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20日目~22日目
岐阜においても沿岸部から次々と人が避難してきた
とある高校を間借りしていた都立八王子高校生徒一同も約200名も
僅か4つの教室で寝泊りしていた
既に2週間こんな生活をしている
シャワーはこの2週間2回だけ身体を洗っただけである
家族との連絡も全く取れないなか
何とか学校関係者と連絡が取れ
八王子周辺住民の大半が山梨県に避難しているとの情報であった
しかし山梨県といってもばらばらで 地域ごとに分かれて避難先が違う遠いう事がわかった
そして僕の家族 母と妹は韮崎にいるということがわかり
同じく韮崎に家族が避難している24名の生徒と引率の池上先生が担当で
韮崎に向かうこととなった
しかし電車は戦時統制で貨物優先となっており
バスも沿岸の石油コンビナートが被害を受けた為 ガソリンは軍事車両優先になっていた
1日に数本の列車に数日かけて地区ごとに乗り込み
22日深夜に自分達の番になった
深夜1:00だというのに電車は満員でその乗客もやはり僕達同様に
東京に家族を残しそしてその家族の元に帰るための人達かであった
22日朝 甲府に付いた僕達は韮崎までは徒歩で向かった