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アラフォー刑事と犯罪学者  作者: 新橋九段
Study 1 地上の星
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4.鹿鳴館大学文学部心理学科助教

 大学というのは、とにかく敷地が広いものだ。京都市内の北に居を構える、由緒正しいらしい鹿鳴館大学も例外ではない。私がよく知っているのは、自分が属していた法学部のあるキャンパスの東くらいで、例の学者センセーがいる文学部のある方向とは真逆だった。そのために、文学部棟を探してしばらくキャンパスをさまよう羽目になった。

 大学構内には銀杏の木が林立していて、真黄色に色づいていた。11月とはいえ空気は冷たく、風が吹くたびに肌が斬れるような感覚に見舞われる。それでも程よく澄んでいて、肺にたまっていたよどんだものが、歩を進めるたびに入れ替わっていくようだった。気持ちが沈んでいたのは、ずっと部屋に閉じこもっていたせいもあるのかもしれない。

 風に飛ばされないようにしっかり押さえながら、資料をもう1度確認してみる。学者センセーの名前は紫木といい、専門は犯罪心理学と書かれていた。

 私が交番勤務行きを回避し、他の刑事をぎゃふんと言わせつつ失敗を取り返すには、彼らを出し抜いて私自身の手だけでこの事件を解決するしかない。他の刑事に手伝わせたらその分成果を割り引かれる恐れもあったし、そもそも私の成果とみなされない可能性すらある。私の刑事人生はそういう困難との戦いでもあった。その点、犯人をピンポイントで絞れるらしいプロファイリングはピッタリに思えた。この半年間捜査して目星すらつけられなかった犯人を私が突然引っ張っていったら、彼らの立つ瀬の方が無くなるというものだ。

 あまりにも希望的な観測だが、少しはこの外出に意義がありそうだということを確かめると、足が少し軽くなったように感じた。

 講義棟と思しき西洋風の建物をいくつか抜け、目的の文学部棟にたどり着いた。私立大学にしては古ぼけた建物だったが、そういえば我が法学部棟も人のことは言えない状態だった。私が卒業した時からあまり建物の改修は行われていないようだ。

 重たいガラス戸を押して中に入り、入り口そばのネームプレートで紫木先生の所在地を探す。五十音順に並んだそれの最後に、「A711 助教 紫木優」の文字列を発見できた。プレートの中では比較的新しいので、最近着任したのだと思われた。優という名前からは性別を推測できなかったが、根拠もなく男な気がした。犯罪心理学という分野のいかめしさがそう考えさせたのかもしれない。

 手元の資料に挟んであったメモには、既に面会のアポはとってある旨が書いてあったので、そのままエレベーターで7階まで上がることにした。予め訪問を知られて、嘘の供述の準備などをされるとまずいので私なら事情聴取のためにアポを取るなんて絶対にしないが、最近は市民も警察に協力してくれなくなりつつあるし、捜査のスタイルも丁寧にしていく必要があるのかもしれない。

 エレベーターホールは日があまりささず、電気もついていなかったので薄暗かった。1人きりの空間に肌寒さが強調されるような気がして、私は手をこすり合わせながらエレベーターを待った。間の悪いことに、3機もあるエレベーターが全て上の方に行ってしまっていて、しばらく待たなければいけなさそうだった。

 私がそうしてエレベーターを待っていると、背後の玄関の方から普通の人の足音とは違う、何か固いものを突くような音が近づいてきた。ちらりと後ろを振り向くと、スーツ姿の男がうつむき加減に歩いてきているところだった。一瞬の脳裏に6月のことがよぎったが、よく見るとスーツ以外あのときの男とは何ら共通点がなかった。酷い猫背で小柄に見えるその男は、見た目の年齢からこの大学の大学院の学生か若い教員だろうと思われた。老け具合からおそらく後者だろう。銀縁眼鏡の奥には生気の薄い、黒目の大きな瞳が覗いており、外の冷たい風にあてられたのか潤んでいることもあって、死んだイカの眼を連想させた。男は杖をついており、よく見ると右足が義足になっていた。

 視線を義足から顔に戻すと、男は例の眼でこちらを不審そうにちらちら見ていた。刑事の習い性で、そのつもりもないのにじろじろと見てしまっていたらしい。特に義足を眺めていたのは行儀がいいとはいえなかったので、私はすぐに彼から目をそらした。そうしている間にエレベーターが1階に到着し、目の前で口を開いた。私が中に入ると、男もそれに続いた。さっきの気まずさもあったので、私は7階のボタンを押した後その男に、

「何階ですか?」

 と声をかけた。すると男はちらりと操作盤を見て、消え入りそうな声で「いや……」とだけ呟いて視線を床に落とした。扉が閉まり、小箱の中を少しいたたまれない空気が支配した。

エレベーターは途中で止まることなく七階まで上がり、再び口を開いた。扉を開くボタンを押し、男を先に出してやると、男はぎくしゃくした会釈をしながら逃げるように立ち去った。私もそれに続いてエレベーターから出ると、A711号室を探す。そばにあった地図を見ると、この階の端にあるようだった。1階と同様に薄暗く寒気のする廊下を歩いていくと、さっきの男が端の部屋に入っていくのが見えた。もしやと思いその部屋の前まで行き、扉を見ると、そこには「A711 紫木研究室」の文字があった。

私が扉をノックすると、中から「はい?」と声が上がった。突然の訪問者に驚いたのか声の調子が外れていたが、さっきの男と同じ声に聞こえる。事情聴取の相手に対して、心理的に優位に立てるなら都合がいい、仕事のリハビリ相手になってもらおうと勝手に決め、思い切って扉を開いて部屋の中に踏み込んだ。

「お邪魔します紫木先生。京都府警の神園です。お電話しましたように先日の殺人事件の件でお話を伺いました」

 いつもの使っている口上を一息に言い切る。長い休みを経てもこの手続きは体がしっかり覚えていてくれた。部屋の中では先程の男が少し慌てた様子でこちらを向き、じっと見つめてきた。本棚に向かって、何かを探している途中だったらしい姿勢で固まっている。

しばらくして事態を把握したのか、彼は咳払いし、迎え撃つように両手を軽く広げて口を開いた。

「刑事さんですね。お電話で事情は伺っています。僕が紫木です。さっきからお待ち申し上げていましたよ」

いや、嘘つけ。

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