ホシゾラ
泳ぎ疲れた。日は傾き始め、海は段々と青からオレンジ色に変わってきた。
口に入った海水が胃を刺激しているようで少し気分が悪い。でもなんだろうか。この透き通った海に浮かんでいるとそれも悪くないと思える。…最高にダサいこの海パンじゃなければだけど。
島に一つしかない商店にはブーメランパンツしか売ってなかった。俺は今年で24だ。まさかこの歳でブーメランパンツを履くとは思わなかった。それを着て海岸に行った時の花澤のリアクションが脳裏から離れない。
「……ぷっ。あっはっはっはっは!!!ブーメランて、なんやそれっ!!あっはっはっは!」
クソ。ビーチなんて来なきゃ良かった。あんなにバカにされるぐらいならそのまま船に戻れば良かった。…飯倉の手前それは出来なかったが。
「ナツキ、うちそろそろ船に戻るよ?一緒に戻る?」
遭難者のように項垂れながらプカプカと浮かぶ俺に花澤は言った。
「俺も戻るっす。日焼けで肌痛てーっす。」
「なんや、言ってくれれば日焼け止め貸したのに。」
「…あるなんて一言も聞いてないっす。」
「あっ…そーやったっけ?ゴメンゴメン…。」
花澤はそう言って俺の手を取った。そして凄い勢いで岸に向かって泳ぎ始める。
「ちょっ!?…ゴボゴボ。ぶぁっは!ゴボボボ…。……止めっゴボ。」
引っ張る体勢が悪すぎる。俺は自分の意志で息継ぎが出来ない。バタバタと抵抗するが、花澤の手は力強く俺の手首を握っており、外れない。そんな事に全く気付くことなく花澤は泳ぎ続けた。
岸まで着いたときには俺は満身創痍。何回海水を飲んだかわからない。
「……はぁ、はぁ、っ先…輩、何で…。」
少し泣きそうになる。
「ん?なんや?どないした?」
「………もういいっす。」
この人に悪気はない。責めるのもおかしい話だ。ここは男らしく諦めよう。俺は涙を手で隠しながら答えた。
船に戻ってシャワーを浴びる。そして早めの夕飯を皆で揃って食べた。今日はこのまま就寝となる。その代わり明日は朝から現地に入って準備を行うらしい。その後最後のミーティングをして本番を迎える。
俺は夜9時には布団に入った。チーム専用フェリーにはそれぞれ個室が備えられている。相変わらず金をかけている。まあ、ありがたい事なんだけど。
電気を消してベッドに仰向けになり、天井を見上げる。波音が遠くに聞こえる。
心臓が脈打つ。
体温がキューっと下がるような感覚。
さっきまで楽しく遊んでいたのが嘘のようだ。明日には始まる。もしかしたら明日のこの時間には俺はこの世に居ないかもしれない。
父さん、母さん。俺が死んだら悲しむだろうな…。
出発前に決意していた事がこうも簡単に崩れるとは思っていなかった。
沖縄に着いてからずっと不安だった。最後になるかもしれない、最後になるかもしれない。何回そう思ったかわからない。胸が苦しくなる。
そして姉の顔が浮かぶ。
「………。」
俺の頭の中の姉は何も言ってくれない。只、とても悲しそうな顔をしている。何でだ、何でそんな顔をしているんだ?
「……姉さん、ゴメンよ。それでも俺は……」
俺は静かにベッドから降りる。そして部屋を出た。波に揺られて船が軋む音だけがやけに存在感を放っている。
俺は階段を上がり、甲板に向かった。
海風が気持ちいい。生まれた時から海と一緒に育ってきた俺にとって、この匂いは心を落ち着かせてくれる薬のようなものだ。
俺は船首へ向かう。そして空を見上げた。
そこには満天の星空が広がっていた。今まで見たこともないような、まさに満天の空。
「わぁ……。すげぇ。綺麗だ。」
自然と俺の口から感嘆の言葉が出る。
「…眠れないのか?」
すぐ近くから聞こえたいきなりの声に少し驚いた。その声の方向を見るとそこには風間の姿があった。
「風間さん。居たんすね。全然気付かなかったっす。……眠れないっすよ。やっぱり。」
「そうか。…実は俺も眠れなくてな。」
意外な言葉だ。風間は眠れなくなるような人間には見えない。しかももう何度も戦闘を繰り返してきているのだから、今更緊張も何も無いだろうと思っていた。
「意外って顔をしているね。君はハルカと違って考えている事が良く顔に出るな。」
姉さんの話だ。風間の口からその名前を聞いたのは初めて会ったとき以来だ。
「私は戦闘前はいつも眠れなくなるんだ。それは何回やっても慣れることは無くてな。」
「…それは死ぬのが怖いからですか?」
「それも確かにある。だがそれ以上に怖いのは、仲間を失うことだ。」
俺は黙ったまま風間の目を見つめる。
「勝敗以前に私は皆の命を預かる立場だ。もう誰も…私の目の前で死んで欲しくないんだ…。」
姉の顔が再び浮かぶ。風間の言霊の中には姉が入っているように感じる。
「弱いだろ?別に軽蔑してくれても構わない。」
「…俺は軽蔑なんてしませんよ。………きっと姉さんも風間さんの事、ちゃんと慕ってたと思いますよ。何にもわかりませんけど、少なくとも弟の俺はそう思います……。」
風間は目頭を押さえる。
「私は本当は…。君にそう言って貰いたかったのかもしれない…。ありがとう、ナツキ。」
「大丈夫っす。…それに俺、死なないっすから。」
「…そうだな。ちゃんと信じているさ。」
「はい!」
そう言って俺が笑って見せると、風間も表情を緩めた。その時、背後から誰かが近付いてくる音がした。
「こんな時間に二人で何しとるん?怪しいなぁ。」
そこには花澤と月島の姿があった。
「ちょっと星を見に来たんだ。お前たちもそうだろ?」
風間は振り向きながら答えた。
「せや。天気良かったから綺麗に見える思てなぁ。美咲ちゃん誘って来たんやけど、まさか先客が居るとは思わんかったわ。」
俺の隣に花澤と月島が座った。4人で並んで星空を見上げる。
「綺麗やなぁ。」
「そうっすね。」
「ああ。」
「………うん。」
海風に晒されながら見る星空は格別だ。
「また4人で星、見に来ようなぁ。」
花澤は月島と俺をギュッと抱き寄せた。
「ほら、兄ちゃんも!」
花澤はそう言って風間を呼ぶ。すると風間はゆっくりと立ち上がり、俺たちの後ろに立った。そして俺たちの3人を抱き寄せた。
「ああ、約束だ。また見よう。」
「うん!約束ね。」
花澤は満足そうに答えた。
4人はそのまましばらく天体観測を続けた。
今の俺にとってはそれが全てのように感じた。無くしたくない。とても大事なもの。