カクゴ
それから数日後、施設内のジムで汗を流していた俺の元に見慣れない姿の男が訪ねてきた。スーツ姿のその男は室内なのにサングラスをしている。ネクタイはしていない。
俺はその姿に、だいぶ場違いなオーラを感じた。普段、ここには部外者は入ってこない。男はゆっくりとこちらに向かってくる。そして俺の前で立ち止まり、サングラスを外した。これは何かあるに違いない。
「どーもー。こんにちは。」
普通に挨拶された。もっと何か大きな予感がしていただけに、力が抜けた。足が縺れそうになり、俺はランニングマシーンを止めた。
「こ、こんにちは。」
何者かはわからない。だが挨拶をされて返さないのはマナー違反だ。
「んじゃ自己紹介ね。俺は日向正輝。お前を迎えに来た者だ。」
全身の毛が逆立つ。早い?いや、一年も待った。ついにこの時が来たのだ。俺は思わずニヤリと笑った。日向はそんな俺を見て、明らかな嫌悪感を表情に出した。
「…嬉しいのか?死ぬか、殺すかしかない世界だ。お前が思っているよりもずっと殺伐とした世界だぞ?」
「嬉しくはないですよ。ただようやくここまで来れたので達成感はあります。」
これ以上彼の機嫌を損ねないよう、俺はありきたりな言葉で返した。俺の目的など誰も知らなくてもいい。特にこんな得体の知れない人間になら尚更だ。
日向は俺から目線を外すと、大きなため息をついた。
「…まあいい。これ以上はめんどくせぇや。とりあえず場所を移す。メンバーと顔合わせだ。但し、さっきみたいにはしゃぐなよ。お前が呼ばれた意味をよく考えろ。」
…この人は何を言っているんだ?……ん?
俺はその言葉の意味を理解するまでに少し時間がかかった。
「……すみません。軽率でした。」
俺は日向に頭を下げた。日向は無言のまま俺の肩をポンと叩くと、そのまま歩き始めた。
そう、俺が呼ばれたということは誰かが代表を抜けたということ。もしかしたら誰かが死んだのかもしれない。それなのに俺は召集された事を喜ぶあまり日向に笑顔を見せてしまった。
それが日向の不愉快な表情の答えだった。
「行くぞ。もう一人は先に車に乗ってる。待たせるとめんどくせー事になりそうだ。」
日向は俺に背を向けたまま手を上げてそう言った。
施設を出るのは一年と2日ぶりだった。しかし今はそんな事を気にしている場合ではない。俺は久々の外界に再び別れを告げ、急いで車に乗り込んだ。するとそこには、相も変わらず不機嫌そうな表情をしたまま座る竜胆の姿があった。竜胆は俺を見て小さく舌打ちをする。どうやら今回召集されたのは二人だけのようだ。俺に続いて日向が乗り込むと、車はゆっくりと進み始めた。
車内の雰囲気は最悪だ。一度も目を合わせない俺と竜胆に日向は気付いていたであろう。だが日向は何も言わなかった。まるでそれに干渉するのが面倒だと、そういう雰囲気をふつふつと感じた。
車は30分程度走り、研修所よりも遥かに厳重な警備が敷かれた建物の前で止まった。まるでどこかの国の大使館のように立派な建物だ。
俺たちが車から降りると、先に降りていた日向はすぐに歩き始める。俺と竜胆は黙ってその後ろを付いていく。日向は警備員の群れを抜け、人気の無い通路をどんどん奧へと進んでいく。すると、目の前に大きな鉄製の自動扉が現れる。日向はおもむろにポケットからIDカードを取り出すと、扉の横にある装置に翳した。すると扉はそれに反応してゆっくりと開いていく。
明らかにこの先はこれまでの場所とは空気が違う。思わず俺と竜胆は同時に息を飲む。さっきまで普通に動いていた足が思うようにいう事を聞かない。
「早くしろ。また開けんのは面倒くさい。」
そう言って、日向は頭を掻きながら大きな欠伸をする。俺は覚悟を決めて一歩前に踏み出した。
扉の先は予想していたよりも明るかった。そして何より広い。一人ではすぐに迷子になる自信がある。所々に小窓のついた扉があり、その小窓からはトレーニングジムや資料室、漫画喫茶のようなリラクゼーションルームも見えた。俺たちはそれらを横目にどんどん奥へと進んでいく。角を曲がり、薄暗い通路をしばらく歩いた所で、日向は急に立ち止まる。
「ここだ。」
日向は目の前にある扉を指差す。血管が脈を打つ感覚がわかる。ここに姉の死の真相を知る人物がいるかもしれない。姉と共に戦ってきた人たちは俺を見てどう思うだろうか。俺の期待と不安は胸のなかで渦を巻いて混じり合い、ドロドロとした液体となって身体中に広がっていく。
そんな俺の様子を知ってか知らぬか、日向はすぐに扉へ手をかける。そう言えば日向は姉のことを知っているのだろうか?その時ふと俺はそんな疑問を抱いた。しかし、すぐにそれどころではないと軽く頭を振った。日向はゆっくりと扉を開ける。