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◆20◆ ファーストプルーフ

 放課後、私は部活をサボった。


 どこからともなく情報を仕入れて、惜しみなく質問をしてくる志緒先輩にも、永井明徒の姉上であるガイ先輩にも、きっと何かしらの形で今朝の出来事が伝わっているに違いないからだ。突っ込まれたらどんなことを話せばいいのか、どんな顔をしたらいいのか検討もつかない。


 女の子三人の、三人による三角関係でもめました……とでも説明しろと? できるわけないじゃない! それに、これはどの矢印も両想いではないのだから三角関係とは言わないかもしれないし。……それはどうでもいいけど。


 いずれにしても女の子同士の恋愛問題ですなんて言えないでしょ! 変態だと思われるでしょ! 百合本だけでは物足らず、リアルの女の子の恋愛にも首突っ込んでるなんて思われたらどうするのよ!


 私は百合本好きなだけであって、百合っ子なんかじゃ……。


 百合っ子なんかじゃ……。


 ……氷堂さんは、氷堂さんは本当に百合っ子だったのだろうか。本当に私のことを……?


 私の弱みを握って、鎌を掛けて、からかって、単に楽しんでただけじゃないの……?


 でも、思い返すといつも私を見てた。いつも目が合った。何でも知ってた。何で、何で私なんか……。


 私のことなんか……。



「ちょっ、湖渡子!」


「え……うわわっ!」


 昇降口に差しかかる途中、不意に呼ばれて我に変えると、足を止めたのもむなしく私のつるぺたに衝撃が走った。


 ドサドサという数冊の本が散らかる音と、それを見つめてからこちらを睨みつける光景に、なぜ呼び止められたのか把握できた。


「ご、ごめん宇未ちゃん! ボーッとしてて……」


「ボーッとするなとは言わないけど、前見て歩きなさいよね! ぶつかったのがあたしで良かったけど、先輩とかだったら怒られるよ!」


 宇未ちゃんだってもう怒ってるじゃん……とは思っても言えない。もともとは私が悪いのだから、怒られても仕方ないわけで。


「ご、ごめんって! 拾うの手伝うよ」


「あーぁ、これ全部新品なのにぃ……。さっそく折り目ついちゃったなぁ」


「あぁ……本当だぁ。これ、全部宇未ちゃんの?」


「ううん、学校のだよ。図書室にリクエストされてた本が入荷したから運んでたとこだったんだけど……」


「ご、ごめん……! 私が図書室行って謝ってくるよ!」


 イソイソと拾い上げると、宇未ちゃんは少し考えてからため息をついた。そして、私から最後の一冊を受けとろうとしたところで手を止めた。


「これ、届けといてくれない?」


「え? どこへ?」


「リクエストしてた人。入荷待ちだったから、入り次第届けますって伝えてあるの。これから部活? 急いでるならいいけど……」


「う、ううん! 急いでない急いでない! 任せて! どこへ届ければいい? 教室?」


「本当? それ一冊だけでも手伝ってもらえると助かるんだぁ! その人の教室に届けに行ったら、保健室に行ったって言われてさぁ……。その一冊の為だけに、この大量の本持ってまた階段上り下りしなきゃいけないとこだったんだよねー。助かるわぁ。じゃ、お願いね!」


「うん、保健室ね。私、これ届けたら帰るけど、宇未ちゃんは?」


「うーん、入荷待ちの人に届けなきゃいけない本がまだたくさんあるから時間かかるかも……」


「そっか……。じゃあ先に帰るね。気を付けて……」


「湖渡子も気を付けてねー。ちゃんと前向いて歩きなよー?」


 大量の本で塞がれた両手の代わりに、少しだけ浮かせた指をパタパタさせながら「バイバイ」と挨拶をして、イソイソと宇未ちゃんは背中を向けた。


 本当は一緒に帰りたかった……。ここのところずっと別々に帰っていたし、もっと正直に理由をいうならば、あの演劇部に関わらない会話がしたかった。ずっとあの人たちに振り回されていたから、完全に自分のペースを崩されて、乱されて、イライラして……。どんな話でもいい。宇未ちゃんと他愛のない話をして、こんなモヤモヤを忘れたかったのに……。


 仕方がない。託された本をさっさと届けて、さっさと帰ろう。あまり気分は乗らないけど、隣駅の大きな本屋さんへ新しい百合本を拝みに行こう。新しくお気に入りを見つけられれば、きっとテンションも上がるはず……。


 保健室は校長室と職員室を超えた下駄箱への通り道。廊下を行き交う生徒たちのガヤガヤというにぎわいを横目で見ながらたどり着くと、ドアをノックしようと構える身体に緊張が走った。他の教室も職員室も、ノックする時って、なぜ変な緊張をするんだろう?


 スゥッと息を吸って、人差し指の関節で音を鳴らす……。


「失礼します……」


 ガラガラとドアを開けると、廊下とは裏腹な静まり返った部屋が広がっていた。


 誰もいないの……?先生の姿を探してもいないみたいだけど……。この本、渡してもらおうと思ったのに、どうすれば? 病人だか怪我人だかを起こして渡せと?


 二台並んでいるベッドを見ると、奥のベッドはカーテンが閉まっていた。本の待ち人はここで横たわっているのか、少しだけ布のかすれる音がした。


 起きてるのかな? 寝てたら声かけて起こしちゃってもいけないし……。でも、この本を届けなくては宇未ちゃんとの信頼関係にヒビが入っちゃう……。一声だけ掛けておいとまするか……。


「あの……、図書室に入荷待ちしてた本、持ってきたので置いておきますね……」


「……たし……ですか?」


 カーテンの奥から聞こえたかすかな声は、寝起きなのかそうではないのか分からないくらい小さな声だった。どっちにしても気付いてくれたことにホッとして、そっとベッドに近付くと、あちらもサワサワと布団をはいでいる様子。あちら……、えっと名前は……本に貼り付けてある付箋紙に書いて……。


 なが……っ!


「なが……永井さんっ?」


「……なぁんだ。おかげこねこ……。何であんた? 読書部にスワップしてくれたわけ?」


「ち、違うしっ! 宇未ちゃんの……友達の手伝いで届けてきてあげただけだし……。それに私、おかげこねこじゃないしっ、御影湖渡子だしっ。じゃあ、ここ置いておくから。お大事に」


「あっそ。てっきり演劇部辞めてくれたのかと思ってぬか喜びしちゃったじゃない」


「はいはい、みなさんのご希望通り辞めて差し上げますよ! ……って、部長と副部長に言っておいてね!」


 カーテン越しに、有り触れた私たちのいい藍。今朝はあんなに泣いていたくせに、やっぱり噛みついてくるのね! だから会いたくなかったのに、だから関わりたくなかったのに、だからだから……。でも、こうして私に噛みついてくる元気があって、ちょっとホッとしている自分もいたりする……。うるさくて憎たらしい奴だけど、あんな涙を見せられたら……。


 立ち去ろうとする私の背後から、シャッという勢いよくカーテンが開く音。そんな音にさえも、永井明徒の気の強さが現れている。


「待ちなさいよ、おかげこねこっ!」


「……おかげこねこじゃないから、じゃあね」


「待ちなさいよ、おか……御影……湖渡子」


「……何? 私、もうあなたとも氷堂さんとも演劇部の人たちとも関わりたくないんだけど」


「だから、待ってよ!」


 うん、決まった! と、心の中では捨て台詞を自画自賛していたのに、しつこく呼び止める声に仕方なく振り返ってしまった。そこにはイソイソと上履きを穿きながら駆け寄ってくる姿があった。右側を向いて寝ていたのだろうか、右の三つ編みだけ乱れている。


「菜々香ちゃんは? 菜々香ちゃんは帰っちゃったの?」


「知らない。氷堂さんが授業に出てたかどうかも知らない。今日は視線感じなかったし……っていうか私もそんなアンテナ立ててるような余裕なかったし、あったとしても……」


「どんな顔していいか分かんないでしょうね」


「……まぁ」


「でしょうね! 思いっ切りフッたんだから」


 あんたも思いっ切りフラれたけどね、とは思っても口にはしないしない。いつもみたいに威勢のいい口調だったから気付かなかったけど、よく見たら顔色が悪い……。ここで寝てたのは本当に具合が悪かっただけなのかな。


「でも安心していいよ。私はレズでも百合っ子でもないし氷堂さんとどうこうなりたいとも思ってない。今朝も言ったけど、あなたと氷堂さんがどうこうなっても、私とあなたたちがどうこうなることはないから。だから安心して」


「何でそんなにハッキリと断言できるの? 自分の気持ちが絶対変わらないって、どうして言い切れるの?」


「どうしてって……だから、私は女の子には興味ないし、好きだとか付き合いたいだとか、そういう感情にはならないもん」


「そんなの分からないじゃない! あたしはずっと菜々香ちゃんだけ見てた。菜々香ちゃんの側にいた。女の子同士だからとか、そんなこと関係ないじゃない。菜々香ちゃんが女の子だから好きなんじゃなくて、あたしは菜々香ちゃんだから好きなの!」


 そういう台詞、百合本で何回も見かけたことある。実際に聞くのも実物の百合っ子も初めてだけど。でも、共通点といえば、どちらも真剣な顔だってこと……。


「……うん、あなたはそうかもしれないけど、私は氷堂さんだろうが誰だろうが、絶対に女の子を恋愛対象として好きにはならない自信がある。変わらない自信がある」


「あたしは人の気持ちなんて変わると思うもん。じゃなきゃ、変わらないんだとしたら、なんで菜々香ちゃんはあたしじゃなくてあんたを選んだのよ。ずっと変わらずあたしのものでいてくれればよかったのに、なんであんたなんかに……。あたしはずっと菜々香ちゃんだけ……」


「あなた矛盾してること言ってるって気付いてる? 私の気持ちが変わらないって言ったら、なんで変わらないって断言できるのか聞いたよね? あなたもずっと氷堂さんが好きで、ずっと変わらなかったんでしょ? 簡単に変わらないでしょ、人の気持ちは」


「じゃあ、なんで菜々香ちゃんは変わったのよ! なんでこんな簡単に変わっちゃったのよ!」


「知らないけど……」


 私に言われても、それは八つ当たり以外の何物でもないんだけどなぁ……とか思いながら言葉を選んでみる。毎度のようにキャンキャン吠えてるわけではないけれど、氷堂さんのことに関しては何を言っても耳にすら届いてない気がするから。恋愛ってこんなにも盲目になるものだろうか? いや、耳に届いてないから盲目じゃなくて難聴? えっと、分かんないけど、こんなにも執着するものなんだろうか?


 執着……私は本郷くんにストーカーしたり、話している相手に威嚇したことはない。それは執着してないから? 好きだけど、恋愛感情だと思うけど、それは本当の好きって言わないのだろうか……。


 ううん、私だって嫉妬くらいしてるから、ちゃんと好きだって言える! 本郷くんといっぱい話せる宇未ちゃんが羨ましいなぁって嫉妬してるくらいだもん! そう、嫉妬を。


 永井明徒も……私に嫉妬している。氷堂さんのことが好きだから。振り向いてもらいたくて、でもできなくて、やり場のない気持ちは私と同じなんだ……。好きになることは誰かが悪いわけではない、自分が悪いわけでもない、だからやり場のない気持ちが暴走してしまっているんだ……。


「ねぇ御影さん、あたしとキスしてみてよ」


「は……はぁ?! な、何言ってるの? できるわけないでしょ、そんなこと! い、意味分かんないこと言わないでっ!」


「意味分かんない? ちゃんと意味あるよ。ノンケを貫く自信があるなら、あたしとキスしたところで何も変わらないじゃない? あたしもあんたとキスしても何も変わらないのか証明したいの」


「ぜ、全然意味分かんないけどっ! 理由になってないけどっ! そんな証明いらないから! 何に対して証明が必要なのよ! 何の為にっ……」


「菜々香ちゃんが選んだ御影湖渡子、どんだけ素敵な人なのかも証明できるでしょ? あたしが納得できるくらいの証明ができたら、キッパリ諦められるかもしれない」


「いやいやいやっ、言ってることおかしいでしょ! 頭おかしいでしょ! それ誰得? 得どころか何も得られないって! っていうかヤダ!」


「ヤダ? 怖いの? 自分の気持ちが変わらないって自信あるんでしょ? あんたも証明してみてよ、変わらないってこと! あんまりゴチャゴチャいいわけしてると、そのうるさい口勝手にふさぐからね!」




 うるさいのはそっちでしょー! と言う間もなく、私のファーストプルーフは崩れ去ったのでした……。


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