◆13◆ ファーストサブジェクト
私の勘違いによる、「ガイ先輩は男の娘ではない事件」から一時間後、ミントとかいう妹の入部届けが提出された。勝ち誇ったようにほくそ笑む顔がうっとおしい。それは私だけでなく、氷堂さんもまた、同じことを考えているようだった。
サディスティックな氷堂さんのどこがいいんだか、ドエムなの? どうでもいいけど、私に敵意を燃やすのはお門違いだと思う。
氷堂さんは、百合本を人質に私の弱みを握った上、「御影さんが許可するなら入部届けを受け取る」という条件で明徒に頭を下げさせ、ほとんど脅迫な勧誘に成功してご満悦……。よくもまぁ次から次へと、手段を変えて貶められた感じだ。 そのドエスで鬼畜な氷堂と一緒の部活に入れて、これまたご満悦の永井明徒。そんな妹に苦笑いのガイ先輩。それを見て、ただ楽しそうに笑っている志緒先輩、この人は多分空気を読み切れていないだけの様子。
私、こんな部活でやっていけるの? やっていけない自信しかない。
女の子だらけの部活なんて、青春中学生ライフとは縁遠い状況。女の子だらけなのは、二次元だけで間に合ってるんですけどねー……。
はぁ……。素敵な部長とやらにときめいてる宇未ちゃんが羨ましい。うちの部長は、素敵ってよりも「無敵」って感じだし。いつになったらお宝を返してくれるのか、今のところ微塵の隙も見せない手ごわさなんだけど……。
帰る素振りのない四人と時計を、私の目は行ったり来たり。時刻が五時をちょっと過ぎた頃、言い出したのはガイ先輩だった。
「あっ、うち六時から塾なんだ。制服に着替えなきゃだし、先に帰るねー」
「お姉ちゃん待ってよー! あたしも帰る支度するからー! 菜々香ちゃんも一緒に帰ろ? 同じ方向なんだし」
帰れ帰れ、甲高く吠えるうるさい子犬め。ついでに鬼畜氷堂も連れて帰っておくれ。
「ガイちゃんたち帰るなら、あたしも帰ろうかなー。家近いし。菜々ちんは? 」
「そうですね、今日は解散にしましょうか。みんちゃんとは帰らないけど」
「なーんでー! 菜々香ちゃん何でそゆこと言うのー! 」
「……みんちゃんがうるさいから」
「えぇー! うるさくしないから、一緒に帰ろうよー! 」
それがうるさいってことなんだけどなぁ……という事実に気付いているなら、こんなにやかましくないか。まったく、なぜ避けられるのかを、考察したことがあるのだろうか。
「じゃあ帰る前に、新入部員の二人には台本を進呈しておくねー。じっくり読んでくるように! 」
「わーい! 志緒ちゃん先輩ありがとー! 実はお姉ちゃんの台本、こっそり読んでたんだよねー。ひひひ……」
「やっぱり明徒がいじってたのか。うちの机にあったりなかったり、読もうと思った時にないから、おかしいなと思ってたんだよなー」
「いいじゃん台本くらい。お姉ちゃんと彼氏の交換日記は読んでないからさー」
「えっ! み、明徒、何で知って……。あれは違うんだよ! 交換日記とかじゃなくて……」
ガイ先輩、彼氏さんと交換日記なんてやってるんだ。ちょっと想像つかないなぁ……。というか、さっきまで男の娘だと思ってた人が乙女っぽいことをしてると、何でも意外だと感じてしまうだけなのかも。
それより、交換日記の存在をみんなの前で暴露する妹、最低すぎる……。ガイ先輩、めっちゃ顔赤いし、志緒先輩はこれまた空気察してないのか、ニヤニヤしてるし。交換日記といえば乙女の秘め事アイテムなのに、その存在を暴露されちゃあ恥ずかしいわなー。
姉妹喧嘩というより、一方的な妹の横着武人な暴露大会と、それを慌てて否定してるんだか誤魔化してるんだかの姉の防戦。言ってる矢先から騒々しく繰り広げられるやり取りをしながら、永井姉妹と志緒先輩は視聴覚室を後にしていった。
それに続いて立ち去ろうとしている氷堂さん、こちらに小さく手を振って帰ろうとしている。騒ぎに紛れて百合本を返してもらうタイミングを逃していたけど、廊下へと消えていく一同が背中を向けている今こそ、チャンス!
「氷堂さん、か……返して! もう充分でしょ? 言われた通り、演劇部に入ったんだし、約束でしょ! 」
「返してって何のこと? 何か借りてたっけ? 」
「借りてたっていうか、勝手に人質にしてたじゃない。それと、秘密も守ってもらうからね! 」
「あぁ、これ? 」
いつの間にしまっていたのか、氷堂さんは天使ちゃんたちが描かれているそれをバッグから取り出し、顔の横でぱたぱたと仰いでみせた。
お、おのれー! もう挑発には乗らないんだからね!
「目的は達成したんだから、気が済んだでしょ! 私の初めては返って来ないけど、それだけは返してもらうからね! 」
「何かやらしーね。その初めてって言い方。まるで私が御影さんのバージンを奪ったように聞こえるなぁ……」
「バ、バージ……。やめてよね! 傍から聞いたら誤解するじゃない! 」
「えー? だから、御影さんがいやらしい言い方するからでしょー? 」
こ、この鬼畜っ! ああ言えばこう言う!
「そんなに私をからかって楽しいの? こんな形で入部しても、私はぜんっぜん楽しくないんだけど! 」
「あぁそうなの? じゃあ、楽しくさせてあげようかなぁ……」
もうこの展開は読めた! 絶対ここで迫ってくるんだ!
案の定、にじり寄ってきた氷堂さんを躱すと、一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにさわやかな微笑みを見せた。
「何度も同じ手にかかると思わないでよね! 」
「あらら、想像ついちゃったの? それとも期待してたのかなぁ」
「期待なわけないでしょ! 二度とその手は食わないんだからねっ! 」
どや顔の私をしばらく眺めた後、「ふぅん」とつまらなさそうな相槌が聞こえた。あっさり諦めた相槌ではないことは、その言葉の軽さが証明している。
「人を待たせてるからあまり長話できないけど、どうしてそんなに私とのキス嫌がるか聞きたいなぁ」
「しつこいなー。誰でも嫌だって言ったでしょ! 氷堂さんだって、誰とでもは嫌だって言ってたじゃない」
「そう、誰でもは、ね。でも、私は御影さんとしたいなぁって思うけど? 」
「い、意味分かんない! 分かんないし、仮にそうだとしても、氷堂さんは同意って言葉を知らないの? 私にしてきたことは、同意の上でじゃないからねっ? 」
「んー……。それじゃあまるで、私が襲ったみたいに聞こえるなぁ」
「……聞こえても仕方ないことしたよね? 」
「そう? まんざらでもなかったでしょ? しばらく余韻に浸ってたくせに」
どういう解釈したら余韻に浸ってたように見えるのっ! 私が初めてを奪われて、へらへら喜んでるとでも思ったの? それとも嫌味?
言い返そうとすると、肩にぐっと力が入る。いつもこのペースに乱されてばかりだけど、逐一踊らされてたら向こうの思うが儘……、そう思って、自然と言葉を飲み込んでいた。
反撃に出ないのを察したのか、しばらくの沈黙の後、氷堂さんは諦めたようにため息をついた。
そして何も言わず、窓際の机の上に天使さんたちを置いて振り返った。
「つまんないのー……」
窓の外を覗いて、ぼそりと呟くその姿はまるで、満点のテストを見せたのに褒めてもらえなかった子供のよう……。ちょっとかわいい……。いやいや、そんな風に見たら、また突っ込まれてしまうじゃない。これもきっと敵の作戦よ。気を抜いちゃダメ、湖渡子!
このファーストサブジェクトを乗り越えれば、天使さんたちはすぐ目の前……!




