蚊帳
今、地球温暖化、といわれている。
年間を通しての地球全体の平均気温はいざ知らず、確かに昔の夏は今より涼しかったように思う。猛暑日は滅多となく気温30度以上の真夏日が続けばニュースとなり、なんと言っても熱中症により亡くなられた方を今ほど聞かなかった。
冬は冬とて、今日は特に寒いなという早朝には、今では見られない氷柱が軒先から短くはあるがぶら下がり、アスファルトで舗装していない狭い小道を歩くとしゃくしゃくと霜柱を踏む音がし、そっと白く輝くそれをかがみ込んで覗いたり。積雪量の少ない地方ではあったが、それでも年に何度か雪が積もれば肩凝りで血液の循環が悪いにもかかわらず、手足の霜焼けに苦しみつつも懲りもせず雪遊びに夢中になったものである。
そんなであったので冷房の必要性は我が家ではほとんどなく、外から帰って涼むのはもっぱら扇風機の前。
夜ももちろん窓を網戸にして扇風機のタイマーをセットして寝るのであるが、2階に子供部屋があったために、当時はいくら今より涼しかったとはいえ真夏ともなれば残念ながら扇風機が止まると寝苦しくなり起きだす日もあり。
そんな時羨ましく懐かしく思うのは、階下の祖母の寝間である。
祖母は奥座敷の仏間を寝間にしていた。そこは左右に縁側があり、開けているととても涼しいのである。開発が進んだ今とは違い当時は知らない人が村を歩くこともないような環境であったため、夏ともなれば中庭側の雨戸に少しの隙間を開けて寝ることが多かった。
その際、部屋の四隅から蚊帳を吊るすのである。
小学校低学年頃までの私と姉は、時々そろって祖母の蚊帳の中に潜り込んだ。
かの有名な
垂乳根の 母が釣りたる 青蚊帳を すがしといねつ たるみたれども
( 長岡 節 )
という短歌があるが、背の低い祖母の吊る蚊帳はまさにそのとおりであった。
「蚊ぁ入らんように中に入りや。」
と、毎回注意され、せぇので、ぱっと潜り込み。
布団に寝転び上を向くとだらんと弛んだ蚊帳があり。
そのまま足を上げて蚊帳をペダルを漕ぐようにして蹴って遊んだものだ。
もちろん祖母のお叱りつきではあるが。
あちこち継ぎをあてたその蚊帳は祖母が嫁入りの道具として持ってきたもので、柔らかな手触りの母のとは違い冷たく硬く感じたそれは、今から思うと麻で出来ていたのであろう。涼しくて寝心地が良かった。 火照った足の裏にもその冷たさ、綿とはちがう少しごわりとした硬さが心地よく、蹴るたびにほわほわと持ち上がる様子を楽しんだものである。
ひとしきり遊んだ後、3人並んで寝たものであるのだが、さすがに体が大きくなり狭くなったのと、一人で寝る年齢になってきたこと、さらにその二つ以外のもう一つの理由から祖母と寝ることがなくなっていった。
私にとっては、母も祖母も大事な家族である。ましてや祖母と母の間にある感情、やり取りなどとんと気にしたことがなかった。それは、母も祖母もお互いに対する愚痴を孫である私たちにこぼすことがなかったからなのであろう。
祖母のところで寝る、と言った私に、母は。
2階にも蚊帳吊ったるからと。
私と祖母が一緒に寝ることを嫌がったのだ。
思えば姉妹のなかで私は特におばあちゃんっ子であった。
その頃はちょくちょく祖母と寝ており、それ以外は姉妹で両親の部屋の隣室の子供部屋で寝ていたように思う。そして、両親とは滅多と一緒に寝ていなかった。
幼くて、それが母が嫌がることだとのみ理解した私は、それ以来、滅多と祖母の蚊帳にもぐりこむことはなかった。