オオゾラ
朝食が終わると、俺は一度部屋に戻った。汗臭いこの服を着たまま過ごすのは流石に堪える。もう一度シャワーを浴びてベッドに横になる。天井を見上げ、ふと思う。
姉さんもこの光景を見ていたのだろうか?俺は部屋を見渡す。この懐かしい香りの正体は姉の香りなのか。ようやく理解する。俺は感情が溢れそうになるが、グッと堪える。
あれは確か、俺が幼稚園年長の時だったか。俺は自転車で出かける姉をよく追いかけていた。なかなか補助輪が外れなかった俺は、ガラガラと音が鳴る自転車で勝手に付いていったのを覚えている。姉はもしかしたら友達と遊ぶ約束をしていたのかもしれない。しかし、そんな俺に嫌な顔一つせず、姉は隣に寄り添って走ってくれた。
そんな時一度だけ、俺は姉とはぐれてしまった事があった。見知らぬ土地は当時の俺にとって恐怖でしか無かった。俺は必死に姉を探して走り回った。もしかしたらこの先に居るかもしれない。普段は怖くて一人では渡れない踏切。
俺は意を決して渡り始めた。だが運が悪いことに、外れかけた補助輪が線路の溝にハマって動かなくなってしまう。俺は自転車を降りて補助輪を引っ張った。しかし不幸は重なるようで、踏切は騒がしく音をあげて鳴き始め、遮断機がゆっくりと降りてくる。俺はお父さんに買って貰った大切な自転車をこのままここに置いておく事は出来なかった。
電車は遠目に見える俺に対して威嚇を始めた。俺は必死に自転車を振るが全く動かない。更に力一杯自転車を振った。電車が俺まであと約40メートルの距離を切った所で、ようやく補助輪が溝から外れる。だが走り始めた時にはもう電車は目と鼻の先。俺は幼いながらに死を悟った。そして反射的に目を瞑る。
「ナツキ!!」
その時、大好きな姉の声と共に俺と自転車は踏切から押し出された。俺に覆い被さるように倒れる姉。その目からは涙を流していた。姉はすぐに起き上がり、俺を立たせる。姉の両膝からは血が流れている。
「ごめんない…。ごめんない…。」
俺はそう言って大声で泣いたのを覚えている。
「ごめんね…。ごめんね…。」
姉も大声で泣きながら俺に謝っていた。
二人で泣きながら自転車を家まで押した。その途中、姉は俺に言った。
「ナツキは、姉ちゃんが守るから。ちゃんと姉ちゃんの傍に居ないと守れないから。だから、はぐれちゃダメだよ?」
「うん!」
姉は立ち止まり、俺の涙をハンカチで拭くと、そのまま鼻水まで拭ってくれた。俺が笑顔を見せると、姉も笑顔になった。姉の膝から垂れた血は固まり、結晶になっている。
青い空に大きな入道雲が空高くまで層を作る。茹だるような暑さは子供の俺たちには関係なく、汗をかきながらも二人は歌いながら帰り道を歩いた。
ふと我に帰る。なぜこんなことを思い出している?この香りがそうさせるのか。当時の姉の言葉が俺の心に突き刺さる。
「死んでんじゃねーか…。馬鹿姉。」
気付いた時には俺の目からは大粒の涙が流れていた。




