◆16◆ ファーストマッチング
「お邪魔してます」
突然な訪問者は、悠然と部屋から出てくると、横髪を耳に掛けながら微笑んだ。
何て余裕な顔なの? まるで私の心情を察しているかのよう……。さっき宣言したばかりじゃない。もうかまわないって捨て台詞残して去って行ったばかりじゃない。
二重人格なの……?
「ことちゃんにこんな美人なお友達がいたなんて、ママ嬉しくてパンケーキ焼いちゃったー! さぁさ、菜々香ちゃんもこっち来て座って座って。パンケーキって言っても、ホットケーキミックスの粉に牛乳とタマゴ入れて混ぜただけだけどねー! あはははは。おいしければいっか! 食べよ食べよー? 」
「わぁ、御影さんのお母さんて綺麗なだけじゃなくて、お菓子作りも上手なんですね。素敵なお母さんで羨ましいなぁ」
「やだやだー! 菜々香ちゃんたらお上手ねー! 市販の粉だって言ってるじゃなーい。あはははは。綺麗だなんてそんなー! ねぇことちゃん? 」
ねぇって何が……? 何に同意すればいいの? ていうか、何でママこんなにご機嫌過ぎるの?
パンケーキらしきお皿を運ぶママはニコニコ。それを「手伝いますよ」と受け取る氷堂さんもニコニコ。それを見ている私だけがポカーン……。
「ことちゃん、早く手ぇ洗ってらっしゃい。温かいうちに食べよー? 」
「……う、うん」
今日の全ての出来事が、まるでキツネにつままれたような気分。洗面台の鏡に映る自分は、本物の自分なのかと疑ってしまった。多分、私は本物なんだろうけど、異常にご機嫌なママと、学校で最後に見た表情とは全く違う氷堂さんは、キツネかもしれない。いや、タヌキかもしれない。両方かも……。タヌキツネかも……。
あぁ、ついに私もおかしくなってきたか。自宅に帰って来たつもりだったのに、実はパラレルワールドの扉を開けてしまっていたとは。え、違うの? 違っていてほしいけど、違わないなら、これはどう説明できるの?
言われるがままタヌキツネたちの待つテーブルへ向かうと、楽しそうに談笑する二人の姿があった。私が帰って来る間に、この二人に何が起こっていたのか……。
「ことちゃんたらね、あんまりお外で遊んで来ないから、お友達とどうなってるのか分からないとこがあったのよー。でも菜々香ちゃんみたいないいお友達がいて、部活も楽しそうなとこ入ってるし、普通の中学生らしくて安心したわー」
「御影さんの……湖渡子さんの人徳ですよ。仲良くしてもらってる私たちも、楽しい中学生活を送れるのは、湖渡子さんのおかげです。本当にお世話になってるのに、こんなおいしそうなパンケーキまで用意して頂いて……申し訳ないです」
「菜々香ちゃんて本当にいい子ねー。ことちゃん、早く座って食べましょ! もっと色々お話聞かせて? 」
人徳? お世話? 楽しい中学生活? どこにそんなものが? 笑顔で嘘つけるってすごい。これがパラレルワールドのタヌキツネなの?
怪訝そうな私の表情を察知したのか、いそいそとママが私をイスに座らせた。黙ったまま腰掛けて二人を見上げると、目が合った二人もそれぞれ腰掛けた。
ママの言う通り、買い置きのホットケーキミックスを焼いただけのパンケーキに、バター代わりのマーガリンがちょこんと載っている。テーブルの真ん中にはイチゴジャム……ママ? これは朝の食パンセットじゃない。せめてメープルシロップとかハチミツとか掛けて食べたいけど、うちにはそんなおしゃれな物は置いてない。ちょっとだけ分厚く焼いたホットケーキが、ママの精一杯のおもてなしパンケーキなんだろうな……。
「わぁ、おいしいですね。ふわふわで、焼き加減がちょうどいいです。お母さん、本当にお菓子作りが上手で羨ましいです。私の母は、甘い物は作らないので……」
「上手だなんてー! 菜々香ちゃんこそ、お世辞が上手なんだからぁ。でも、お口に合って良かったわぁ。久しぶりに作ったから、実は自信なかったのよー。ことちゃんもおいしい? 」
「……うん」
正直言って、味とか分からない。確かに焼き加減は奇跡的に絶妙なふわふわ食感だけど、ただ混ぜて焼いただけの品を絶賛するのもどうなの? まぁ、料理が得意とは言えないママにしては、上出来な仕上がりだけど、お菓子作りとは大げさじゃない? それに、久しぶりのホットケーキミックス、これいつの? 賞味期限、大丈夫なの?
そんなことより……。
「ことちゃんが演劇部とは、意外だったわぁ。でも、昔から本を読むのは好きだったから、台本を読むのも同じような感じなのかしらねぇ? 早く観てみたいなー、ことちゃんの初舞台ぃ」
「お母さん方がご覧になれるのは、多分、文化祭までのお楽しみだと思いますよ。夏休みの間に演劇コンクールがあって、お披露目するのはそこが初めてですが、観れるのはコンクール出場者だけなんです。あまり稽古期間がないので、湖渡子さんに早く台詞を覚えてほしくて……」
「あぁ、それで台本を届けに来てくれたのねー? わざわざありがとう! ほら、ことちゃんも御礼言わなきゃ! 」
「あ、ありがとう。氷堂さん……」
何で私が御礼言わなきゃいけないの? わざわざ届けに来るなんて、まるで私が台本忘れてきたみたいじゃない。当たり前のように出演する程で話てるけど、強引に入部させたのは氷堂さんだからね?
「菜々香ちゃん、おかわりいる? もう一枚分くらい残ってるから、食べれるなら焼くわよ? 」
「いえ、充分頂きましたし、夕食が入らなくなってしまうので、私は結構です。お気づかいありがとうございます」
「あらそう? そうよね、せっかく夕飯作ってくれてるんだものね。お母さんに失礼よね。お母さんには、出掛けて来るってちゃんと言ってある? 」
「母は仕事に出ているので、今日は祖母が作ってくれてるんですよ。父には、出掛けると伝えてきてます」
「菜々香ちゃんのお母さんもお仕事されてるのねー。うちと同じだけど、お婆ちゃまがいるのといないのとじゃ、お母さんはずいぶん助かってると思うわよー? お父さんもお母さんも仕事に出てちゃ、娘一人に留守番させるの、とても心配だと思うけど、お婆ちゃまがいてくれるなら、すごく有難いわよー」
ママ、それは遠回しに自分の首を絞めてるってこと、気付いてない? 娘一人ほったらかして、仕事だかデートだかに出掛けてるじゃない。そんなことは知らない氷堂さんが、「分かります分かります」って共感しちゃってるじゃない。
「共働きと言っても、父は自宅の一部で商店をやってるので、働きに出ているわけではないんですよ。祖母も同居してますし、母は羽根を伸ばすように働きに出てますね。姑も旦那も一日中一緒だと、息がつまりそうだから外に出ていたいと言ってますよ」
「あぁ、そうなのー? お父さんが自営業でお家にいるんなら安心よねー。うちはねー、パパが単身赴任だし、ママはかたぎなお仕事だから急に出て行かなきゃいけない時もあって、ことちゃんはお留守番に慣れてるのよ。一人にして心配だけど、食べていく為だからねぇ。それもこれも、かわいい娘の為! 」
お留守番に慣れてるだなんて……ママはちっとも分かってない。私に寂しい思いをさせてることも、寂しさを埋める為に本に没頭してたことも……。仕事が大変なのは私だってわかってるけど、そんな言い方ないじゃない。これだからうちのママは……。
盛り上がる二人の会話の進み具合とは裏腹に、気も進まなければ食も進まない私。やっとパンケーキも残り少し、これを早く食べて席を外したい。なんだかんだと、ママはまだ氷堂さんを帰らせるつもりはなさそうだし、台本とやらだけ受け取って、私が部屋にこもればいいんだ。
それにしても、届けに来たという台本はどこなの? まさか、また騙されてるってわけじゃないでしょうね?
「そうですね、私もたまに店番を手伝いますが、一人もお客さんが来ない日もあって、商店で食べていくのって大変なんだなぁって思う時があるんですよ。家族が生きていく為に働くって大変さ、ちょっと分かります」
「分かるー? くぅー! 菜々香ちゃん、さすが子役モデルやってただけあって、働く大人を間近で見てる子は、やっぱり働くことがいかに大変かを分かってる! いやぁ恐れ入るよ! ことちゃんにも、その大人な考え方と物分かりの良さ、少し分けて分けて! 」
「いえいえ、私なんて……。湖渡子さんだって、お母さんがデザイナーだなんて、素敵なお仕事されてるんだから誇りに思ってるんじゃないですか? ねぇ、御影さん? 」
黙々とお皿に向かっていた私に、急に二人の視線が突き刺さる。もうちょっとでおさらばできたのにー。なぜここに来て私に振るか?
え? ちょっと待って? 子役モデル? 氷堂さんが? まぁ、確かに美人さんだし、ナイスバディだし、やってても不思議ではないけど……。
「うちのママがデザイナーだって知ってるの? 私は氷堂さんが子役モデルやってたこと知らないけど……。ママも氷堂さんも、ずいぶん仲良くなったんだね。ママも良かったじゃない、良き理解者が出来て……」
「あら、ことちゃんたらヤキモチ? 」
「……違うし。ママの仕事の理解者が増えて良かったねって言ってんの」
ママはいつでもおめでたいな。そのポジティブシンキング、ちょっと分けてほしいくらいだよ。
「そりゃそうよー。ママのデザインしたティーンズブラのモデル、菜々香ちゃんがやってたんだもーん。まさか、ことちゃんと同じ中学だなんて思わなかったけどねー。ほんと、偶然ってすごいわよねー? 」
「ですよね。私も、まさか湖渡子さんのお母さんだとは思いませんでした。お若いし、私と同い年の娘さんがいらっしゃるようには見えませんし」
「いやーん! またぁ菜々香ちゃんたらぁ! 」
ティーンズブラ……? それって……。
「ね、ねぇ氷堂さん! その下着姿の広告とかって、ネットに載せてたりする? 」
「そりゃあ、宣伝の為にモデルしてるんだから、ネット上にも広告は載るけど……。それが何? 」
せ、先生? し、下着を売ってるって……、変態なおっさんが買い取るアレじゃないみたいです……。噂はいかがわしいことではなかったみたいですよ……?
あ、あはははは……。
先生、ブルセラ疑惑の噂は、ファーストマッチングしましたぁ……。




