仲良くなりました
二話目。まだまだほのぼの。
これからどうするか、哲哉がどうなったのか、帰るにはどうしたらいいのか。全てが判らず、行動に移ることも出来なくて戸惑うばかりだった黒羽。
取り敢えず礼を言い、外に出ようとした所を、腕を捕まれ引き止められた。
言葉が分からないのでそのまま首を傾げていると、夫婦はバタバタと何やら準備を始めた。
何の荷物も無く防寒具すら着ていなかった黒羽は、何処か遠い所から捨てられたとでも思われたのか、同情の瞳と共にこの家に迎え入れられた。
見ず知らずの人間の事など放っておいても良いだろうに、彼等は実に楽しそうに黒羽に笑い掛けてくる。
申し訳無いと思いつつも、言葉が通じ無い上に彼等がなかなか強引だったので、いつの間にやら決定されてしまっていた。
その日から黒羽は言葉を教わる事になる。
やはり意思疎通が出来ないと困るという訳で、簡単な単語から覚えさせられたのだ。
生活に必要な物や、自然物。
そうして、次に覚えさせられたのは“これは何ですか?”“あれは何ですか?”と言った疑問文。
疑問さえ口に出せれば自分から知る事が出来る。
そんな感じに、たまに子供と遊びながら過ごした三ヶ月。集中して勉強したお陰か、その言葉の中で生活したお陰か、何とかゆっくりと話す言葉なら聞き取れる様になっていた。
「クロウ、そろそろお昼ご飯だよ」
「……あ、うん。分かった」
ゆっくりと話すナミナの言葉に、此方も一拍遅れて返事を返す。
会話のリズムは悪いが、たった三ヶ月で此処まで他国語を聞き取れる様になる事がどれだけ大変か。
とにかく、日常会話なら何とか問題無くこなせる様になった黒羽はこの家に置いてもらっている代わりに、ナミナの父親であるアマニスの手伝いをしていた。
アマニスは仕事の休みの日は魔物の研究をしている。
そして黒羽はそんな彼の助手の様な事をしていた。
勿論魔物など見た事も無く、初めて見た時などは思い切り後退りして引いてしまった黒羽だったが、今では捕獲出来る程になり、今日もいつもの様に小型の魔物を捕まえ研究室で手伝っていた。
「ごはん、だそうです」
アマニスはそうか、と向かっていた机から離れた。
キィキィと鳴く兎の様な魔物をひと撫でし、部屋から出る。黒羽もそれに続いた。
「ねえクロウ、今度はどんな魔物なの?」
食卓に着いた途端、ナミナが向かいの席から身を乗り出して聞いて来た。
いつも可愛い魔物の場合、研究して害が無いと分かると研究が終わるまでの間ナミナのペットと化す。
「え、と……」
兎みたいな魔物、なのだが黒羽はこの世界での“兎”と言う単語が分からなく、更に言えばこの世界に兎が存在しているかも分からないため、姿、形をそのまま教えてやった。
「あ、ラピトルだ! うわ、触りたい触りたい! お父さんまだ研究終わらないの?」
どうやら兎に似た魔物はラピトルと言うらしく、ナミナははしゃぐ。
アマニスはそんな様子の娘を落ち着かせながら食卓に着いた。
「まだもう少しかかるんだ。それにラピトルは少し気性が激しいから、もしかしたら遊び相手にはなれないかもしれないよ」
納得いかないのか、少々頬を膨らませながらも大人しく席に座るナミナ。それに苦笑しつつアマニスは黒羽に話し掛けた。
「なあクロウ、言葉はもう大体分かるだろう?」
「はい、ゆっくりなら、何とか」
黒羽の言葉を聞いたアマニスは頷くと口を開いた。
「君は何故あんな軽装で雪の中外に居たんだい?」
黒羽は困った。“違う世界から来た迷子だ”なんて言って信じるだろうか。いや、そんな事を話しても頭がおかしいとしか思われないだろう。
どう説明するか。
黒羽が返答に困っていると食卓に料理を運んできたナミナの母が助け舟を出した。
「もう、アマニス。クロウはまだ知らない言葉が多いんだから」
「でもユミーラ、早くクロウの事を知ってこれからの事を考えないと。」
二人は少し早口に話す。いや、黒羽が早く感じるだけで二人にとっては普通に話しているのだろうが。
お陰で単語位しか聞き取れず、黒羽は首を傾げた。
「なあクロウ、帰る処はあるのかな? もし、だけど、もし無いのなら……この家に来ないか?」
「へ? ……ええっ?!」
いきなり何を言い出すのかと黒羽は驚く。
何でそんな事を思ったのか聞くと、どうやら倒れていた時に何も荷物を持っていなかった事、雪の中出歩く格好ではなかった事から何らかの事情で家から追い出された、または逃げ出して来たと考えたらしい。
この世界に残るのならばありがたい申し出ではあるのだが、今の所そのつもりが無い黒羽は横に首を振った。
「色々してくれて、ありがたいとは、思ってます。でも帰るばしょはありますから……」
“帰れるか”どうかが問題なのではない。其処へ“帰る”のだ。
帰る場所が無いのではない、ただ帰り方が解らないだけ。
だからこの家族に甘えてはいけない。
言葉も覚えてきたし、やはりそろそろ話すべきなのだろう。違う世界から来た、と。
そして帰る手段を探さないとならない。
話して正気を疑われても仕方がない。今までの礼が出来ないのは心苦しいが、いつまでも厄介になっている訳にもいかない。
黒羽はそう思い直し、アマニスに視線を合わせた。
「あの、俺……」
「クロウ! 食べ終わったら雪合戦しに行こう!」
いつの間にやら一足先に食べ終わっていたトトが言葉を遮る。
話を聞いていたのかいなかったのか。もしかすると暗い雰囲気を吹き飛ばそうとして無理矢理割り込んだのかもしれない。
「ぼく、先に行ってるからね!」
「あ、こらトト!」
食べ終わった食器類をそのままに部屋を出て行ったトト。
ナミナは怒りながらも既に行ってしまった弟の食器を片付ける。
実際ナミナも黒羽がいずれこの家から居なくなる事を知り、気分が落ち込んでいたため弟の行動はありがたかった。
「クロウ、私達も早く食べて行こう!」
「あ、うん」
話すタイミングを崩され急かされるままに手早く食事を済ませた黒羽は、ナミナに手を引かれ、その部屋を後にした。
一時間程雪にまみれながら遊んでいると、街の方から人々の歓声が聞こえてきた。
時刻は一時を少し回ったところ。まだまだ昼食を取る時間帯である。
「何だ?」
言葉を教えて貰った三ヶ月の間に黒羽は街へと連れられて出掛けた事はあった。
大きくて賑わっている至って普通の街と言える。
細かく説明すると雪の深い地域にある街らしく酒場が多い。
仕事帰りに酒場に寄り、一日の疲れを同じく集まった連中と共に話し、笑い、時にはもめ事等も起こる。
活気のある良い街だ。
だがそれにしても騒がしい。
「ナミナ、街で何かやってる?」
黒羽は元の世界での祭りを思い出した。
街全体が嬉しそうに、楽しそうに騒ぐのは、そんな時位だろう。
同じ様に視線を街にやり、ナミナは首を傾げた。
「お姉ちゃん、行って見ようよ! クロウも行こう!」
いやに張り切るトトに引っ張られ、三人は街へ向かって歩き出した。
アマニスに断りも無く出掛けるのはまずいとも思ったが、この調子では黒羽が連絡に行っている間に、二人だけで街に行ってしまいそうな勢いであった為、諦めた。
歩いて数分もすると街中に入る。そのまま大通りへ向かうと、徐々に人が増えてきていることが分かる。
「この先はユ・シルマ通りだね。街で一番大きな通りだけど……何かやってるのかな?」
三人して辺りを見回しながら歩いていると、前を歩いていたナミナが振り向きながら疑問を口にした。
増してきた人混みに苦労しながら、ナミナやトトと手を繋ぎ、はぐれないように前へ進む。
「うわ?!」
すぽん、と抜けたと思ったら、そのまま黒羽は地面に倒れてしまった。
驚いて繋いでいた手を離したからか、二人に怪我はない事に安心した黒羽だったが、自分が人々の視線が集まる中心に転がり込んだ事にようやく気付く。
まだ腰を地面に付けたままの黒羽は、慌てて立ち上がろうとすると、目の前に誰かの手が差し出された。
「大丈夫ですか? どうぞ、手を」
見上げると、差し出された手の持ち主は、若い男だった。
二十代前半だろうか。艶やかな細い背中までの長さの金髪を後ろで軽く括り、宝石のような鮮やかな紫色の瞳は優しげに細められている。
街の住人では一生掛かっても着れないような豪奢な衣装を身に纏い、優雅に微笑む姿は、一目で身分が高い者と知れた。
「あ、はい、すみませ……うわっ?!」
差し出された手を取ろうと手を伸ばすが、その瞬間、四方で槍を構え黒羽を威嚇する男達が目に入り、思わず肩を跳ねさせた。
その男達は揃って同じ様な服を来ており、手を差し出した男を庇うように後ろへと促す。
「え、な……」
「待ちたまえ、彼女はただ転んだだけだよ」
やたら豪奢な男は槍を構えた者達を窘める。
あまりの事態に挙動不審になりかけていた黒羽は、その様子をただ見ている事しか出来なかった。
槍の構えを解かさせると男は改めて手を差し出した。
「すまないね、彼等は仕事熱心なものだから……怪我はないかな?」
「あ、はい、すみません」
今度こそ差し出された手を掴み、立ち上がる。
服に付いた埃を払い、微笑みながら様子を伺う男に、随分な紳士だなと思いながらされるがままになる黒羽。
「見に来ていただくのは嬉しいのですが、女性はもう少しおしとやかにした方が宜しいかと。まあ僕としては多少おてんばな方が好みではありますがね」
「…………は?」
片目を瞑りながら内緒話をする様に小声で話したその内容に、黒羽は何も反応出来ず、そのまま「それでは」と言いその場を去る男を呆然と見ている事しか出来なかった。
暫く動けずにいる黒羽のすぐ横から、押し殺したような笑い声が聞こえた。
見るとナミナとトトが二人、寄り添いながら肩を震わせている。
「く……くくく、女性、って」
「っぶは!もう駄目だあ~!!あはははっ」
どうやら小声での会話だったのにも関わらず、彼等にはしっかりと聞かれていた様だ。
黒羽は無言で二人にげんこつを喰らわせた。
「髪、切ろうかなあ……」
この世界に来てから三ヶ月。
言葉を覚えるのに必死で、ただでさえ後回しにしていた髪の毛は肩に着くか着かないか位まで伸びていた。そのせいで、余計に女に見える様になった事は自覚している。
しかしこう見事に女に間違えられた事はかなりの屈辱であった。
「待ってよクロウ!」
「笑ってごめんってば!」
後ろから駆け足で付いて来る二人に視線をやり、歩く速さを緩める。
追い付いた二人は息を乱しながら黒羽の両隣を歩いた。
「そろそろ帰ろうな」
「ん」
「うんっ」
三人で手を繋ぎ、歩く。
「……そう言えば、結局何であんなに騒がしかったんだ?」
ぽつりと疑問に思った事を口にする黒羽に、二人は驚いた様に見上げてくる。
「え、クロウあの人の事知らないの?」
知らないのかと驚かれても、黒羽はまだ此方に来て一カ月しか経っていない。
そんなにも有名な人なのだろうかと聞くと、ナミナは興奮しながら言った。
「隣国の第二皇子だよ! すっごい格好いい方だよね! 確か……エシュレイ様だったかな」
この国に会談に来ていたと言う隣国の皇子は、通り道であるこの街に寄っていたらしい。
あの皇子は女性にかなりの人気があるらしく、自国の皇子でないにも関わらずあのような騒ぎとなったようだった。
「今日はこの街に泊まっていくのかな?」
あんな状態では泊まる宿にも迷惑が掛かりそうだ、と内心苦笑する黒羽。
ナミナもそう感じたのか、似たような笑いを浮かべていた。
◆
広々とした宿の一室。
特別室であるこの部屋には様々な高級品が揃えてある。
白を基調にした金のラインの入る繊細なカップには、先程入ったばかりの紅茶。
それを傾け、少量を口に含んで香りを楽しむ。
「うん、良い香りだ」
ミルクと砂糖が置いてあるにも関わらず使った形跡が無いのは、ストレートへの拘りか。
「殿下、問題の件ですが……」
部下の言葉に眉を寄せる。
外交など表向き。その裏では相手よりどれだけ有利な情報を手に入れる事が出来るかが今回の会談の目的だ。
それはこの国も分かっている事。
というか、それは国と国が付き合う上で当たり前の事でもある。
友好国と言ってもその裏側は国民が知ることは無い。
その為、昼間の様な騒ぎは良く起こる。
エシュレイは顔の造りも美しい。身のこなしの優雅さや、民に対する態度など他の王族には無い気安さも、彼の魅力を存分に引き出していた。
老若男女皆に受けが良いが、特に女性から支持を受ける。
それは自国内に限らず。
騒がれるのは王族として当たり前だけに、エシュレイは今回の事も“いつもの事”として気に止めないでいるつもりだった。
しかし。
「……不思議な魔力だったな」
「殿下?」
ふと洩らした呟きに怪訝な表情で此方を窺う部下に「何でもない」と頭を振り、先を続けさせる。
今は昼間出会った人間の事など関係無い。
エシュレイは頭の隅にその人間をちらつかせながら部下の報告を聞いた。
「まず一つに、殿下の推測通りにこの国は“禁忌”に値する研究を行っているとの事、第二に、それは“国”の上の連中……まあ詰まる所、政に関わる者達の殆どが知らず、この国の王の個人的なものである事、第三に、その研究は今どうやら行き詰まっているらしく、何年も膨大な金額――これは国費ですね――を消費し続けているという事……酷いですね、他国ながら」
あまりにも酷い状況に、エシュレイは――笑って見せた。
「この情報をこの国の民衆に教えたらいったいどんな暴動が起きるかな?」
浮かべている笑みは婦女子を魅了するそれであるのに、その口からは物騒な言葉が紡がれる。
「だがまだだ」
優雅な手つきでカップを持ち上げる。
そのまま口に運ぶかと思いきや……持ち手から指を放した。
「まだ……その時ではないのだよ」
柔らかな絨毯に落ちるも、あまりにも薄いカップは、パリンと音をたて、割れた。
エシュレイはそれを見やり、始末を部下に任せる。
「ああ、絨毯は捨てて、代わりを用意しなさい。汚れてしまったのでね――それと、紅茶の代えを」
了解しました、と答え絨毯を持ち、部屋を去る部下。
暫くして、新品の、元の絨毯よりも更に高そうな絨毯が敷かれ、代えの紅茶が運ばれた。
「あと一年は様子見だね、今回は大人しく帰るとしようか」
楽しげに目を細め近くの窓から外を眺めると、未だに宿の周りに群がる民衆が見える。
まるで餌に群がる飼い犬の様だとエシュレイは思う。
――可愛いものだ。
◇
結局黒羽達はあのまま街の中で買い食い等をして、家に帰るのが遅れ、二人にこっぴどく叱られた。
トトは泣いて謝って居たがナミナは笑顔のまま、「ごめんなさーい」と、反省しているのかいないのか。
それを見てアマニスは呆れかえるも、ユミーラは普段優しげな眦を吊り上げ、悪魔の様な表情で叱りつけた。
それにはナミナも怯えたのか、震えながらコクコクと頭を上下に大きく振っていた。
「もう、お母さん心配し過ぎなんだよー。すぐそこなんだからそんなに怒らなくても良いのに」
二人の説教から無事生還したナミナとトトは、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。
トトは泣き過ぎて真っ赤にさせた鼻で鼻水をすすり上げている。
「それはそうだろ、叱ってるユミーラさんに、あのたいどはまずいって」
苦笑しながらナミナの方を向き、頭をぽんぽんと叩くと、彼女は唇を尖らせて不満を露わにした。
「帰ってきたの、もう日が暮れたあとだったしさ」
「むう……確かに時間忘れて遊んじゃったけど」
反省していない訳では無いらしく、ナミナは眉尻を下げた。
それを見て黒羽は頭を優しく撫でた。
「れんらくしないで居なくなっちゃったのも悪かったしね」
そこまで言うと、ナミナは俯きになり、顔を枕に埋もれさせた。
殺したうめき声が聞こえてくるから、どうやら泣いているらしい。
「ほら、泣くな」
「うう~、だいでだいぼん~」
何を言ってるのか分からなく、思わず笑ってしまう黒羽。
どうやらずっと意地を張って泣くのを我慢していたらしく、堰を切ったようにボロボロと大粒の涙を零すナミナの頭を、ぐしゃぐしゃとかき回す。
「またこんど、街に行こうな」
勿論、ユミーラさんに伝えてからな、と言う黒羽は楽しそうに笑っていた。
まだ泣き止む事の出来ないナミナは、それでも小さく頷いた。
「うん、今度はみんなで行きたいな」
泣き止んでいたトトは黒羽の提案に笑顔で賛成する。
泣いた鴉がなんとやら。
立ち直りの速さに黒羽は苦笑した。
ふと気付くと、部屋にすう、すうと規則正しい寝息が聞こえている。
ナミナの方を向くと、彼女は泣き疲れたのか枕に顔を埋めたまま眠っていた。
その様子に微笑ましさを感じながら、黒羽は彼女を仰向け毛布を掛けてやる。
「さ、俺達も寝よう」
なんだかんだで結局、皆にその内此処を出る事を説明出来なかった。
次のお出掛けの約束までしてしまい、暫くはこのままの状態が続きそうである。
うずうず。




