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アラフォー刑事と犯罪学者  作者: 新橋九段
Study 3 ツイン・チャイルド
26/31

7.おおきなかぶ

「希望さんは休み時間にはよく絵を描いて過ごすんですか?」

「えぇっと……それは」

 紫木の口調では当人と教師のどちらに聞いているのかわかりにくく(目線が鞄へ行っているでなおさらだ)、塚本も希望ちゃんも助けを求めるような視線を私へ向けてくる。仕方がないので私が手ぶりで希望ちゃんに促すと、彼女は遠慮がちに首を縦に振って答えた。

「答えはイエスだって、先生」

「なるほど。ちなみに本はよく読みますか? 外ではどのくらい遊びますか?」

 矢継ぎ早の質問に私はため息をついた。自分で大丈夫だと言ったのに……あるいはこれは塚本への質問なのかもしれなかった。

「本はあまり読みませんね。外ではよく遊びますが」

「ははぁ」

 塚本も口調から自分への質問だと受け取ったのか紫木へそう答えた。彼は相変わらず鞄へ向かってゴソゴソとやっている。

「ねぇ先生、あなた一体何してるの?」

「あぁ、すいません。なんか引っかかってうまく出てこなくて……でももう、大丈夫です」

 たまらず私が尋ねると、紫木がひょこっと顔を上げて答えた。ようやく姿勢を正した彼の手にはなぜか小学一年生の教科書が握られている。国語と算数のものだ。

「ちなみにですが運動神経はいい方ですか? 悪いですか?」

「標準程度です。決して悪くはない……運動会では徒競走で二位でしたよ」

「そうですか」

 塚本は希望ちゃんの方を見て褒めるように付け加えるが、紫木はさほど興味なさそうに答えるだけだった。

「さてここから本題なのですが」

 紫木は改めて塚本の方へ向き直って言う。さっきまでの質問の意図はさっぱりわからないけど、彼にとっては枝葉末節だったらしい。本題という言葉を聞いて塚本にも緊張の色が見えた。

「大阪府警の調書では猪目希望さんに知的障害の疑いがあるということになっていました。この証言をしたのはあなたですか?」

「ええっと、まぁ……」

 紫木の質問に塚本は躊躇いがちに答える。当人である希望ちゃんがそばにいるから答えにくいのだろう。もっとも小学一年生の彼女に知的障害なる言葉の意味が理解できるとは思えず、現に彼女はぽかんとして紫木と塚本のやり取りを眺めているだけだった。

「それはどういうきっかけでそう思ったのですか? 児童の知的障害を疑うということはそれなりの理由があると思うのですが」

「あぁ、それは……彼女は成績が良くないんですよ。国語が特に。算数も計算はできるのですが文章題になると全然でして」

「国語ですか……」

 結局塚本は開き直って素直に話し始めた。希望ちゃんは早くも二人のやり取りに興味を失ったようでお絵かきの続きをし始める。

 一方紫木は国語というキーワードに反応して目を細める。眼鏡の奥で黒目が怪しく光った。

「希望さんは国語の特に何が苦手ですか? 読みですか? 書きですか?」

「読みですね。音読はさっぱりで困っていると親御さんからも話がありました」

「じゃあ漢字は覚えられると?」

「わりに、そうですね」

「ちょっといいですか、先生」

 意図のわからない質問の応酬に耐えかねた私はいったん紫木を制した。彼はちょっと不満そうな顔をして「何ですか?」という。

「先生、この質問はいったいどういう目的でしてるの? きっと関係はあるんだろうけど、わからなきゃ答える方も戸惑うでしょう?」

「目的ですか? そりゃあ、希望さんの知的障害が本当に知的障害なのか確かめているんですよ」

 私はわざと塚本に聞こえる音量で紫木に尋ねる。十二月の二の舞はごめんだ。相手は小学校の教師なので子供の前でまさか怒り出すことはないと思うけどあとでクレームを入れられるのは困る。今回は特に、紫木が正式な協力者として捜査に参加している以上京都府警全体の責任になりかねないから注意が必要だった。

「さっき言ってたことでしょう? 大阪府警の話が本当か確かめるって……具体的にはどういうことなの?」

「つまりですね、外形的に知的障害のような様態を示していても本当に知的障害があるかどうかは知能検査をしてみないとわからないのですよ。例えば、塚本先生は希望さんの成績が悪いことを理由に挙げていましたが、成績が下がる理由は知能だけではありません。塚本先生」

「はぁ」

 不意に水を向けられた塚本先生は口を中途半端に開けたまま応じる。

「希望さんの知的障害を疑った理由は何も成績の悪さだけではないでしょう? 成績の悪い子供なんて山ほどいます。でも塚本先生はその全員に知的障害があるといちいち疑っていたわけではないですよね?」

「そうですね……希望ちゃんは音読が苦手だと言いましたが、それがほかの子供に比べて極端なんです。平仮名だけで書かれた文章も読むことが難しくて……読めなさがちょっと異様というかなんというか、他の子と違うんです」

「おそらくですが、行を飛ばして読んだりするでしょう?」

 紫木が自信満々に言ったその言葉を受けて塚本は驚いたような顔をする。

「……なぜそれを?」

「典型的な症状ですね。確かめましょうか。希望さん?」

 紫木に突然声をかけられて希望ちゃんはびっくりしたように顔を上げる。彼が来てからこうして翻弄されてばかりで、私は彼女に悪いような気がしてしまう。

 もっともそんな罪悪感は紫木には一ミリもなく、彼は平然として持ってきていた教科書を彼女の前に広げる。

「ここの文章、読んでみてもらえますか? 大きな声でね」

「うん……」

 紫木が開いたのは『おおきなかぶ』のページだった。これ、私が小学生のときも読まされたと思うけど学校ではまだ使ってたんだと場違いなノスタルジーにかられた。

 希望ちゃんはおずおずと教科書を受け取るとそのページを声に出して読み始める。

「おじいさんが、かぶの……あまいあまいかぶに……かぶになれ……おおきなおおきな……抜こうとしました?」

 希望ちゃんはそこまで読むと首を傾げてしまう。それにつられて私も首をひねった。話が全然通じていないというか、飛び飛びになっているような……。

 少し背筋を伸ばして教科書を覗き込むとその理由が分かった。どうやら希望ちゃんは教科書に書かれた文章を一行ずつ飛ばして読んでたらしい。紫木の言う「行を飛ばして」はこういう意味か。

「では、今度はこれを……」

「……なにそれ?」

 紫木はまた鞄から何かペラペラとした謎の物体を取り出して希望ちゃんへ手渡す。それは真っ黒で中心にスリットのような穴が開いているだけの珍妙なシートだった。紫木はそれを教科書の上に乗せ、スリットから文章が一行だけ見えるようにする。

「いま見えている行を読んだら次の行が見えるまでこれを左にずらして読んでみてください。さぁ」

「うん、えっと……おじいさんが、かぶの……たねをまきました。あまいあまいかぶに……なれ。おおきなおおきな、かぶになれ」

 紫木は希望ちゃんとシートを一緒にもって、彼女の音読に合わせて左へずらしていく。そうすると希望ちゃんは、今度は行を飛ばすことなくしっかりと読むことができた。塚本もそうだけど、なにより本人がそのことに驚いているようで教科書を見る目を見開いている。

「もう十分です。ありがとうございました。あ、そのシートは差し上げますよ」

「ちょ、ちょっと?」

 紫木はもう満足したらしくさっさと教科書を片付けて始める。彼にとっては十分かもしれないが私にとっては十分ではないので私は慌てて彼を制止する。

「証言の話は? それを確かめないと問題解決にならないでしょう?」

「いえ必要ないでしょう。神園さんは過不足なく聴取してくれたみたいですし、なにより……」

 紫木は立ち上がって杖を手に取った。

「猪目希望さんは知的障害ではありませんから、証言を疑う理由は消滅しました」

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