キモチ
夕食を終えた後、俺は風間の部屋を訪れた。俺の部屋の左隣。202号室とは比べ物にならないほどノックするのに戸惑った。だが、このまま何も聞かない訳にもいかない。俺は知らなくてはいけない。真実を…。
コンコン
ノックの音が廊下にこだまする。
「はーい。どうぞ。」
中から風間の声が微かに聞こえた。俺は扉を開ける。
風間の部屋は俺の部屋とは比べ物にならない程綺麗だった。入った瞬間からわかる。玄関には靴が一足だけ。ピカピカに磨かれた革靴だ。リビングへと続く廊下にはそれは見事な風景画が飾られている。塵一つ見当たらないその廊下は蛍光灯に照らされて光輝く。
「誰だい?」
「いきなりすみません。鳥海です。」
「…入ってくれ。そこにあるスリッパを使っていいから。」
そこには無印のスリッパ。俺は靴を脱いでそれに履き替えると、自分の靴をキチンと揃えた。そして風間の声のする方へ向う。
リビングルームには大人の雰囲気が漂うインテリアが並ぶ。薄暗い間接照明に照らされた硝子テーブルの上には高そうなワインボトルが置かれている。テーブルを囲うように設置された黒革のソファーは見るからに座り心地がよさそうだ。
風間はパソコンのブルーライトに照らされて青白く光っていた。なにやら難しい表情で画面を見ている。
「こんな時間にどうしたんだい?まあ、座ってくれ。」
風間は俺を見ると、ソファーに案内する。俺は埃を落とさないようにゆっくり歩いてそれに座った。思った通りフカフカだ。
「それで?今日はどうしたんだい?」
「すみません。今朝言おうとしていた事なんですが…」
「…ああ、それか。」
風間は思い出したような素振りを見せたが、この人の事だ俺が訪ねてきた時点でもう察しはついているだろう。俺は単刀直入に話をきりだした。
「昨日、資料室で姉の最後の戦闘記録を見たんです。そこには竜胆周作って名前があって…。もしかして、その竜胆って…?」
風間は目を瞑り少し考える。そしてゆっくり目を開けると、テーブルの上にあるワインボトルに手を伸ばした。
「ナツキ君、お酒は飲めるかい?」
「…まあ、少しなら。でもそれ高そうですが?いいんですか?」
「一人で空けようと思っていた所だ。どうせなら誰かと飲んだ方がいいさ。」
風間はそう言って手早くコルクを取り、キッチンからグラスを二つ持ってきた。そしてゆっくりと赤ワインをそれに注いだ。
「どうぞ。俺の一番好きなワインだ。気に入ってくれると嬉しい。」
薄暗いこの部屋ではそれは赤と言うよりかは黒に近い色をしている。俺は風間からグラスを受けとった。実はワインを飲むのは初めてだ。大学の友達と飲みに行くときはいつもビール。たまにハイボールだったから。
俺はまずグラスに鼻を近付けて匂いを嗅いだ。独特のアルコール臭がする。葡萄から出来ているのだから、もう少し甘い香りがしてもいいのではなかろうか?次に少し口に含む。結構アルコールが強い。でもなんだろうか。思ったよりも飲みやすい。少し喉に残る感じが癖になりそうだ。
「美味しいです!俺、初めて飲みました!」
興奮して思わず声を上げた。そんな俺の姿に風間は満足そうな表情を浮かべる。
「そうか。良かったよ。」
その言葉の後、しばらく二人は沈黙する。俺はワインもう一口、多めに口に含んだ。明らかに先ほどまでの柔らかい空気ではない。解放感のある高い天井を思わせない程の息苦しさ。酸素、足りてないんじゃないか?俺は目の焦点が合わない。そしてついに風間は口を開いた。
「…さっきの件だがね。確かに竜胆周作は彼の父親だ。」
風間は俺と目を合わさない。
「…姉の死因もその資料には書かれていませんでした。もしかして、その竜胆のお父さんと姉の死は何か関係があるんじゃないんですか?」
風間は苦悶の表情を見せる。余程俺に伝えるのが辛いのだろうか?
「…確かに関係はしている。」
「…その人と姉の間に一体何があったって言うんですか?」
「ダメだ。それは話せない。」
「……っ!!なんで!!」
俺はつい感情的になる。なにせ真実がすくそこにあるのだ。手を伸ばせば届きそうなすぐそこに。
「今はまだ知るべきではないと俺が勝手に判断している。すまないが君に与えられる情報はここまでだ。」
「こんな半端な情報貰っても…混乱するだけですよ!」
「申し訳ないと思っている。少しでも君の力になりたいのは本当なんだ。だが今俺が危惧しているのは、団長のそれと同じだ。君がそれを乗り越えられると判断すれば、俺は君に真実を教えるつもりだ。今は耐えてくれ…。」
「わからないですよ…。風間さんが何を言っているのか…。俺にはわからないですよ!」
理解しているのだが、感情がそれを拒否した。俺は座ったまま俯いた。ワインの表面に俺の顔が映る。俺はなんて顔をしているのだろうか。
「…すまない。」
風間は俺に頭を下げ続ける。その姿に少し冷静になる。俺は何故この人に怒りをぶつけているんだろうか。望みを押し付けることが正義ではない。そう、俺はこの人に頭を下げて欲しいんじゃない。ただ、真実が知りたいのだ。
ではどうすればいいのか?その答えは既に俺の頭の中にある。
「頭を上げてください、風間さん。すみませんでした。感情が抑えられなくなってしまって…。大丈夫です。俺、ちゃんとわかってます。」
俺の言葉に風間は頭を上げると、悲しみに満ちた表情で俺と目を合わせる。そして再び謝罪の言葉を口にする。
「すまない。」
俺は風間にこんなに謝らせてしまっていることを後悔する。一度口から出てしまった言葉はもう戻すことは出来ない。どうやら姉のこととなると俺は感情を抑えられないようだ。こんな状態でこれ以上ここで話していても事態は進展することはないだろう。
「大丈夫です。…今日はもう戻って寝ます。明日もトレーニング、早いですし。俺、少し頭冷します。遅くまですみませんでした。」
風間が俺の事を想ってくれているのは、ひしひしと伝わってくる。だからこそ、風間をこれ以上責めることは出来ない。焦りすぎている自分に一度ブレーキをかける必要がある。俺はグラスに残ったワインを一気に飲み干すと、ソファから立ち、歩き出す。
「ナツキ君。最後に聞かせてくれ。」
風間は俺を呼び止めた。俺は振り返り、風間を見る。
「もし真実を知ったとしたら、君はどうするんだ?」
「…そんなこと。知ってみないとわかりません。」
俺はそう言い残し、風間の部屋を後にした。




