけない物を……見た?


 こ、これってもしかして、ファーストピンチじゃ……。



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