ハジマリ
青天の霹靂。
どうやら死んだらしい。確証はない分、現実味もない。鳥海家に送られてきたのはただ一通の手紙だけだった。機械的に羅列されたそれには、俺の姉である鳥海ハルカが死亡したという結果が記載されており、それ以外は何も書かれていない。差出人も不明だ。
ここ数年俺は姉に会っていない。両親も同じだ。定期的に母とは電話をしていたらしいが、俺とは少しのメールでのやりとりがあるぐらいだった。
何をしているのか、何処に居るのかは誰も知らなかった。姉は只、自分じゃないと出来ない仕事をしていると言い、それ以外の事は話そうとしなかった。もちろん、当時両親は捜索届を警察に提出するか悩んだらしい。しかし姉を心から信頼していた両親はそこまでしなかった。それを察して姉は母に頻繁に電話をしていたのだろうと思う。
「悪戯だろう?気にすることないって。」
俺は少し苦笑しながら母に言った。だが俺も母も父も何かが胸につっかえていて、それを只の悪戯で済ます事が出来なかった。なにせ姉がどういう状況にあるのか誰も知らないのだから。母は姉に電話をかけ続けたが、それが繋がることは無かった。
午後、両親はその手紙を持って警察に向かった。
姉は昔から優秀だった。スポーツ万能、学校のテストではいつも上位の成績をキープ。人当たりも良く、多くの友人が家に遊びに来る事もあった。漆のような黒い髪を靡かせていた姉に、多くの男が近付いて来るのを俺は何度も見かけている。当然ながら姉は全く相手にはしていなかった。
一般的な兄弟事情はわからないが、俺は姉と仲が良かったと思う。歳が1つしか離れていない事もあってか、二人で出掛けることもしばしばあった。姉の隣を歩いているだけで俺は誇らしかった。そんな非の打ち所のない姉を俺は心から尊敬している。だがそれと同時に、同じくらい恨んでいた。
優秀過ぎる姉を持つと弟はどうなるか、想像した事はあるだろうか。進学、部活、芸術からゲームまで…。さらに家族の誕生日や記念日にはプレゼントをしっかり用意している姉。両親はそんな姉を溺愛していた。むしろ心酔していたと言っても過言ではない。
俺はいつも間接的に比べられて生きてきた。正直息苦しかった。そんな生活の中でも、確か高校生の頃だったか。初めて姉を腕相撲で負かした時があった。その時俺は何とも言えない満足感を得たのを覚えている。それぐらい俺の中では姉の存在が大きかったのだと思う。
ふと目が覚めた。いつの間にか眠っていたようだ。家から遠くに見える海は赤く染まり、水面にオレンジの実が沈んでいく。意識しないと改めて見ることはない光景だ。俺はその違和感を考えないようにするが、悪いイメージが脳裏から離れない。そう簡単には逃がしてくれないようだ。
両親が帰宅する。俺はゆっくりと階段を降りて双方と目を合わせる。父の口から出た言葉は俺が望んでいたものではなかった。
「何も…。何も教えてもらえなかった。只、死亡したのは確かだと…。詳細は何処へ行っても教えられない事なのだと。」
父は動揺を隠せなかった。母は玄関に座り込んで俯く。
「何かとても大きなものに守られているような…そんな印象だった。ハルカは一体何をやっていたんだ…?俺はなぜ娘の事を何も知らない…。」
父はそう言って、俺に見せたことがないような表情を見せる。母はそれに寄り添うように涙を流した。俺は只、そこに立ち尽くすことしか出来なかった。なんにせよ、姉はもうこの世には居ないのだと俺は察した。
翌日、俺は昨日に引き続き大学に行かなかった。今日の講義は午後からの一コマだけだ。出席も取らない。それを理由にしたくなかったが、頭がそれを拒否した。仕方がない。動きたくないのだ。それにもう単位は4年の前期で取り終えている。問題はない…はずだ。
家からは出たくない。だが俺の部屋の隣にある普段は気にしたことも無い姉の部屋がやけに存在感を放つ。考えたくない。少しの葛藤の後、俺は家を出た。
歩いて10分の所にある24時間営業の便利な店。俺はいつも、からあげに愛称が付いた商品を買う。やっぱりチーズに限る。姉さんはいつもレギュラーを買ってたっけ。いや、どう考えてもチーズだろ。食べたことないのかな?……いや、あるな。そういえば良く一緒に買いに行ったっけな。それで…1つずつ交換して…それで…。
考えている内に俺の視界は霞んでいた。真っ直ぐ歩けない。立ち止まる。そして声をあげる。周囲に誰が居るとか、誰が見てるとか、そんなこと関係無かった。姉に会いたかった。一度溢れた感情は止まらない。そんな俺を置き去りにしたくて家まで走った。
少しは落ち着いたが、まだ目に違和感がある。家まであと30メートル程の所で目線を上げる。家の前に一人の男が箱を抱えて立っていた。整えられた黒髪に細身のスーツを着たその男は俺に気付くと、箱を抱えたまま深く頭を下げた。