ねと 前編
食傷、という言葉がある。
今では主に 「あきあきしている」というような意味を持って用いられていることが多いようだが、昔は「食中毒、食あたり」という意味合いで用いられていたようである。
そのため昔の小説、物語を読めばこの「食傷」と言う言葉を「食あたり」という意味合いで使われているのをまま目にすることがある。
冷蔵庫もなく衛生観念も確立されていない頃は、少し暑くなったと感じる季節にでもなれば
「今ちょっと食傷でね。」
だとかいう言葉が挨拶代わりにでもちょくちょく飛び交っていたのではなかろうか。
引っ越す前の我が家には、先に述べたように網の引き戸付きの水屋(茶箪笥)があった。この網の部分に食べた後残ったおかずを入れておいたり、出来上がった蒸かし芋 ~これは我が家での秋のおやつの定番であった~ を入れておいたりしたものだ。
網戸にすることにより通気性を良くし、むぁっとした生い気 ~暖かな食物から立ち昇る湯気のことを祖母はこう言った~ を抜き(逃がし)、そしてつきもののハエ、油虫が寄らないようにしていたのだろう。そしてまた、冷蔵庫はあれど煮炊きしたおかずなどはその日一日は水屋や台所のテーブルに置いたままにしてあった。
また私が幼い頃は近所にスーパーマーケットなどはなく、そのかわりに2軒ばかりの万屋と、軽トラックで村内を回り魚などを商う行商店があった。日常品はそれで事足りたため滅多と村外まで買い物に行くことも無く、また村内なので子供のお使いでも事足りたこともあり。
母や祖母に
「ちょっと〇〇まで行ってきて。」
と言われて急いだものだ。
ただ如何せんそう人数の多くない村の人間のみが買う店であるので。
そして、村内輪の店であるので。
暗黙の了解の下、買い物をしなければならなかった。
例えば豆腐を器をもって買いにいくのだが、
「絹こし豆腐一丁ください。」
などと、店のおばさんに声を掛けると、水の入った一斗缶の中に沈んだ豆腐を手で掬い器に入れてくれる。
そうして家に持って帰るのだが、夕飯時になると、まず両親がその匂いを嗅いでチェックする。
たまに、
「ちょっとひすい(腐ったような)臭いしとる。生では食べられへん。炊かんなあかん。」
ということで、冷奴のはずがメニュー変更となったりした。
またあるとき、魚を商うおじさんから父が鯨の赤身をたっぷりと買ったことがあったのだが。
(その当時は鯨はまだ結構出回っていたように思う。学校給食にもよく出されていた。)
子供心に変わった色だとは思ったのだ。何しろ少々緑がかっていたのだから。しかしおじさんがいい身が手に入ったからと売りに来たと父がいい、鯨の肉はこういう色もあるのかと悩んだのであるが。
さて夜となり、いざホットプレートの上で鯨の焼肉だと勇んで焼けば、それは見事なまでの異臭を放ってくださったのである。
魚が少々古かろうがいつもは何も言わずに食べているのだが、さすがにこの時はあまりの臭さに食べることはせず、また払った金額もそこそこ大きかったようで村内輪とは言えども母が苦情の電話をいれたものだ。
そういう諸々が日常茶飯事であったためにそんなものかと思って過ごしていたのだが、その当時の世相からしてみても時代遅れであり、村内ということで皆が目こぼししつつ暮らしていたのだということに気付くきっかけが、中学に入った頃にあった。
その当時私の入学した中学校では、朝に昼食用のパン購入の申し込みをすることが出来、昼前にパン屋さんから各教室ごとに配達されていた。
ほぼ弁当持参で、滅多とパンを買わなかったのだが、初めて頼み、メロンパンを手にしたとき。
中身がからっぽの、皮だけのパンだと思い、ショックを受けた。
そもそも菓子パンを食べたことなどほとんど無く、あったとすれば村内で買ったメロンパンやコルネくらいであった。そしてそのどれもが例外なく、しっかりとした噛み応えと少々パサパサしたものであり。特にメロンパンなどは手で持ったとしても少々の力では変形しないほどの逞しさであったのだ。
その調子で持った中学校のメロンパンは。
当然のことのようにぺしゃんこになり。
私は、袋を開けてパンを千切るまで、中の生地がないと思い込んでしまったのである。
ふわふわのメロンパンを初めて食したときの感動と、今まで食べてきたものは、と思い至った衝撃は、今でも鮮明に思い起こされる。