◆21◆ ファーストリワード
「失礼しまー……って、あれ? 明徒、もう起きて大丈夫? 御影ちゃんも……っていうか、二人で何してんの?」
「が、ガイ先輩……!」
修羅場によくぞおいで下さいました正義のヒーロー……じゃなくて、えっと女子だからヒロイン? 正義のヒロインガイ先輩! って、なんかしっくりこないけどそれどころではない! お宅の狂犬妹が氷堂さんにフラれた勢いでおかしくなって、恋敵と勘違いしてる私のことを襲おうとしてるんですよ! もうあと三秒遅れていたら噛みつかれて生き血を吸われていたかもしれない! ゾンビになったかもしれない! 百合っ子移されたかもしれないー! 早く、早くこの狂犬妹を連れて帰って下さいガイせんぱーい!
「明徒、今日は部活解散になったから帰ろ。うちももう帰るから支度しな?」
「お姉ちゃん! あたしまだおかげこねこに用があるから帰んない! あたしは大丈夫だから先帰ってって!」
「えー? でも……保険医の先生がわざわざうちのクラスまで来て、明徒を連れて帰ってくれって……まだ顔色悪いじゃん」
「うー……」
さすがナイスガイの永井先輩、妹の扱いも冷静。永井妹はしぶしぶ私の腕を放し、「分かった……」と一歩下がった。ただし、私の腕をぶん投げるように放したオプション付き。
「御影ちゃん、明徒の事心配して来てくれたんだ? ありがとね。優しい友達が出来て姉として嬉しいよ。明徒は菜々香ちゃんにベッタリだったから、小学校の時はあんまり友達いなかったんだ。だから仲良くしてくれて嬉し……」
「お姉ちゃんっ! 余計なこと言わないで! あたしはこんな雑食動物と仲良くするつもりなんてこれっぽっちもないし! 帰るんなら帰ろ! 先行くから!」
「あ、待って明徒! ……ありがとね、御影ちゃん。そんなわけで今日は部活ないから、御影ちゃんも気を付けて帰ってね」
ガイ先輩は「それじゃ」と軽く手を上げて、扉を半開きにしたまま出て行った。慌ただしい永井姉妹のやり取りに、ただただ気の抜けた「はぁ……」という言葉しか出て来ない私。こういう時、一人っ子の私には姉妹のキャッチボールが豪速球で行われるのに慣れてないんだなと思う瞬間だった。
少しだけ空いた扉の隙間から下校に急ぐ生徒達の姿が見えた。私もさっさと帰ろう、そう思い直して深いため息を一つ。保健室を出て扉を閉めると、もう一つため息が出た。
なんだったんだ今日は……。バッグを右手に持ち替えして足を進めると、聞き慣れない声に呼び止められた。今度は何? そういう表情が出てたんだろう。振り返った先には一人の男の子が目を丸くしてこちらを向いていた。
「御影さん……だよね? 演劇部に入ったっていう……」
「……そうだけど……」
入部したてですが退部希望です、と口にする前に遮られる。
「あの、今日って演劇部ないの? 顧問の杉山先生が見当たらなくて。御影さんて、部長の氷堂さんと同じ三組だったよね? 三組に行ったんだけど氷堂さんもいなくて……」
「さぁ? 私は氷堂さんと仲いい訳じゃないから知らない。いないなら帰ったんじゃない? さっき演劇部の先輩が今日は部活ないって言ってたし」
「え、やっぱりないのかぁ……。どうしようかなぁ……」
男子くんは少し困った顔で首を傾げた。よく見るとかわいい。本郷くんには負けるけど、ランキングつけられるのなら本郷くんの次にかわいい顔立ち。声変わりもまだまだみたいなのに背だけはヒョロヒョロと高い。このフェミニンな感じ、私の乙女心にズバッとストライーク! だったりする。……もちろん本郷くんの方がかわいい、本郷くんの方が、ね! という言い聞かせは私が浮気性じゃないっていう自分へのアピール。
「い、急ぎの用なの? 氷堂さんの下駄箱見れば帰ったかどうか分かるから、それくらいならまぁ……見てあげてもいいけど……」
私ったら声上ずってるうわずってる! 好みのタイプだと思った途端にあからさまに態度おかしいから! ツンデレみたいな言葉発してるから!
「あ、ほんと? うん、じゃあ見てもらおうかな」
「う、うん……分かった。み、見てくる」
男子くんは笑顔で頷いた。え、え、やっぱり笑顔もかわいい! 本郷くんの次だけどね、次。と言い聞かせながらくるりと背中を向ける。だって、あんまり見てたら鼻血出しちゃうかもしれないし。声上ずってるし。どもってるし。
黙って私の後ろを歩く男子くんは見かけた事ない顔だった。まだ入学して一か月半だからそんな人がいてもおかしくはない。でもおかしいのはこんなにかわいい男子を私が見落とす訳がないのに? って事だった。まぁ一年生だけで六組まであるマンモス中学校だもん、すれ違わなかった人がいても不思議じゃないか……。
ちょっと待って? ガイ先輩の事もあるし、もしかしてこの男子くんも実は女の子だったりして……! いやいや、二度も同じ過ちを繰り返す程、私も腐ってはいない! はず……。私の湖渡子スコープは腐ってはいないはず……。
とは思うものの、やっぱりガイ先輩の時に受けたショックからか、すれ違う人を見送るふりをして後ろの男子くんをチラリと見て確認した。あの時と同じく男子くんもジャージ、でも一つ大きく違うのは、そこにふくらみがなかった事。例え女の子だったとしても、私のようにつるぺたとも言えない程、ない。ない、ないない、ない。つるぺたとかぺちゃパイとか幼児体型とかそういう括りではなくて、どこからどう見てもストンと平らだしまな板だし。まな板よりも洗濯板だし。
「御影さん?」
「え、あ、通り過ぎるとこだった……あはは……」
危ない危ない。いくら男の子といえど、胸元をジロジロ見てたら変態扱いされちゃうとこだった。何度確認したところでないものはない。正真正銘の男の子です、はい。かわいい系男子くんです、はい。
三組の下駄箱まで行くと、遠目でも氷堂さんの上履きがあるのが見えた。すなわちもう学校にはいない。念の為近くまで行って名前を確認するも、やっぱり氷堂さんの下駄箱には氷堂さんの上履きが入っていた。黙って振り返ると、男子くんもそれを見て首を傾げていた。
「帰っちゃった……みたいだね」
「みたいだね……」
「御影さん、もう台本ってもらってる? 今日取りに行きますって言ったんだけど、みんないないみたいだから少し見せてもらいたいんだ」
「台本? ……いいけど……あ、家に置きっ放しだ……。ごめん」
「そっか。少しだけ見ておきたいから、迷惑じゃなければ御影さんち寄ってもいい? あ、もちろん一度帰ってから行くし、玄関先でいいよ。もし迷惑なら遠慮するから」
「え、う、うち? だ、ダメじゃないけど……」
えっとえっと、ママは昨日はお家いたから今日は……ってママのいるいないじゃなくて。玄関といえどうち狭いしちらかってるの見えちゃうし、ってそういう事でもなくて。も、問題はこのかわいこ男子がうちに来る事自体でしょ! もちろん悪い気はしない、かわいいもん、目の保養だもん。百合本たちにも本郷くんにも負けるけど、目の保養過ぎて、二人きりになったら眩しくて鼻血出しちゃいそう……。
「あ、ごめん。名前も言ってなかったや。今日入部届け出した、一年一組の美空。よろしくね」
「え、あ、うん。わ、私は三組の御影です……」
「うん、知ってる」
「だ、だよね……あはは……」
「御影さんっておもしろいね。同じ演劇部だし、仲良くしてね」
や、やっぱり眩しいー! つぶらな目を細めて笑うと余計眩しい! こ、これは青春のスタートラインかも? 華の中学生ライフ突入かも? 地獄絵図の演劇部は餓えた鬼どもだらけだけど、もしかして、もしかしたら、私の中学デビューは美空くんと共に演劇部で咲き乱れるのでは……? あ、いやいや、『乱れる』って言うと私の百合妄想が暴走しちゃうから禁句禁句。『狂い咲く』? ちょっとオーバーだけど狂っちゃうくらい華々しいデビューでもいいんじゃなーい?
うちのマンションの説明を上ずる声でどもる口調で真っ赤な顔で必死に伝える。口より手振りの方が動いてるかもしれない。そんな動揺中の私を全く気にしてる様子のない美空くん。なんて寛大なの! 脳内マップを辿って宙をなぞる姿も、閃いたようにウンウンと頷く姿も輝いて見える。こんなかわいこ男子くんと急展開に青春していいの? という後ろめたさまで覚える。
でも、でもいいよね? この前から女の子たちに散々振り回されてきたんだもん。ちょっとくらい頑張ったご褒美もらってもいいよね? これは頑張ったファーストリワードだよね?




