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夫は、ほぼ透明人間

作者: 有梨束
掲載日:2026/05/22

「ああっ、リュート様!何も着ないまま、部屋を出ようとしないでくださいよ!」

「あ、ごめん。うっかり」

「もう〜!使用人がびっくりしてしまいますよ」

「大丈夫だよ、どうせ誰にも見えないんだから」

そう言ってケラケラ笑う夫のリュートに、私は一枚ガウンを着せるのだった。


リュート様は、ほぼ透明人間だ。


これは比喩として、あの人影が薄いねって意味ではなくて、正真正銘見えない人なのだ。

首から下の体が全部、透明なのである。

鎖骨から、腕も手も胴体も足も、全部見えない。


顔と首だけははっきり見える、びっくり人間なのである。


「見えないからいいという問題ではありません」

ムスーっと怒ってみせるが、リュート様は嬉しそうに私の頬を撫でた。


「そうだね、セラフィナ以外に見せるものでもないしね」

「やきもちを妬いているとかじゃありませんからね?」

「おや、妬いてくれないの?残念」

わざとらしくガウンをはだけさせてくるリュート様のガウンの腰紐を、これでもかというほど硬く結んでやった。

そうすると、また楽しそうにリュート様は笑った。


夫は自分が透明人間だという状況すら楽しんでいるので、私はこうして巻き込まれるだけだ。

まあ、本人がいいならいいんだけど。



どうして夫は、首から下が見えないのかというと、北の魔女に体の像を持っていかれたんだそうだ。

北の魔女は、夫の体つきに惚れて、「くれ!欲しい!」と言ってきたんだと。


本物の夫の体は、騎士に負けないほどの程よい筋肉質だったとか。


そして、そのまま魔術をかけられて持っていかれた、と。

「使い魔とドッキングさせれば、好みの男が出来上がるぞー!」とさぞお喜びだったとか。


そんな話あるかと思うが、実際にあるんだからしょうがない。


夫曰く、「服さえ着ちゃえばわからないし、社交も仕事も問題ないし」とのこと。

外側の見た目だけ持っていかれて透明なだけで、体自体はあるのだ。

日常生活に支障はないし、触れるし、跡継ぎのことだって、何も問題はない。


それって問題ないのか…?と私は思うけど、本人的には問題ないらしい。


ちなみに、私が知ったのは結婚してからだった。

婚約中には、知らされなかった。

「だって、かわいい花嫁に体が見えないなんて理由で逃げられたら困るでしょ?」と結婚初夜に言われた。


目の前に、見えない体を持つ夫が現れた新妻の気持ちも、少しは考えてほしかったものだ。


そりゃあ、何かあるのかなとは婚約中から思っていた。


夏でも冬でも変わらず、首まであるタイプのシャツを着ていたし、手袋も欠かさなかった。

なるべく全身覆われる服を着ていて、顔以外の素肌を見たことがなかった。

そこらへんの生娘よりも、よっぽどガードが堅いなという印象だった。

騎士でもないのに、傷でもあるのかしら?くらいにしか思っていなかったけど。


でも、私の父だけは知っていたらしい。

父は北の魔女のファンだから、大喜びで私と婚約させたのだ。

そんな理由で娘を嫁がせるなと、一発拳をお見舞いすることとなった。


「それで!?初夜はどうだったんだい?本当に体は透明だったのかい!?」と興奮気味に訊いてきたので、もう一発股間を蹴り上げておいた。

本当にデリカシーがないんだから。

あとで、母様にもこってり叱られたそうだから、しばらくは父様もおとなしくしているだろう。


北の魔女は、頭のネジはぶっ飛んでいるが、10年に1回くらいはこの地にやってきて、新しい技術をもたらしてくれるので、密かに人気ではある。

前回やってきた時は、室内を適切な温度、湿度、消毒できる魔道具を持ってきて、医療現場が格段によくなった。

最近では、平民にも医療が簡単に届くくらい余裕もできてきた。


その礼にリュート様も体が持ってかれたのは、むしろ安いくらいだったとも言える。



ガウンを着たリュート様の体の形がわかって、私は密かにホッとする。


見えないからといって、ないわけではないけど、やっぱり目に見える方が安心感は違う。

だから、ガウンの上からぎゅっと抱きついてやった。

温かくて、脈がちゃんと鳴っているのもわかるけど、夫の体の形はわかる方がいい。


「朝から積極的に来られると、にやけてしまうなぁ」

「じゃあ、二度と朝には抱きつかないことにします」

「えっ」

離れようとしたら、慌てて抱き締められた。


「二度と余計なことは言わないので、ぜひくっついてください」

「ふふっ、なんですかそれ」

「セラフィナがくっついてくれるのは嬉しいから」

「そうですか」

「そうだよ。こんな奇妙な夫を受け入れてくれるんだと、嬉しくなるよ」

「奇妙だという自覚あったんですね」

私がそう言うと、なぜか嬉しそうにおでこにキスされた。


「セラフィナのそういうところが、好きだな」

体がほぼ見えない夫は、それ以外も少し変だと思う。




そんなある日の休みの日、2人でのんびりお茶をしていた時だった。


「リュート様!セラフィナ様!た、大変ですっ!」

使用人が転がり込むように部屋に入ってきたかと思うと、悲痛な声を上げた。


「魔女が、北の魔女がお越しになりました…!」

これはまた、頭の痛い案件かしらね…?



「よっ!この家の茶は美味えな!」

妖艶な魔女は、見た目と反して豪快に笑った。

どっかりとうちの応接間のソファーに座って、使用人が出したお茶を飲み干していた。


「気に入られたのなら、帰りに茶葉を包ませますよ」

リュート様はなんでもないように向かい側に座った。

私は内心ドキドキだったが、リュート様に倣って隣に座った。


は、はじめて北の魔女様にお会いしたわ…。

よく出回っている姿絵よりも、よっぽど美人だ。


「それはありがてえ」

「魔女殿、こちらは妻のセラフィナです」

「お前、その体で結婚できたのか…?」

「それを魔女殿が言うんですか」

「ぎゃははっ、違いねえっ!」

ツボに入ったのか、北の魔女はしばらく笑っていた。

私はただそれを見ているしかなかったけれど、リュート様は何も気にしない様子で、優雅にお茶を飲み始めた。


う〜ん、さすが体を持っていかれても動じない男。

私も妻として、これくらい豪胆な方がいいのかしらねぇ。


魔女は笑いから戻ってくると、ニンマリ笑って胸を反らした。

羨ましいくらいの巨乳が揺れた。


「一応、気遣って顔は持っていかなかっただろ?」

それって、気遣いだったのか。


「なーんだっけ。お前の立場…、ああ、『貴族』ってやつ!顔くらいないと困ると思って、顔も体の本体も残しておいたからな!」

「ええ、お気遣いとても感謝しています」

「でも、それと女は別だろと思っていたが、奇特な娘もいたもんだなぁ!」

「いいでしょう?可愛くて、頼もしくて」

「最高だ!お前の体より、こっちのお嬢さんを貰えばよかった!」


魔女の言葉に、リュート様はいきなり私を抱き締めた。

しっかりと服を着たリュート様は、見えないけれどそれなりのいい体だとわかる。


しかし、まるで魔女から隠すようにするので、ちょっと苦しい。

な、なんだろ、急に。


「彼女はあげませんよ」

リュート様の低く怒っている声に、私の心臓が跳ねた。


「おや、自分の体よりお嬢さんに執着しているのかい?面白いじゃねえか」

「いくら魔女殿とはいえ、彼女は絶対に渡せません」

「ふーーーん、今回の土産はいらないってことかい?」

ニヤニヤしている魔女の声だけが届いて、私はヒヤリとした。


土産って、いつも新しいものをもたらしてくれる魔道具の話よね。

それ、断ったらまずくないですか…!?


私が反論する前に、リュート様の鋭い声が飛んだ。


「セラフィナは他の何かとは比べ物にならない代え難い人なので、ダメです」

「新しい魔道具もいらないんだな?」

「セラフィナを寄越せと言うなら、いりません」

リュート様がそう言い切ると、部屋の中はしーんと静まり返った。


私は、自分の呼吸がリュート様の胸から跳ね返ってきて、やたらと大きく聞こえた。


「なーんだ、ちょっとカマかけただけなのに、つまらーん」

「冗談でも許しませんよ」

「おお、怖。仕方ないから、嬢ちゃんは諦めるよ」

魔女のガッカリした声とともに、リュート様も腕も少し緩んで、ようやく顔が出せた。


「はあ、びっくりした…」

「僕の方がびっくりしたよ」

耳元で心底ホッとしたように言われるので、くすぐったい。

リュート様の顔を今見たら、赤くなってしまう気がして、私は魔女の方を向いた。

だというのに、リュート様は構わずに頬擦りしてくる。

魔女がわかりやすいくらいニヤついてこっちを見ていた、気まずい。


「んで、お嬢ちゃんはセラフィナだったっけか」

「は、はい」

魔女は私目掛けて、ビシッと指を差した。


「そいつやめて、私のところへは来ないかい?」

「はあ!?今、諦めたじゃないですかっ!?」

「リュート様、耳元で叫ばないでください…」

思わず顔を顰めたけど、リュート様に再びきつく抱き締められた。


だけれど、魔女はしれっと答えた。


「本人にはまだ訊いていない」


リュート様のあからさまに不満そうな気配が間近から伝わってくる。


「北の魔女様にお求めいただけるのは光栄ですが、やめておきます」

私はゆっくりと、でもはっきりお断りした。


「その男よりも、愛してやる自信があるぞ」

「私の夫は、彼でないとダメなので」

「ちぇっ、それでこそ透明男と結婚した女だわ。いいなー!ますます欲しいなー!」

魔女はソファーにのけ反ると、長い長いため息をついた。

ついでに、溢れんばかりの巨乳も揺れていた。


「ダメに決まっているでしょ!?不法侵入で摘み出しますよ!」

「リュート様、落ち着いてください」

「なんで、セラフィナはそんなに落ち着いていられるの!?」

「体が透明なあなたに言われても」

私の言葉にリュート様はあんぐりして、魔女はやっぱり大笑いしていた。


「さて、んじゃ、私は王族に挨拶でもしてくるよ」

魔女は立ち上がったかと思うと、振り返った。


「そうだ、お前の体を見せてやろうと思って寄ったんだ!」

何かを思い出したように魔女は指をパチンと鳴らすと、黙々と煙が出て、そこから男の人が出てきた。

高身長であり、着ているスーツの上からでも、体格がいいのがわかる。

顔はなぜかのっぺらぼうだった。


「こいつ、私の使い魔。いい男だろ?」

顔がないから、なんとも言えない。

魔女はすごく満足そうに言うので、きっといい男なんだろう。


「お嬢ちゃんは、こいつの体見たことないよな?」

「はい。元はリュート様の体なんですよね?」

「見た目だけな」

そう言って、魔女は指をくるっと回すと、なぜか使い魔のスーツがみるみる溶けていって。


「ほれ見てみい、嬢ちゃん!いい体だろー、こいつ!」

「…ほんとだ」

使い魔の全裸がしっかりこの目に映った時、目の前にリュート様の手が来た。

目を塞がれたので、首を傾げた。


「どうしたんですか」

「…まじまじと見ないでくれる?僕の体でも、あるんだけど」

「今更、恥ずかしがるんですか?」

「透明と、生身じゃ、違うんですっ…!」

珍しく顔の赤いリュート様を見て、私はますます首を傾げた。


「リュート様、今日お休みだから手袋をしていないことを、お忘れなんですか?」

「…あっ」

「さっきからずっと丸見えですよ」

「見ないでもらってもいいかな!?」

「ぎゃはははっ、やっぱセラフィナ欲し〜〜〜いっ!!」

魔女の大笑いが屋敷中に響き、同時にリュート様の大声も響いた。


結局リュート様の胸に顔がつく形で頭を抱えられてしまったので、私は本物のリュート様の体をそこまで見ることは叶わなかったのだった。


北の魔女様は、「気が変わったらいつでもおいで」と言い残して、帰っていった。


今回魔女がもたらされたものは、遠くにいる人間ともおしゃべりできるという魔道具で、それですぐに父からも我が家に連絡があった。


「セラフィナっ!北の魔女様に会ったというのは本当なのか!?本当にお会いっ──」

うるさいから、途中で切ったけど。




「……お嫁に行けない」

「嫁は、私なんですけどね」

魔女の訪問があったその日の夜、リュート様は私の肩に顔を埋めながら、まだ恥ずかしがっていた。


「私が明るいところでは嫌ですと言う理由が、少しはわかってもらえましたか?」

「反省しました」

「よろしい」

「セラフィナ」

リュート様はようやく顔を上げると、月に照らせて見える顔が真面目な表情をしていた。


「僕を選んでくれてありがとう」

「リュート様も、私を逃さないでくださってありがとうございました」

「どこにも逃さないよ」

そう言って、見えない体で私のことを抱き締めた。


私も、やっぱり透明で大事な夫の体を抱き締め返したのだった。

月が透ける体は、誰よりも綺麗だと知っているのは、きっと私くらいだ。








お読みくださりありがとうございました!!

毎日142日目。

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― 新着の感想 ―
オ・ト・ンwwwwwww
親父に親近感を持ってしまう。 面白い面白い。
父親ェ・・
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