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アラフォー刑事と犯罪学者  作者: 新橋九段
Study 1 地上の星
13/31

5.可能性の芽

「早速なんですが、お話を伺っても?」

「ちょっとだけ待っていただけますか……あ、どうぞお掛けください」

 私の問いかけに、紫木はスチールラックの方を向いたまま答えた。彼の研究室は壁一面のスチールラックと端におかれたデスク、今腰かけているイスとテーブルを除けば家具らしいものはなく、殺風景極まりなかった。先程まで暗く狭い廊下を歩いていたからか、きちんと照明と暖房のついた部屋を寒々しく感じることはなかったが、寂しくは思った。ラックには彼の専門と関係があるのだろう本や論文がきれいに収められていたが、ラック自体には空きが目立った。

 私は紫木の勧め通りに、椅子に腰を下ろした。彼はラックからプリントが挟み込まれ分厚くなった紙製のファイルを1部引き抜くと、それを開いてパラパラと中身を見た。紫木はしばらくそうしたあと、そのファイルをデスクの上に置かれた段ボールの中に入れてガムテープで蓋をした。

「はい、お待たせしました」

 紫木はそう言うと私の正面に位置するように腰かけた。

「あれは一体……」

「結城さんの作った資料です。卒業論文に向けて。遺族の方が、何でもいいから結城さんの残したものがあれば欲しいと言っていたので送ろうと思いまして。今すぐでなくともよかったのですが、仕事を半端にしたままにするのが苦手な性分でして」

「……はあ」

 私がおもわず尋ねると、紫木は事もなげに答えた。教え子が死んだというのに実にあっさりした反応だと思った。

私は、その答えに曖昧にしか反応できなかった。当たり前だけど、被害者には残された人々がいる。彼らを「遺族」にしてしまったのは、私が6月にヘマをしたせいなのだ。警部の言葉を噛み締めるようなことはしなかったが、それでも胸のあたりが締め付けられるような感覚を覚えた。

「それで……えっと、僕は何をお話したらいいのでしょうか」

 私が押し黙っていると、紫木が困ったような口調で聞いてきた。彼は私と相対してから、目を合わせようとしなかった。黒目が大きいせいで視線がわかりにくいが、いつも少しずれたところを見ている印象がした。とはいえ、別にやましいところがあるようなそぶりではなく、単にそれが彼の癖なのだろうと思えた。口に手を当てたり、かと思えば手元のペンをいじったりせわしないところを見るに、元々人を相手にするのが苦手でもあるのだろう。

「あ、えっと……その結城望実さんの指導を先生は担当していましたよね?事件のあった日やその前に、何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったところですか……」

 私の質問に紫木は何かを思い出すように瞳を泳がせた。

「いや、特にはそんな感じはなかったですね。いつも通りって感じでした。僕は指導の場ぐらいでしか結城さんに会いませんでしたから、他のところでどうだったかはわかりませんが……」

「では、結城さんは交友関係で何か問題を抱えてはいませんでしたか?」

「んん……」

 今度はしかめ面になりながら紫木が答える。

「いや……そんな感じもなかったですね。誰かから恨みをかうような人では……ああでも、ちょっと我が強いところはあったかもしれないですね……」

 あまり歯切れのよくない回答だった。彼は学生そのものには興味のないタイプの教員なのかもしれなかった。

「そうですか」

 私は、資料に目を落としながら相槌を打った。資料には今までの捜査で得られた情報が簡単に書いてあったが、殺害の動機になりそうな情報に関しては「特になし」と、いかにも投げやりに書いてあるだけだった。新聞記事にあったように、警察の大部分は六月と同じ犯人による通り魔殺人と踏んでいたから、真面目に調べる気にならなかったのだろう。

 それ以上聞くことが思いつかず、私は黙り込んだ。エレベーターと同じ気まずい空気が、部屋に充満する。ちらりと紫木の方を見るが、彼の目線は相変わらず私からずれた方向を向いており、彼から話題を振ることはまずなさそうだった。

「あー……、紫木先生のご専門は犯罪心理学でしたよね。具体的はどんなことを研究してるんですか?」

 とりあえず紫木の専門の話を振ってみる。これも私が普段から捜査でよくやる手だった。とにかくなにか話さないことには、相手との距離は縮まらない。距離を縮めないことには、情報を引き出すことも難しいと思うからだ。それに、私が本当に聞きたかったことであるプロファイリングの話に繋がる布石になるかもしれない。

「いろいろ手広くやりますけど、専門と言えば原因帰属ですかね」

 手は相変わらずそわそわとペンをいじっているが、先程より紫木の口調がはきはきとしている。

「原因帰属?」

「ええ、犯罪の原因帰属。その人がなぜ犯罪を犯したのか、その原因は何かという推測を人がどのようにするのかを明らかにするのが僕の専門です」

 どうも紫木は、自分の専門になると饒舌になる人間のようだ。心なしか、目にも多少生気が宿り始めたように見える。

「へぇ……原因そのものを調べるのではないのですね」

「そうです。あくまで原因の推測がどうなされているかを明らかにするのです。その人の内的なものに帰属するのか、外的なものにするのか……」

「はぁ……他にはどんなことを?」

「今まで手を出したものだと……防犯、犯罪報道の影響、量刑の決定メカニズム……あたりでしょうか。共同研究を手伝っただけなら、社会心理学とかもやるのですが」

「へぇ……」

 あまり詳しい話になると、置いてきぼりをくらいそうだったので話を広げてみたが、逆効果だったようだ。なんとなく意味は分かるが、正確なところはよくわからない。そういった単語がずらずらと出てきてしまった。でも少し、距離は縮まりつつある気がした。

「じゃあ……プロファイリングとかをやったことは?」

 この流れなら、聞けるだろう。そんな期待が見えたので、私は紫木に質問をぶつけた。

「プロファイリング……ですか」

 一瞬、紫木の眼が笑ったように見えたが、彼が眼鏡の位置を直そうと手を挙げたために隠れてしまった。手が元の位置に戻った時には、先程と同じ濁った眼に戻っていた。

「あれは僕の興味の範疇外なので、研究はしていません。まあ、やろうと思っても技術的に不可能だというのもあるのですが」

「技術的に不可能?」

「ええ、一口にプロファイリングと言っても色々種類がありますが、大半は特別な技術とか機材が必要なので素人には手が出せないのですよ。あれが出来れば、強力な武器にはなるのですが」

「そうか……」

 あまり当てにしていたつもりはなかったが、それでも淡い期待があったので、プロファイリングが出来ないという宣告は効いた。やはり、自分の足で何とかするしかないのだろうか。急に体が重くなった気がして私は肩を落とした。

「というか、確かプロファイリングは警察に専門の部門があるはずですが……」

「いや、ちょっとした事情があってそれには頼れないと言いますか、別に頼れないわけではないですけど、頼らずに解決したいというか……」

「どういうことですか?」

 紫木は怪訝そうな顔をして尋ねてきた。表情こそ気難しそうだが、その眼は興味津々、といった彼の内心を雄弁に語っていた。私は、部外者である彼にどこまで事情を話していいか逡巡し、結局自分の置かれた状況はあらかた話してしまうことにした。自己呈示方略。自分の話をすると相手も協力してくれる。取り調べの教科書の一節を、不意に思い出した。心理学者の目の前だからだろうか。

 私の事情、降格一歩手前であることやそれを回避するために自分1人で事件を解決したいことなどを聞くと、紫木は腕組みをして考え事をするようなそぶりを見せた。そしてしばらく間があったあと、

「ダメ元でいいなら、やってできなくはないですけどね」とつぶやいた。

それはエレベーターで発したときのような、消え入りそうなものだったが、何故かパトカーのサイレンほどにも大きく聞こえた。私が顔を勢いよく挙げると、初めて彼と目が合った。彼はそれに気がつくと、またすぐに目線を外して、窓の方を向いた。

「できるんですか?」

「ええ、まあ」

 私の恐る恐るの問いに、紫木が堂々と返した。さっきまでの落ち着きのなさが嘘のようだ。


 そうして、冒頭のシーンに戻るというわけである。しかしさっきまでは頼りになりそうだった彼の態度が、説明を聞いた後では嘘っぽく見えてしまう。

 しばらく私と彼とでにらみ合うような、見つめ合うような居心地の悪い間があったあと、私の携帯がポケットの中で振動した。私は紫木に失礼と言ってから、それを開いた。ディスプレイには「井原警部」の文字が表示されていた。

「もしもし、警部ですか?」

「おい神園!事件だ!また通り魔が出たぞ!」

「通り魔!?」

 私が電話に出ると、警部が私の発言を遮るようにして、興奮気味に声を荒げた。私の驚きの声は紫木にもしっかりと伝わっていて、彼もまた驚いた表情をして立ち上がった。

「現場はどこですか?」

「鴨川の河川敷だ!塩小路通りのすぐそば!京都駅の東だよ!」

 京都駅の東。その言葉にハッとして、私は紫木の方を見た。彼はこちらではなく床の方を、何かを考えるように見つめていた。そして一言「早すぎる……」とだけ呟いた。

「おい聞いてんのか神園!早く現場に来いよ!聴取はもう終わっただろう!」

「……うん?あ、はい!すぐ行きます」

 うわの空から引き戻された私の慌ただしい返事を最後まで聞かずに、電話は切れた。私は携帯をしまうと、紫木の方に向き直った。

「当たりましたね、本当に」

「刑事さん、その現場の初動捜査が終わったら、今までの事件との特徴をよく洗い出してみてください。どんな些細な違いでも見逃さずに、です。僕の予想だと恐らく……いえ、まだいい加減なことは言わないで起きますが……」

 紫木は歯切れ悪く、しかし今までにも増してはっきりとした口調で私にそう言った。そしてポケットからスマホを取り出して少し操作すると、私に画面を向けてきた。画面にはQRコードが表示されていた。

「……なにこれ?」

「LINEのIDです。何かあったら連絡を」

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