表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
物語は甘くない  作者: 空一
4/5

もどれない

書いてて楽しかったお話です。

主人公つらい?きつい?ごめんね、俺は楽しいわー(ゲス)

あ、もしかしたらBLに見える人もいるかもですが、ただ単に黒羽をひたすらに壊したかっただけなので、それ系駄目な人は注意です。

 体が動かない。

 何かに押さえつけられているかの様に指一本動かすことすら出来ない。

 目も開かない。

 ……いや、開いているのか?

 身動き一つ出来ない黒羽は恐怖で背中にじわりと汗を滲ませた。

「――――」

 人の声がする。

 しかし意識がはっきりしない為何を言っているのか分からない。


 ――目を覚まさなければ。


 必死に力を込め、ようやく少し、瞼が開いた。

「彼は……しかし、こんな事は……」

 未ださ迷う意識の中、黒羽は耳に馴染んだ声を拾う。

 それにしても音が全て膜を張ったようにぼやけて聞こえるのは何故だろうか?

 少しづつ広がる視界に違和感を感じる。ぐらりぐらりと景色が歪み、まるでめまいを起こしている様に気分が悪い。

「……ぅ…………」

「おや、起きたようだ」

 聞き慣れた声とは違う耳障りな声が聞こえた。

「こ……こは? ……なにが……」

 上手く舌が回らない。ゆっくりと、口に出す声はひどく弱々しいものだった。

 目線だけを耳障りな声の持ち主へ向けると、隣にはアマニスが眉を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔で佇んでいた。そして、周りには耳障りな声を持つ男の他に数人、黒羽を取り囲むように白衣を着た人間が立っている。

 何が起きているのか理解できず混乱する黒羽。説明を求めるようにアマニスを見るが、彼は視線を合わせようとはせず、目を逸らすばかりだ。

「君は“神界”から来たのだろう?」

 また他の人間が話す。

 初めて聞く単語に、動かない首を傾げようとして失敗する。

「彼には……神界に関わる資料には触らせていない……本も見ていない筈だ」

 低く、諦めたようにアマニスは呟いた。

「ふふ、成る程……無知なる神……と言う訳か」

「しかし力は強大だ」

 ――何の話をしている?

「これは良い素体だ」

「これはとても面白い事になるぞ」

 ――分からない。

 分からないが何かがおかしい事だけは分かる。

 この場に蠢くのは狂気だ。研究と言う悪魔に身を捧げた研究者という狂気の塊。

 異世界から来たからだろうか? 自分の身が研究対象と見られている事に気付き、黒羽は戦慄した。

 取り囲む人間達は瞳に危険な光を含んでいる。

 逃げなければ。

「無駄だよクロウ、君は今は力を入れられない。分かってるだろう?」

 優しげないつものアマニスの声。

 しかし今はそれにどこか無機質な冷たさを感じた。

「ア……マ、ニスさ……」

 何かの薬だろうか。いくら体を動かそうとしても、指摘された様に全く力が入らない。

「何故自分がこんな状況に陥っているか……知りたいかい?」

 当たり前だ。

 訳の分からない研究の実験体になる理由なんて検討もつかない。

 アマニスが関わっている事から、魔力や魔物に関係するものなのだろうか?

 だとしても自分と何の関係があるのか。異世界人で、魔法など使える訳でもないのに。

 混乱しきっている黒羽にアマニスが言う。

「君はね、“神界”に住む“神”なんだよ」

 一瞬、思考が飛ぶ。

 彼は何と言った?

 かみ……“神”?

 そしてアマニスは語る。この世界に伝わる“神界”の話を、黒羽が住む世界がどれだけ特殊なものかを。

 全て聞き終わった時、黒羽は理解した。

 この男達は口では“神”や“神界”などと言ってはいるが、結局の所“神界”――地球を研究対象としてしか見ていない。

 全く本気で“神”が住む場所だとは思っていないのだ。

 黒羽からすればそれで合っているのだが、この世界では結構な罰当たりな考え方ではないのだろうか?

 ふと湧いた疑問を、すぐに自分で消した。地球でいう科学者、研究者も同じ様なものだったから。

 つまりこの男達は自身の研究欲の為に信仰心を棄てた者達。

 神をも敵にしようとも、自分の知識の為ならば何をしようが構わない。非人道的と言われる行いでもバレないよう全員が息を合わせれば、この研究所はまさに彼等にとって楽園であろう。

 そんな者達によって獲物と見なされた黒羽は、ただ震えていた。

 ――何だ何だ何なんだこれは。

 異世界へ来たこともさることながら、自身が実験体? ……なんの悪夢だ。

 つい先程までののんびりとした幸せは何処へ行った。

 考えて、気付いた。

 自分があの生活を気に入っていた事を。

 元の世界は本当に戻りたい“処”だったのか?

 確かに地球は故郷で住みやすく慣れた世界だった。しかし“居たい”場所であっただろうか?

 上辺だけの友情、偽りの愛情、機械的に動かざるを得ない社会。

 ――ただ、哲哉もこの世界に来ているだろうから、あいつは、帰りたいだろうから……

 そこまで考えて更に気付く。

 ――何だ、結局俺はあいつにこんなにも友情を感じていたんじゃないか。

 探しに、これから探しに行く筈だったのに。

 薬のせいか思考があちこちへ飛ぶ。纏まらない考えに苛立ちが募る。

「そろそろ新しい薬が効いてきたかな? 名前を言ってみなさい」

 アマニスの声が反響して頭の中を何度も揺らす。

 いつの間にか腕に注射を打たれていたらしく、先程とは違うふわふわとした感覚が体を包んでいた。

 まるで海を漂っているような。

「な……まえ……高里……黒羽……」

 逆らう事も考えつかない。

「年齢は?」

「じゅうご……」

 考えるという事が難しくなっている。問われた事に何の疑問も感じない。

 自白剤の様な物の効果なのだろう。次々とされる質問に、黒羽は途切れ途切れながらも答えていく。

「成る程な……似たようでまるで違う世界だ」

 満足したのか研究者達は一旦黒羽から離れ、それぞれ何らかの資料を持ち、話し出す。

 そんな中、アマニスは黒羽の側へ寄ってきた。

「すまない……本当にすまない……だが君が悪い。君が……神族でさえなければ……」

 アマニスだけは多少罪悪感があるようで、意識のはっきりしない黒羽に謝罪する。

 しかしそれは黒羽に対しての謝罪と言うより、自身に対しての言い訳であり、罪悪感から逃れようとしているに過ぎない。そんな口先だけの言葉で謝ろうとも、黒羽にとって何の意味もない。

 怒りも、憎しみも、自覚する前に薬により霧散した。

「許さ、ない」 

「――っ」

 弾かれたように黒羽を見るアマニス。

 よく見ればまだ薬が効いている状態だ。目は虚ろで口も小さく開いている。

 そう、つまり今の言葉は自白状態にある黒羽の本音。

「……ああ、恨んでくれて構わない……いや、恨んでくれ……」

 アマニスは黒羽の言葉に、ほっとした様に笑みを浮かべた。

 そろそろ精神に限界が訪れたのか黒羽の意識は更に深いまどろみの中へ沈んでいく。

 徐々に落ちる瞼。

 認識出来ない視界で最後に見えた物は、冷酷な微笑だった。

 黒羽が意識を失った後、アマニスは彼の手足の拘束を外し、体を横抱きにして運んだ。

 黒羽は力が入らないだけだと思っていたみたいだったが、実際は念の為、両手両足をベルトで台に固定していた。

 様々な薬品が並ぶ室内に、仮眠用の小さな寝台。

 其処へ黒羽を寝かせると、アマニスは研究員達の元へ行く。

「どこまでやった?」

「血液検査の結果はフェンデルク博士の資料を見ました。やはり今までの生物と同じく魔力に“流れ”がありませんでしたので、今のままでは“これまで”と変わりがないかと」

 研究員の応えに頷き、先を促す。

「それで、かつて鼠で成功した“実験E”を実行するのが良いかと思われます」

 他何人かが頷く。同じ意見らしい。

 しかしそこで一人が待ったをかける。

「待ってくれ、鼠では成功したかもしれないが、今回はサイズが違いすぎる。あの方法では流れを生み出すどころか弾かれるだけだと思うが」

 成る程、とまた数人が頷いた。

 纏まらない話に討論が続く。

 暫くの間、黙って聞いていたアマニスだったが、パン、と手を打ち皆の注目を集める。

「そうだね……つまりは流れを生み出す程の大きな魔力の流れに浸すか、または彼の魔力を掻き乱す必要があるんだ。なら……一番簡単な事がある」

 アマニスの言葉にざわめく研究員達。

 皆の注目をそのままに、ざわめきが収まるのを待つ。

「実は僕はある鼠に“実験F”を行った」

 はっ、と皆が息を呑む音が部屋に響く。

 ある者は目を見開き、ある者は眉をしかめた。

 反応を気にせず、アマニスは話を続ける。

「実験は、成功。見事に鼠は魔力の流れが生まれた」

“実験F”

 神界(地球)から光の扉を越え、やって来た鼠。

 今まで僅かにしか捕らえていない地球の鼠を、ひたすらに実験してきた彼等。

 つい最近、うっかりと地球の鼠の雌とこの世界の鼠の雄を同じケースに入れてしまった事から実験Fのきっかけが生まれた。

“交配”したのだ。

 子供が出来ることは無かったが、“その行為”の後、地球の鼠は魔力の流れが生まれた。

 地球の鼠は雌で、“中を他の魔力で思い切り掻き乱された”事からこの結果が生まれたと推測した。

 そして、その推測を“実験F”を行い、確実な“結果”として出した、とアマニスは言ったのだ。

「彼を……犯せ」

 声は淡々と、静かに、しかし確かにその部屋に響いた。





「嫌だ止めろぉおああああああああ!!!!」



 “行為”が始まってすぐに黒羽は目を覚ました。

 身に起こる事態に初めは呆然としていたが、行為が進み、我に返った黒羽は叫ぶ。

 喉が切れるかと思う程、声を上げ、制止を求める。しかしそれを無視し、続く暴力に黒羽は嫌悪感どころか、嘔吐感が絶え間なく訪れ、吐いた。

 怪我をさせない為、比較的乱暴な扱いはされなかったが、この“行為”は黒羽の体と心を無茶苦茶に壊した。

 そしてその結果として、まるで人形のように何の反応も返さない、膨大な魔力を宿した“神”が降臨したのだ……――――


 実験は成功。

 アマニス達研究者は自分達の最高傑作を更に完璧なものにしようと、様々な方法で黒羽を“作り替え”ていく。

 知識を与えるため、“知識の泉”とも呼ばれる“魔水”に浸され、一日中その中で実験が行われる。

 いや、これはもう“実験”で収まるものでは無い。“人体改造”と言っても過言ではないだろう。

 素晴らしい“素体”を、更に非の打ち所がないものへ。

 彼等は自らの欲を満たし、知識と技術の結晶を作り上げたのだ。

 そんな日々が一年程続いたある朝。

「今日も落ち着いているな……」

 硝子でできた円柱の容器の中で、淡い緑色の液体に浸かる黒羽を見上げるのはアマニス。

 容器の前にある魔機を操作し、バイタルのチェックをする。

 この一年であまり成長しなかった黒羽の体は日に当たることもなく、白い。

 魔水に浸かっているから余計に色は悪く見えた。

 髪は遺伝子に異常が起きたのか、日本人男性としては有り得ない程に伸び、膝くらいまでの長さになっている。

 観察を終えたアマニスはその部屋を後にした。

 もうじき国からの使者がやって来る。アマニスは研究結果として黒羽を見せるつもりであった。

 最近隣国との関係がこじれてきていて、いつ戦争になってもおかしくない状況に陥っている中、国はこの研究施設に目を付けた。

 というのも、王が個人的に関わっている国家機密の研究施設だったが、どうやら王が近い大臣達に打ち明けたようなのだ。

 この研究所で発見された新たな魔法、薬、法則……実験体。

 これから戦争に向けての大掛かりな準備が始まる。

 研究所の存在と、世界を揺るがす程の黒羽の存在。

 戦争に使われるだろうと考えるアマニスは気分を重くしていた。

 そもそもアマニスを始め、ここの研究員達は自分達の知識欲を満足させる事が出来ればそれでいいと考える連中だ。

 確かに行き過ぎた研究や実験はするが、それはこの研究所の中だけの事。

 自分達の研究結果が人の命を奪う戦争に利用されるのは、良い気分では無い。

 しかしそうは言っても、そういう時の為の研究所であったのだろうし、彼等も他人の命より自分達の知識欲の方を優先する。

 まあ、仕方ない。そう考えるのだ。

 ともかく、使者に見せるなら問題なく動かせる事を見せなければならない。そのためには黒羽を目覚めさせる必要がある。

 しかし、膨大な魔力に溢れる知識。

 こんな危険な存在をそのまま目覚めさせる訳にはいかない。その為、黒羽が逆らうことの無いよう“ある処置”をしなければならなかった。

 目の前の魔機を操作し、ボタンを押す。すると、黒羽の入っている容器から魔水が抜けていく。

 徐々に頭、体、足、と空気に晒されていく黒羽。浮力が無くなり、膝から崩れ落ちる。

 更にアマニスが操作を続けると、硝子の容器は切れ目が入り、プシュ、と空気が抜ける音と共に開いた。

 倒れる黒羽に近寄り、抱き上げ、台に乗せると、げほ、と咳き込んだ黒羽は肺から魔水を吐き出した。

 目覚めるまでまだ数時間掛かる。その間にと、アマニスはリング状の制御装置を取り出した。

 脳に近い頭に着けると、この制御装置に設定された特殊な魔力が作用し、黒羽が逆らう事が出来ないよう強制する。

 意思を奪うことなく、反発や抵抗が出来なくなるだけなので判断力に影響は無い。

 しかしどんな相手にも逆らえないなら使いものにならない。だから装置に、黒羽の“主”を登録しているのだ。

 今の所この研究所のメンバー、アマニスと他研究者達が登録されている。が、その使者が来ると聞き、使者と王の登録も済ませた。

 一見してアクセサリーにしか見えない制御装置を黒羽の額へ取り付ける。

 制御装置が作動するまで一時間。黒羽が目を覚ます頃には完璧な“作品”が出来上がっている筈だった。

 処置を終えて一息つく。

 使者が来るまで資料の整頓でもしておこうかと一歩を踏み出した時だった。

 ドン、と不気味な地響きが部屋を揺らした。

 地震か、と眉を顰めるも、今は揺れている様子が無い。

 少々気になり、外の様子を見ようと扉に手をかけた。

「フェンデルク博士!」

 開こうとした扉が勢い良く開き、取っ手を掴もうとした手が宙を掻く。

 何事かと入ってきた人物を見れば、頭から血を流し、流れ落ちた赤色が白衣を汚す。

 ただ事じゃないことを予感させた。

「何があった?!」

 再びズンと地面が揺れる。

 地震ではない。僅かだが魔力を感じたのだ。

「隣国のディザイス帝国の隠密部隊です! 戦が始まる前に此処を狙って来やがった!!」

「なんだって」

 この研究所はつい最近まで王しか知らない施設だった。

 どこから情報が漏れたのか。考えても仕方がない。

 ディザイス帝国は研究所を危険視し、戦争に使われる前に此処を潰しに来たか、もしくは全てを奪いに来たのだ。

 そんなこと、魔科学者としてのプライドが許さない。潰されてなるものか、奪い取られてなるものか。

 アマニスは怒りに顔を歪めると、“ある部屋”へと駆けていった。

 着いたのは薄暗い大きな部屋。大きな檻の中から獣特有の唸り声が聞こえてくる。

 その檻に近付いたアマニスは躊躇せず、扉を開けた。

 ズズ、と重い音を立てて開く檻。唸り声と共に出てきたのは、巨大な魔物だった。

 見た目からの印象を言えば大抵の者が“犬”と答えるだろう。

 白く堅い毛皮、くすんだ青い瞳。ぴんと立った耳は愛らしさを感じるものだ。

 しかしニメートルはあるであろうその大きさは、普通の犬では有り得ない。

「ダーグル・サンプルF、“余計な者”を噛み殺せ」

 命令された魔物は大きな雄叫びを上げると、身体に溢れる魔力を纏わせ、跳んだ。

 元々『ダーグル』という魔物は、犬から派生した魔力の強い生き物というだけで、犬とさほど変わらない。

 だが此処に居るダーグルは“黒羽の魔力”を元に改造されている。

 この一年の間に黒羽を元にした実験で、様々な道具や薬、改造獣等が造られた。

 ダーグル・サンプルFもその内の一つである。

 サンプルFは鼻をヒクヒクとさせ臭いを探ると、“余計な者”を見つけたのか勢い良く部屋の外へ飛び出した。







 ぐらぐら、ゆらゆら。

 もうどれだけの時を浮遊した意識の中で過ごしたのだろうか。

 起きているのか、眠っているのか。

 時折目覚めされられ、何かをされたような気もするが、それも全て靄のように曖昧だった。

 今もまた、目覚めされられようとしているのか……周りがやけに騒がしい。

 その時黒羽は突然の衝撃と共に覚醒した。

「――っぐ、あっ!?」

 体の左半分が床に叩き付けられたらしく、まだぼやける頭でも、衝撃に目を見開いた。

 痛みは頭のぼやけで鈍く感じるだけで、大した事はない。

 ふらつきながら身を起こす黒羽。

「何……まだ目覚める訳が……」

 近くで驚愕の声がした。

 周りが揺れている。否、自分が揺れているのだ。

 ――気持ち悪い。

「黒羽……効いているのか? 僕が分かるか?」

 頭の中が掻き乱されている。ネコジャラシで脳みそを擽られているような。または脳に直接文字を書かれているような。

 意味が分からない。気持ち悪い。

 しかし黒羽は、そんな嫌悪感すらも、どうでも良かった。

 声がする方を向けば、見た事があるような顔があった。だが、あれは誰だった? 見覚えがあるような無いような。

 でも、どうでもいい。なるようになれ、だ。

 自分がどうなろうが最早気にも止めない。死んだって別に良い。寧ろ死んだ方が楽だろう。

「黒羽!」

「……?」

 再び強く名前を呼ばれ、黒羽は焦点を目の前の男に合わせる。

 すると、頭の中の嫌悪感が一層増した。

「な……う、……っ」

 ――従え従え従え従え。

 自分とは違う意志が働く。自分の意志とは関係無く体が動こうとする。

 黒羽の瞳は揺れた。

 それに気付いたアマニスは口元を歪め、安心したように息を吐いた。

「まだ完璧には作用してないか……だが、これなら」

 自分の精神なんてものは既に壊れていると、思っていた。空洞で、空っぽで、……でも、そんなのはただ考えたくなかっただけで、逃げただけだった。

 本当に、壊れると言うのは……。

「黒羽……敵を“殺せ”。壊滅、だよ」

 優しげな声が、恐ろしい。

 何度思ったか。

 敵とはどういう事か。

 何を求められている?

 周りを良く見るとそこら中が壊されている。燃えている所もあった。

 明らかにいつもと違う。

 そしてこの男は何と言った?

「こ……ろす……?」

 殺せ。殺す。殺人? 壊滅?

 こいつは、俺に、殺人をしろと言っている?

「あ……あ、嫌、嫌だ……嫌……止め……」

 抵抗しようとしても、体は命令を遂行しようと動き出す。

 体から魔力が溢れ出す。

 なに、これ。

 こんなの知らない。

 部屋の扉が大きな音を立てて開けられた。見れば怪しげな黒い衣装で、顔を隠している人間が武器を構えて立っていた。

「くっ、もう此処まで……! サンプルFはどうしたんだ!」

 入ってきた者達を見るなり顔をしかめるアマニス。

「あのダーグルの変異種なら他の隊員が相手をしている。恐ろしいな、この研究所は」

 感情を感じさせない淡々とした喋り方をするのは、先頭に立つ男。

 彼等は会話を続ける事もなく、両手から炎を出した。

「全て、燃やす」

 その炎を今にも部屋へと放とうとしている者達の頭上へ、唐突に大量の水が落ちた。

 ザバァ、と黒衣を濡らし、放とうとしていた炎は跡形もなく消え去る。

 体から湧き上がる熱いものに、黒羽は恐怖を感じた。

 黒羽がやったと分かったアマニスは声を出して子供の様に笑った。

 ――分かる。

 何をどうすれば魔力を使えるか。知らない知識の筈なのに分かる矛盾。

 そして戸惑いの中に居る黒羽を無視して体は更に動く。

「あ……止めろ止めろ止め…………や……」

 敵が黒羽に気付いた時にはもう遅かった。

 視覚出来るほどの魔力で風を操り、真空の刃を作り出す。そして一瞬の内にその刃は彼等の首を跳ねた。

「あはっ! あっはっ、ひゃはははは凄いよ黒羽! 一撃だ! あははははっ!」

 狂ったように笑うアマニス。

 部屋中に広がる生臭い鉄の匂いに、黒羽は吐いた。

「う……えっ、げほっ」

 感触があった訳ではない。しかし数人の首がスッパリと落ちたその光景と、血の匂いは黒羽に恐怖、嫌悪、憎悪、罪悪感といった感情を与えた。

 ――ひとを、ころした。

 平和だった日本で殺人は犯罪だった。

 許されない事だと教育を受けた。

 それは、其処で暮らしている人間の、ほぼ全てに常識として刻まれている。

 命を奪った。その人の人生を奪った。人を殺した。殺人。犯罪。殺戮。人殺し。

「あぁぁああああぁぁあああああああ!!」

 被害者だった。

 被害者だ、今でも。

 でも、もう、そんな言葉では逃げられない。

 逃げたとしても、全てが黒羽の中にある。

“人を殺した”

 それが全て。

 操られていたのだとしても自分がした事に変わりがない。

 そして恐らく、これからもこんな事は続くのだろう。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。頭がぐるぐると回っている。

 最早まともな思考能力など無く、叫ぶ。叫んで酸素を吐き出し、更に考える事など出来なくなる。

 息切れを起こし、倒れ込んだ。

「良くやったね、黒羽。でもまだまだ君の力はこんなものじゃないだろう? さあ、まだ敵は残っている。……行きなさい」

 倒れた場所には先程の吐捨物があり、髪に絡む。気持ち悪い、と黒羽は水で全身を洗い流した。

「……分かった……」

 心が麻痺したように痺れていて、何の感情も湧かない事に、逆にもう笑えてきた。

 ――殺せば、良いんだろ?

 諦めにも似た虚脱感。どうせ操るなら、心なんて殺してしまえば良かったのに。

 黒羽は一筋涙を零した。

 ふらりと立ち上がると、おぼつかない足取りで歩き出す。

 部屋の外へ出ようとするが、先程の死体で道が塞がれ進めない。

 どうしようかと少し考える。「ああ」と何かを思い付いたように黒羽は手を叩いた。

 瞬間、死体から燃え盛る炎が生まれた。

 勢い良く燃え、死体を焼き尽くす。温度が高い青い炎を使ったからか、炭になるのにそう掛からなかった。

「……臭い」

 火葬のつもりだったが、あまりの臭いにまたもや吐きそうになる。

「こら黒羽! 炎は、駄目。研究資料が燃えるだろう?」

 声に振り向いた黒羽は軽く眉を上げると頷いた。

 炭になった死体を“踏み潰し”進みながら黒羽は、自分が死体に既に何の感慨も持っていない事を他人事のように眺めていた。

 徐々に壊れて行くのが分かる。先程零した涙の後から次々と新しい雫が落ちる。

 もう、元には戻ることは出来ないのだ

 それに気付いていないのか黒羽の顔は歪んですらいなかった。ただ無表情に炭を踏み、歩く。

 足の裏が、熱かった。

 通路は煙で視界が悪かった。

 どこかで火事でも起きているのか、黒い煙が視界を塞ぐ。

 敵はどこだろうと左右を見る。すると左側から戦闘中らしき音が聞こえてきた。

 先程聞いたサンプルFが敵の相手をしているという話を思い出し、其方へ向かう。

 見えてきたのは大きな犬と黒い衣装を纏う者達。

 どちらも余裕は無く、強いて言えばサンプルFの方がやや推されている。

 敵は五人。

 圧倒的なサンプルFの力を、チームワークで翻弄する。

さしさか 周りを囲み、炎をぶつけ、気を引いた所で後ろから切る。

 大きな一撃は無いが、少しずつ、確実に傷を負わせていた。

 徐々に動きが鈍くなっていくサンプルFの様子を見て、黒羽はほんの少し考えた。

 敵を殺す。

 しかし黒衣の者達がうろちょろと動き回るので、このまま攻撃をすればサンプルFまで殺してしまうだろう。

 だが……黒羽の命令は、“敵を殺す”事。守れとは言われていない。

 一人頷くと黒羽は先程作り出した真空の刃を更に大きくしたものを放った。

 寸前で気付いた黒衣の者達だったが、避ける暇もなく、サンプルFと共に細切れになる。

 広がる血の臭いだったが、既に鼻の機能など麻痺している。

 他の部隊が無いか確認する為、黒羽はその場を後にした。

 後何人居るのだろうか。

 よく見るとそこら中に研究所の職員達が血まみれで倒れている。

「天罰だな」

 思わず唇の端を上げる黒羽。どうせならアマニスも自分もとっとと殺してくれれば良かったのに。

 自分の中に色々な制限が掛かっているのが分かる。アマニスに対して攻撃出来ない。自殺も出来ない。

 死ぬ為には誰かに殺して貰うしか無いのだろう。

 漠然とそんな事を考えながら歩いていると、上から爆音が響いて来た。

 無言で天井を見上げた黒羽は、周りを一度見回し、階段の類が無いのを確認すると再び天井へ視線を向けた。

 刹那、響き渡る爆音。

 ガラガラと崩れ去る天井と共に落ちてくる黒衣の者達を真空の刃で切り裂くと、突然の爆発に混乱している上の階へ空いた穴から侵入した。

 風を起こし、身に纏い、浮き上がる。

 辺りは黒羽の起こした風により、瓦礫と埃が舞っていた。

 突然現れた黒羽に黒衣の者達は唯一見える目を大きく見開き動きを止める。

 その様子に何やら可笑しくなり、笑みが零れる。

「死ーねっ」

 その言葉と共に血しぶきが舞い散った。

「あは、あはは、くふ……くくく……」

 何が可笑しいのか腹の底から湧いてくる笑いを堪えることが出来ない。

 逃れる事の出来ない自分の現状が笑えるのか、それともそんな自分に顔も分からない者達が呆気なく殺されていくのが笑えるのか。

 ――どーでも良いか……

 返り血を浴び、頭が痺れる。

 右手にべっとりと付いた真っ赤な液体を舐めると、鉄錆の味がした。

 血に酔っているのだろう。

 嫌に冷めた頭でそんな事を考える。

 研究所内の戦闘音は、確実に減ってきている。黒羽は残っているだろう指揮官を探しに歩き出した。

 周りに広がる“死”の匂い。

 今まで暮らしてきた平穏が嘘のような、自らが作りあげた“地獄”を眺める。

「ふはっ……」

 駄目だ、もう駄目だ。

 今自分がどんな心理状態なのか分からないが、手遅れなのだろうという事は理解できた。

 これで研究所内の敵全てを排除した。

 そう考えた黒羽は先程のような爆発で壁を次々壊し、上り続け、屋上へと出た。

 一年ぶりの、空。

 からりと晴れていて、相変わらず雪が積もっているが、今日は雪が降りそうな雲は見あたらない。

 冷えた空気の中、白い息を吐き出した。

 血の匂いで麻痺した鼻がツンと痛む。

「何か出てきたぞ?!」

「警戒しろ!」

 下からざわめきが聞こえてきて其方を向くと、黒衣の軍隊が研究所を囲っている様子が見えた。

 此処はもう外なのでアマニスの言った“炎は使ってはいけない”という縛りはなくなる。といっても先程爆発はさせていたが。

「撃て!」

 隊長らしき人間が命令するが、周りは動揺し動きが止まる。

「待ってください隊長、あれは子供ではないですか?」

「……関係ない、任務は“全ての破壊”だ」

「しかし!」

 揉めている下の様子など気にもせず、黒羽は炎を生み出すと、体の周りを巡らせた。

 まるで小さな炎の龍の様に躍る炎。

 暫くそれを楽しむと、下からのざわめきが酷くなる。恐ろしくなったのか、黒衣の人間達の中から隊長に従い、黒羽に攻撃を仕掛けようとする者が現れだした。

 しかし黒羽は先に動いた。

 身に纏わせた炎を体から引き離し、下へ向けて放った。

 燃え盛る炎は、その身を大きく広げ、敵を飲み込んで行く。

「燃えた、燃えたっ……ふふ、ふは、はっ」

 だが、炎が敵の三分の二程を炭と変えた頃、それは起こった。

 暴れ回っていた炎が唐突に消え失せたのだ。

「がっ……?!」

 炎を生み出した元凶の黒羽は、両手で頭を押さえ呻いていた。膝が崩れ落ち、バランスを取れなくなった黒羽は研究所の屋上から落ちる。

 頭から落ちた黒羽だったが、最早そんな事では死なない身体になっていたし、無意識に地面とぶつかる瞬間に自分と地面の間に魔力の塊で衝撃を和らげていた。

 結果、地面に倒れ込みながら頭を押さえ呻く無防備な姿を敵の前に晒すこととなった。

 突然勝手に苦しみだし、落ちてきた黒羽に、生き残った黒衣の部隊はここぞとばかりに攻撃を仕掛けた。

「いっ、今だ! 放てぇっ!」

 動けない黒羽に、彼等は黒羽のものよりは小さな、それでもかなりの威力がある炎を放った。

 避けることなく全てを受ける事となった黒羽の周りは、雪が溶けて出来た水蒸気と煙で姿を見る事は難しい。

 様子を見ていた黒衣の部隊だったが、煙が晴れていくに連れ顔を引き吊らせた。

「くく……う、げ、痛い……あたま、いたい」

 そこには頭を押さえながら片膝を着き、涎を垂らしながらも無傷な黒羽が居た。

 強烈な痛みは洗脳装置の影響か。最早吐き気を覚える程の痛みに指先が痺れている。

 カタカタと震える手足を気にする事もなく、ゆっくりと立ち上がると、ふらつきながら残った敵に近付いて行く。

 その様子を見た者は恐怖に一歩後ずさった。

「黒羽! こら……研究所を破壊して!」

 いつの間に外へ出てきていたのかアマニスが黒羽の後ろから怒鳴った。

「……? 炎、使ってない」

 アマニスの声に気付き、振り返った黒羽は首を傾げる。

 そう、黒羽が壁を壊したのは普通の爆発ではなく、凝縮した風を利用したもの。“炎を使うな”と言う命令には逆らってはいない。

 アマニスはそんな黒羽の台詞に装置に改良の余地ありだなと眉を寄せた。

 いつ崩れてもおかしくない研究所を見上げ、溜め息を吐く。

 アマニス以外で生き残った者は二人。そして建物のこの状態。

 もうこの研究所は使いものにならないだろう。

 何よりこの研究所が機能しなくなった時点でこの国が敗れる事が確定した。

 アマニスは軽く息を吐き出すと、黒羽を止めた。

「黒羽、一旦中止だ」

「は?」

 間抜けな顔でアマニスを見つめる黒羽。気が抜けたのかペタンとその場に座り込んだ。

「僕達は投降する。僕等を捕らえてくれないか?」

 黒衣の者達は戸惑いお互いに顔を見合わせる。

 元々研究所の壊滅が任務だ。相手が白旗を振ることなど考えていなかった彼等は、どうすれば良いのかほとほと困り果てた。

「生き残った僕等はあなた方に付く。そちらで研究させてくれないか」

「それは本当ですか」

 奥から穏やかな声が響いた。

 黒羽の様子を気にしつつそちらに視線を向けると、戦う者だとは思えない豪華な動きにくい衣装の男が居た。

 彼は柔らかい微笑みを浮かべると、躊躇せずアマニスに近寄る。

 黒衣の者達の中から二人、彼を守るように左右に控えた。

 一方は背が高く、百九十センチはあるだろう。細長い剣を構え、黒羽を警戒している。

 もう一方は逆に背が低く、百五十センチあるか無いか。男か女か、判別は不明だ。

 二人が側に控えるのを確認した豪華な男は、まるで宝石の様な紫色の瞳を、楽しいものでも見るかのように輝かせて口を開いた。

「その話が本当なら、是非とも私達の国へいらして欲しい。……ですが、良いのですか? お仲間は私達が殺しました。それに自分の国を裏切ると?」

 確かに普通ならこんな取引は成り立たない。

 だがそれは、アマニスがただの一般人ではなく、魔科学者であり、愛国心より研究の方に重きを置いているから成り立つ話なのだ。

「ふ……殺した数はこちらも変わらないよ。それに……僕等は国に命を懸けている訳じゃない」

 自嘲するように口元を歪めたアマニスは続ける。

「僕達はただ研究がしたいだけ……そう、上に誰が居ようが研究さえさせてくれれば文句はない。利用したければすればいい、自由に好きなように研究さえさせてくれれば……」

 その濁りきった瞳を見て満足げに頷いた男は、にこやかに笑い、アマニスに手を差し伸べた。

「ようこそディザイス帝国へ。私は歓迎しますよ」

 穏やかで優しげなその微笑みは、死の匂いが漂うこの場ではまさしく“異常”で、似たようなものを感じたアマニスは彼の手をしっかりと握り締めた。

「……宜しく頼みますよ“エシュレイ殿下”」

 アマニスの言葉に初めて人の悪そうな笑みを浮かべる男――エシュレイ。

 その様子をぼやけた頭で見つめる黒羽はその名に聞き覚えがあった。

 隣国の第二皇子だったか。そのような人物が何故こんな所に出てきているのだろうか。

 黒羽は首を傾げた。

 適当な挨拶を交わしたエシュレイは次に黒羽へ近付いた。

「危険です」

 側に控える背の高い黒衣の男が彼を止める。しかしエシュレイは片手を上げてそれを制す。

「……どこかで見たと思ったら……あの時の子か。随分と変わったね」

 黒羽の顎に手を添え、上を向かせる。

「クロウを?」

「ああクロウと言うのですか。いえ、一年前にこの国に来た時に見掛けただけだったのですが……この子の異様な魔力が少し気になっていたのですよ」

 その時の様子を思い出し笑う。

 人混みの中から弾き出され、足元に転がり込んで来た少女。

「この少女は何者ですか?」

 質問に片眉を上げるアマニス。続けて納得したように頷いた。

「殿下……彼は“少年”ですよ」

「……は」

 含み笑いをするアマニスに、エシュレイは珍しくも呆けた表情をしてみせたのだった。

はい、黒羽ぶっこわれましたー!いえい!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ