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陰キャがヒーローになった日。

作者: 玩具リオン
掲載日:2026/01/26

「えー、であるからしてー」

 午後の教室。カツカツと黒板に数式を書き綴る教師。

 突如、教師はチョークを投擲した。

「痛てッ」

「佐藤くん。授業中に寝ないでくれるかね」

「はい、すみません」

 佐藤は陰キャだった。だからこういうときも、別段クラスに笑いが起こることはない。ただただスルーされるのみである。

「プッ、クスクス」くらいの声は上がったが。

 斜め前の席の神田さんだ。あの女子に目を付けられたら終わり。カースト上位の話のネタにされるのだろう。

 が、そんなことは佐藤にはどうでもよかった。昨晩遅くまでやっていたゲームの攻略や、今月の新作ゲーのための小遣い運用などに脳のリソースを割くべきだったからだ。

 平凡。それこそが男子高校生・佐藤のステータス。今後とも変わることのない人生のテーマにも思われた。

 ──その日までは。

「きゃああああああああああああああああッ」

 教室に轟く悲鳴は渡辺のものだった。彼女の『発見』を呼び水に、次々と上がるクラスメイトたちの悲鳴。

「うおお、なんだこれッ」

「これは……まさか!?」

「ゴ○ブリ! ゴ○ブリだあああああッ」

 ガタガタとひっくり返る机、椅子、人間。教室は阿鼻叫喚の渦と化して、その黒くおぞましい侵入者を目撃していた。

 ある者は尿を漏らし、ある者は失神し、また、ある者は狂ったようにゲラゲラと笑い始めた。世界史の高橋教諭は「ママあああああン!」と幼児退行して地面にへばりついている。

 佐藤は見た。斜め前の席の神田の脚が震えているのを。腰が抜けたまま床で動けなくなった彼女のもとへ、その黒き混沌がにじり寄っている光景を。

 黒き者は、今にも神田の短いスカートの中へと入り込みそうだった。

「ひっ」

 神田の蚊のような小さな絶叫。廊下へ避難した生徒たちが「神田、カモン、カモン!」「逃げろ神田!」「ねえあんた、ミキの彼氏じゃないの!?」「無理いいい! おぴゃああああ!」とざわめいている。

 もうダメだ──誰しもが胸の前で十字を切ったその瞬間。

 佐藤が、踏み出した。

「「「!?」」」

 女子のスカートの裾を一ミリ登ったその黒き者を素手で掴むと、ふわり。手の甲にわずかに触れた太もも。

「あっ、ごめん」

「いやああッ」

 しかし、神田にとって今最も怖いものは、佐藤が手に持って腹側をこちらに見せてくる、その黒き者だった。

「あっ、ごめん」

 気づいた男子は再び短く謝ると、なおワシャワシャと奇怪に足を動かす黒き者を、

「えいやっ」

 と、窓から投げ捨てた。

「……!」

「立てる?」

「えっ」

「あっ、大丈夫。こっち触ってないほうの手だから、ほら」

「……うああああああ」

 神田はボロボロと涙をこぼしながら、ガタガタブルブル震えるのみ。

「うーん」と佐藤が後頭部を掻いている間にも、おそるおそる教室を覗く、すでに避難していたクラスメイトたち。

 事態を聞きつけた校内の上層部が駆けつけたのは、惨劇から数分経ったのちであった。




「君はゴ○ブリが触れるのかね」

 佐藤が呼ばれたのは校長室。あきらかに学校関係者ではないスーツの男たちが室内に物々しく立ち並んでいる。

 SPみたいだ、と思いつつも「はい」と応えた佐藤。すると、「おおお……!」とガヤガヤしだすSPら。

「して、恐怖心は?」

「いえ……特には」

「なんと。生まれは?」

 着席する佐藤の対面、同じくソファーに腰掛けている、いっとう地位の高そうな男が訊く。

「ロシアか? グリーンランドか?」

「なんでですか。普通に日本ですよ」

「ならば北陸か」

「まあ……僕の母方が岩手だか北海道だか、らしいです。顔も見たことないんですけど」

「そうか」

 男は西島と名乗った。ネクタイを緩めると、ふう、と息を吐き、かすかに天井を仰ぐ。

「君はあの生命体を知っているかね」

「さっきの黒いやつ?」

「ああ、その黒いやつだ。名をゴ○ブリという。先ほどのはクロゴ○ブリという種類だ」

「噂には聞いております。なんでも、百年前に絶滅した虫だとか……」

「そうだ」

 ゴ○ブリ──その名を知らぬ現代人はいない。

 しかし、その姿を生で見たことのある者もまた、然り。

 人類はおよそ百年前、その史上最悪の生命を地上から排することに成功した。人体に害のない特殊駆除薬は化学の歴史を変え、満を持してノーベル賞を受賞した。

 以来、人々は後世にその恐怖を連綿と語り継いでいた。「夜に騒ぐと、歯を磨かないと、ゴ○ブリが来ますよ」ママの一言で、世界中の子どもが布団の中で震えることとなった。

 その黒い悪夢が、今──。

「人類にはゴ○ブリを嫌悪するDNAが、遥か古代から受け継がれている。なぜそうなったのかは高名な研究者にもわからない」

「はあ」

「一種の防衛反応ととらえる説もある。やつらの歴史は三億年、片やホモ・サピエンスはせいぜい三十万年だ」

「……千倍ですか」

「人類は恐れているのだ。自らより古きを生きる者たちの存在を。その驚異の生存力、得も言われぬ不気味さを」

「それで、僕を呼び出したのは何の用ですか。お見受けしたところ、学校関係者ではないようですが」

「申し遅れたな。私はこういう者だ」

 西島が差し出したのは名刺。そこには、

「国連……?」

 詐欺のような文面があった。佐藤は目をこする。

 男はなお、淡々と告げた。

「端的に言おう。いま現在、地球上にゴ○ブリが復活しつつある」

「え!?」

 さすがに驚きを隠せなかった佐藤。が、これだけの人数をいち公立高校に揃えて、さらに『国連』を騙るなど、冗談でできることではない。部屋を見渡せば一切姿勢を崩さぬまま起立している黒スーツたち。

 それに、昼間起こった一連の出来事もある。「どうも、正気みたいだ」佐藤は襟を正した。

「どうしてゴ○ブリが復活したんですか? 百年前、絶滅したんじゃないんですか? 根絶宣言が出されたって、授業でもちらっと習って……」

「それは目下解析中だ」

「というか、なんで今になって? こんないち公立高校にたまたま最初の一匹が出没するなんて、おかしいでしょ」

「これが最初ではない。今までも、世界各地で目撃情報はあった」

「そ、そんな……ニュースではやってませんでしたよ!」

「規制を敷いていたのだ。これは重大機密だ」

「……ッ」

 よもや、世界規模の災厄に自分が巻き込まれるなど。そのわけもわからぬ一端を、今、握らされようとしているなど、思いも寄らなかった。

「それで、僕に何をしろと?」佐藤は口火を切った。

「君の協力を仰ぎたい」対し、男は淡々と。

「なんの?」

「ゴ○ブリ駆除のだ」

「なんで?」

「今のところ、ゴ○ブリに耐性のある人材が君しかいない」

「耐性って……」

「見ただろう? 教室の惨劇を。ゴ○ブリを目の前にすると、人はああなるのだ。やつらは人間の精神を汚染する特殊な電磁波あるいは化学性物質を放出しているのやもしれぬ。目下研究中だ」

「いやですよ」

「なんだと?」

 眉をひそめた西島に、佐藤は言い切った。

「いやですよ、そんな恐ろしいこと。僕はゴ○ブリが触れますけど、まったく怖くないわけではないんです。あのときは、その……」

 脳裏を、ふっ、と神田の泣き顔がよぎる。

「──とにかく、いち高校生である僕の双肩に『人類の命運』なんて託さないでください。荷が重過ぎます。力不足です」

 佐藤は静かに席を立った。西島は「ふむ……」と二、三秒唸ったあと、

「よかろう。こちらも、いち高校生である君に無理な要求をした。謝罪する」

 他のSPとともにババッ! と一斉に頭を下げた。

 おっかなびっくりしながらも、佐藤はそこでさっさと退室した。呼び止められはしなかった。

 一つ、胸にモヤモヤとしたわだかまりを残したまま……。




 佐藤の所属する市立朱雀坂高校は封鎖される運びとなった。また、その半径一キロメートル以内の市街にも規制線が張られた。

 街一帯を覆う黄色い『KEEP OUT』の文字。あわせて取り囲むは、おびただしい数の軍用車両、特殊スーツに身を包んだ軍隊。いよいよもって、市民は事態の異様さを悟った。

「我が家が、ああ、家に帰りたい!」

「どうして避難せねばならぬのだ。政府は説明不足ではないか」

「ゴ○ブリ……」

「えっ?」

「ゴ○ブリだ。ゴ○ブリが復活している」

 その噂がまことしやかに囁かれるのも、時間の問題だった。

 決定付けたのは、ネットに上がった一つの動画。

「おい、これ……」

「ああ、なんてことだ……」

 スマートフォンを眺める休憩中の工事作業員数人。否、彼らだけではない。全世界がその光景に戦慄していた。

『うおお、なんだこれッ』

『これは……まさか!?』

『ゴ○ブリ! ゴ○ブリだあああああッ』

 ──あの日の光景である。

 クラスの誰かが動画を撮っていたのだ。あのパニック下でも、カメラを立ち上げた猛者がいた。現代人にとって、自らの手足ともいえる携帯を即起動するのは、さほど難しいことではない。若い世代なら、なおさらだ。

 拡散された動画は、世界人類を深い絶望へと陥れた。

 生ける絶望は、画面越しにも人の精神を容易く破壊する。

「来るな、来るなあああ!」

「井上……どうして」

 そして、陰キャ少年の不幸はとうに始まっていた。

「どうしてもクソもねえよ! お前、ゴ○ブリに触ったんだろ!?」

「なあ井上、」

「うわああああ! いやだああ、死にたくないいいい」

 小学校からのゲーム仲間であり親友の井上は、這いずるようにして廊下を駆け抜けた。

 元朱雀坂高校の生徒たちに新しく割り当てられた隣市の高校。そこで佐藤は、自らに注がれる視線に違和感を覚えた。

 それもそのはず、彼はあの黒き者に触れた唯一の人間。自身がネットで炎上している主要人物であると気づいたのに、さほど時間はかからなかった。

「な、なんだッ、これ!?」スマホ画面に目を落とす顔面蒼白の佐藤。

 コメント欄で、掲示板で、SNSで『ゴ○ブリに触れた者』として処刑コールまで出されている始末。

「ねえ、ちょっと」

「いやあああ!」「うわあああ!」

 近くの生徒へ右手を伸ばせば、ものすごい勢いで逃げられる。

 タッチされたら鬼になる──そんなレベルじゃない。ホモ・サピエンスに流れるゴ○ブリ嫌悪の血は、民衆を佐藤から猛烈に退かせた。

「ねえ、ちょっと!」

 佐藤は朝の教室へと、一層大きな声を張り上げる。

「みんな、僕が怖いのか? 恐ろしいのか? なんで、ゴ○ブリを触ったから!?」

 怯える女子、果敢に立ち向かわんと椅子を武器よろしく構える男子。すべて教室の後方に寄っている。

 教卓にて、佐藤は叫び続けた。

「僕はなんともないよ! 手も洗った。ゴ○ブリに触ったとて、なんの病気にもかかっちゃいない。保健機関だって、そう表明している!」

「わ、罠だ! そんなの政府がコトを穏便に済ますための罠に決まっているッ」

「なら僕が証拠だ、なんともないだろう」

「ひいいやああああ、近寄るなあああ!」

 必死の主張も意味をなさず。佐藤は差し向けた右手ごと、男子の振りかぶった椅子の餌食となった。

 バキッ! 無慈悲な音が鳴った。

「ああああああッ……」

 佐藤の右手が中指から手の甲にかけてみるみる膨れ上がる。ぼたぼたと、赤い体液が床へと落ちた。

「見ろ、血だ! ゴ○ブリのように黒い!」

 指をさす男子、悲鳴を上げる女子、廊下へと一目散に逃げる大勢。佐藤は半ば疲れ切った様相でゆっくりと歩き出すと、教室を出、学校を立ち去った。

 新しい学校に神田その他は来ていないようだった。井上は別クラスだったからマシだったものの、佐藤と同じクラスの者は今や軒並み精神をやられて登校も叶わないのである。

 黒き者を直で見て気が触れないのは佐藤たった一人。

 やがて、その事実が世間によって証明されていく。

『ご覧ください、たった今スクランブル交差点は化学機動中隊によって完全に包囲されました!』

 お茶の間の国民は、勇猛果敢な隊員らの行く末を観ていた。

 画面中央に映るは、一匹の黒く、身の毛もよだつ容姿をもった生命体。広々とした交差点に民間人の影はなく、特殊スーツに全身を包ませた屈強な戦士たちが対峙するのみである。

 これを全国に生放送で映していいものか──しかし、誠実、公平を愛する報道陣は、ヘリに搭乗した美人キャスターともども使命を全うせんとしていた。

『あっ、突入いたしました! ただ今、隊員たちがゴ○ブリへと攻撃を仕掛けました!』

 百年前に活躍した対ゴ○ブリ用特殊駆除薬。長い長い柄によってシャワーのごとくそれを浴びせられた敵は、たまらず、アスファルトへとのたうち回った。

『いやあああああああああああ!』

 ニュースキャスターの絶叫。すかさずマイクが切られる。噴射圧でひっくり返った黒き者の腹部に、ワシャワシャと蠢く三対のグロテスクな脚部に、スタジオも騒然とした。

 無論、お茶の間に衝撃が走ったのは言うまでもない。この瞬間、各地が119コールで溢れ返ることとなる。

 さらにどうしようもなかったのは、隊員による次の行為である。敵はビジュアルだけで人を殺せる──そう判断した隊長によって、対象は速やかに射殺された。

 今度は119コールもぱったり収まった。なぜなら、対象がぶちまけた褐色やらクリーム色やらの内容物、それらが画面にデカデカと映し出されることによって、視聴者およびスタジオの職員らが完全に気を失ってしまったからである。

 その日、国の総人口の約八割が精神を破壊された。




 事件から半年。

 河原には、トランシーバーのつまみを回している少年が一人。

「CQ、CQ、CQ、こちらは──」

 少年はしばらく機器とにらめっこしていたが、やがて大きな溜め息を吐くと、すっくと立ち上がって歩き出した。

 街は獣に溢れていた。多いのは鳥だ。次に犬猫。何より、目を惹くのは人間だった。

 人間たちは虚ろな目をして、そこかしこでうろうろ徘徊している。「ゾンビのようだ」少年は独り言ちた。

「あは、あははは」

 道行く少女もまた、その一人だった。すれ違いざまに目も合わせない。一歩ごとにべちゃべちゃと鳴らす裸足は何を踏んだか血に塗れていて、痩せた身体は腹部のみぽっこりと膨らんでいた。

 いつも通り、コンビニやスーパーでまだ残っている食糧を物色する。棚はほぼがらんどうだった。

 店奥の床に人間の腕が覗いた。胴体以下はカウンターの陰に隠れている。その黒ずんだ指を這い上がるは、複数匹の黒き者。目を逸らしつつ、店をあとにする。

「この街も、おしまいか」

 腐敗臭漂う風景を見渡して、少年は土手へと踵を返した。




 その夜、ガスコンロを前にカップ麺をすする少年。河原の高架下にはテントが張られている。

 少年の他に火を扱う文明人はいない。少なくとも、ここら一帯には。

「そろそろ、終わろう」

 包帯を巻かれた右手を眺めると呟いた。深く、長いまばたきは、腑に落ちたように。

 そのときだった。

「誰だ!」

 草を踏む音に振り返って見れば、

「神田……!?」

「佐藤」背後に立っていた女子は安堵の息を漏らす。

「佐藤、やっと見つけた、佐藤」

「か、神田……さん。どうしてここに」

「探してたから。ずっと。あなたのことを」

「何を……いや、これは妄想だ。僕の孤独が僕に見せた、」

 女子は黙って少年を抱きしめた。

「!?!?」「ほら、現実でしょ」

「違う、これは」「嘘みたい?」

「……嘘だ」

 少年佐藤がへなへなと草むらへ尻を落とすと、元クラスメイトも一緒にしゃがみ込んだ。

「だったらよかったね。全部、嘘だったら。みんなみんなおかしくなって、死んじゃって、もう残ってるのうちらだけよ。たぶん」

「なんで君は生きてるんだ。君はあの日の、半年前の放送を……ネットに上がったの含め、観なかったのか」

「観たよ。気持ち悪かった。でも、ゴ○ブリは一回生で見たことあったから……あのとき」

 佐藤の脳は半年前の教室──始まりの日を思い出していた。

「そうだ。あの日、あのときから全部おかしくなったんだ」女子を左手でぐいと押し退ける。

「佐藤」

「あれ以来──僕がゴ○ブリに触った事実がネットに公開されて以来、みんなおかしくなってしまった。友達も、家族も、道行く人だって僕を忌み、避けていく」

「佐藤……」

「僕はヒトを信じない。僕が何をした? あれから、僕がどうやって生き延びてきたと思う? こんな世界になって、あいつらも壊れ果てて、はははは、最高だ!」

「佐藤っ」

「お前も僕を迫害するんだろう!?」

 バッ! と、佐藤は右手の包帯を解いて見せた。

 不適切に癒着したか、中指から手の甲にかけて歪んでいる。

「……なっ!?」

 その手を、神田は両手で包み込んだ。

「一緒に暮らそう、佐藤」

「なに、を」

「こんな世界じゃん。あいつらみんな死んだんでしょ? 迫害もくそもないじゃん」

「……」

「もういいんだよ。いいの。全部忘れよ」

「お前は……」

 見ると、神田の腕にもいくつかの焼け跡や切り傷があった。

「佐藤、右利きだったよね? 今どうしてるん」

「……左手で、なんとか」

「めっちゃ不便じゃん。わたしが佐藤の右手になるよ」

「テント張ったり、カップ麺作ったり」

「わたしがやる」

「物取ってきたり、オ○ニーしたり」

「わたしがやるよ」

「お前彼氏いただろ?」

「自称ね」

「す、鈴木くん……」

 神田は「ぷっ」と弾けるように笑い始めた。つられて佐藤も笑う。灯りのない街の上方には、満天の星が輝いていた。

「なんでもするよ、佐藤。あのとき、わたしすっごく怖かったんだ」

「神田さん」

「だからね。佐藤はわたしにとっての、」

 銃声がした。

「……神田?」

 ドサリと倒れる肉体。

「神田? おい、神田!?」

 女子の身体を揺すれど、反応はない。

「青春、青春……」どこからか聞こえてきた声。

 土手を振り向いた瞬間、佐藤の意識がぷっつりと途切れた。




「ハッ」

 目覚めた。

 佐藤の身体は、寝台の上に拘束されていた。

「佐藤くん」

「……西島!」

 傍らに立ってこちらを見下ろしていたその男。

 神田が撃たれたことを思い出した佐藤は、噛みつくように叫ぶ。

「お前、何をした。神田を撃ったのはお前か? ここはどこだ、何が目的だ、神田は無事なのか!?」

「はっはっは、威勢がよろしい。これなら計画も上手く運ぶだろう」

「答えろッ」

「そうだね。君の同級生を撃ったのは私だ。正確を期すならば、私の命令を受けた私の配下だ」

「てめえ、こんなことして許されると」

「許されるも何も、これが計画なのだよ」

「けいかく……」

「そう。人類の意思だ」

 麻酔薬の作用で頭の整理が追いつかない佐藤へと、男は矢継ぎ早に。

「君にはこれから永久に眠ってもらう」

「は?」

「人類のゴ○ブリに対する生理的嫌悪は、今や種の存続にまで深刻かつ性急な影響を及ぼしている。ゴ○ブリが復活した今、ホモ・サピエンスがレッドリストに載るのも時間の問題だ。そこで、だ」

 佐藤の眼前に人さし指を掲げる。「ゴ○ブリに耐性のあるDNA。これを君からいただくことにする」

「……」口上に気圧されて、しばらく何も言えない佐藤。意識が半ば朦朧としている。

 男はさらに畳み掛けた。

「君が眠っている間、最新のVRが君の脳へ最上の性的体験を提供する」

「せ……」

「やがて君は夢中に放精するだろう。安心してくれたまえ、サンプルはすべて我々が厳重に保管する。これからの人類は、皆、君のDNAをもって生きるのだ。君は選ばれたのだよ」

「何言ってんだお前……なんでそんなこと」

「言っただろう。このままでは人類が滅びるのは時間の問題だ」「だからって」「ゴ○ブリ──彼らは人間の精神を病ませる。殲滅させたかと思えばどこからか蘇る、不死の生命」「いや」「故に、我々が変わるしかないのだ」

「ふざけんなよ!」真っ白な部屋に響く少年の声。

「ふざけんな、そんなの、僕の意思ガン無視じゃないか。それに、僕はそんな、ヴァーチャルで……なんて、そんなの絶対にごめんだ。僕は現実でちゃんと、好きな人と……したいんだ」

「何を言っている。放精してきっちり遺伝子を残すのだから、実質セックスだろう。略して実セだ」

「……な」

「佐藤くん。君は新人類の創始者となるのだ」

「……あああ」

「では、よしなに」


 ……………………

 ………………

 ……。




「ママー」

「ん?」

「あれがちきゅう?」

「そうよ。そろそろ着くわね」

「ちきゅーって、むかしみんながすんでたんでしょー?」

「むかーし昔、ね」

「なんでおひっこししちゃったんだろう」

「さあ、なんででしょうねえ。きっと神様がわたしたち人類に新しい未来を示したのよ」

「かみさま?」

「そうよ、サトー神。わたしたちが今生きているのも、ご飯を食べられているのも、幸せを感じているのも、サトー神のおかげなのよ」

「違うよママ。神も悪魔も、認識に過ぎないんだよ。妖精も妖怪もサンタクロースだって、だから実在を証明することは得てして不可能なの」

「サンタさんはいるでしょ」

「いるね。たまにママとプロレスごっこしてるうだつの上がらないハゲチャビン四十六歳の」

「今日の夕飯はカレーよ」

「うわあい、カレーだあ! ごっきカレー、ごっきカレー♪」

「ちゃんと神様にお祈りするのよ」

「うん、サトー神さま、ありがとうございます。いただきまーす!」

「ミキ、おいし?」

「うん、おいしーっ」

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