カイコウ
嫌な予感しかしない。心臓がキューっと締め付けられるような感覚に陥った。その男は頭を上げると、俺の顔を哀れんだ目でじっと見てくる。反射的に俺は少し頭を下げる。
「鳥海ナツキ君でいいのかな?私は風間 潤と言うものだ。」
「はい。そうですが…。」
とっさに素っ気ない返事をしたのは予感がしたからだ。こんな平日の昼間にスーツで俺の家の前に立っている人間など、たちの悪いセールスマンぐらいのものだ。
「面影あるよ。君がハルカの弟だね。」
「……。姉を知ってるんですか…。」
俺の予想は残念ながら外れる。少し言葉のトーンが落ちる。するとそれを察してか、風間と名乗る男は少し表情を緩めた。
「ああ、もちろん知ってる。俺の大切な部下だからね。ハルカには何度も助けられた。今日来たのはそのお礼と、これを届けたくてね。」
風間はそう言って胸の前で抱えていた箱をこちらに差し出す。俺の中でなんとも形容し難い感情が沸き上がる。まともにそれを直視することが出来ない。それがいったい何なのかは大体想像がつく。いや、それ以外にはあり得ないだろう。
「…これがハルカだ。」
風間は真っ直ぐこちらの目を見つめてくる。俺の心臓の鼓動が早くなる。目の焦点が合わず、どうしていいかわからない。
今まで形が無いから実感が無かった。まだどこかで生きているのではないかと思うことも出来た。これを受け取ったら俺は認める事になるのか?
「何なんですか…!いきなりそんな事言われても…何が何だかわかりませんよ。」
俺の口調が荒くなる。混乱と言うよりかは否定だ。すると風間は差し出した箱をそっと下げる。と同時にこんな時間には滅多に吹かない海風が二人を襲う。そして風間は再び口を開いた。
「すまない。君たち家族の為だと思って来たんだけどね。これじゃあ只の自己満足になっちゃうな。」
風間は眼下に広がる海を見る。二人の間に沈黙が訪れる。
「………姉は。本当に死んだんですか?」
何秒経っただろうか。永遠にも思えるその沈黙が今の俺にはとても苦しくて、気持ち悪くて…。気付いた時には俺は諦めていた。
風間はその質問に小さく息を吐くとこちらを向いた。
「ああ。そうだ。」
重い。空気も、気持ちも、口も。
「何で…死んだんですか?」
それでも俺はそれに逆らって口を開く。
「…すまない。」
風間は頭を下げる。それが俺の質問に対する風間の答えだった。謝る事が答えならばそれ以上の詮索は無意味だ。
「…わかりました。では質問を変えます。どうすれば知ることが出来ますか?」
俺は真実が知りたかった。家族だから?尊敬していたから?正にその通りだ。それ以上の理由は必要無いだろう。
風間は無表情で答える。
「すまないがそれを部外者に教えることは出来ないんだ。」
俺はその言葉の意味を瞬時に理解した。つまり知りたければ部外者で無くなる必要がある。それだけの事だ。
「もしそうなったら、俺にも同じ枷が付く訳ですよね、風間さん。」
俺は風間の目を睨むように見つめる。
「ちょっと待て、勘違いしないでくれ。本来私は君とコンタクトを取ることを禁止されている身だ。私は君がこちら側に来ることを望んでいない。それはハルカの意志でもある。」
どんな世界かはわからない。だが崩壊していることは間違いない。つまり人が死んでも手紙だけで済ませようとする世界な訳だ。ポツポツと内蔵に穴が開く感覚がする。
「その反応から察するに、そちら側に行くことは不可能ではないんですね。」
「…確かにその通りだ。だが誰でも望めばこちら側に来れるという訳ではない。それは君がハルカの弟だからだ。あくまで可能性は高いという意味で言っている。私に決定権はないよ。」
風間は表情をより一層強ばらせる。
「それでも知りたい。俺はこのままなんて嫌だ。例え姉さんが望んでなくても…。」
俺は震える拳を握り締める。すると風間は暫く黙って俺の姿を眺めた後にまるで諦めたように目線を下に落として口を開いた。
「…忘れてたよ。ハルカが言っていた事。君はいつもハルカの言い付けをわざと守らなかったらしいね。なるほど、これが君の本当の意志か。」
前にも述べたように、俺はいつも姉に嫉妬していた。小さな反抗期は年を重ねる毎に、無意識になっていった。姉はそれをちゃんとわかっていたらしい。
「わかった。追って連絡しよう。」
風間はそう言って、姉の入った箱を再び俺に差し出す。俺は躊躇しながらもそれを手に取った。
風間は一礼するとその場を後にした。
「軽いな…。姉さん。…おかえり。」
俺はその場で涙を流した。




