表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

批判殺到でサ終した乙女ゲー世界を、未実装キャラとともに改変します!

作者: 椒央スミカ

ストーリーチケットをご購入くださいっ!?

いま令和6年なんですけどっ!

「──アキ、怪我はないか?」

「あ、はい……。大丈夫です、ルドリックさん」


 膝頭にジリジリと生じる、擦り傷の熱い痛み。

 慣れないヒールのせいで、石畳の歩道で転んでしまったわたし。

 そんなわたしへ中腰で手を差し伸べてくる、グレーな長髪の美青年騎士、ルドリック。

 がっしりとした体躯でありながら、高身長ゆえに見た目の印象は細く、湾曲を描いた眉と大きめの瞳が、柔和な印象を生んでいる。

 そのルビーのような赤い眼球に映るのは、輝く栗毛色のウェービーヘアーを持つ、少女然の垢抜けない女。

 それがこの世界……このゲームの主人公(ヒロイン)、アキ。

 首都の巨大学園、その寮に住まう一生徒。

 わたしは、そのアキ。

 ここは、サービス終了したファンタジー乙女ゲー「ラグナロクの中心で愛にえる」の世界──。


『【重要】「ラグナロクの中心で愛に吼える」は2024年6月28日をもってサービスを終了させていただきます』


 SNSの公式アカでその通知を見たとき、わたしの動揺はわずかだった。

 胸の内を占めるのは、ああやっぱり……という、苦々しい思い。

 それもそのはず、「ラグほえ」はことしに入ってから暴走の一途──。


「あっ……ルドリック。アキと付き合っているって噂、やっぱり……」

「ま、待て……ムスタン! 誤解だっ!」


 ……うん、これこれ。

 これがサ終の元凶。

 わたしたちのわきから現れたのは、攻略対象キャラの一人、ムスタン。

 薄紫色のボブカットにあどけない顔つきの、わたしより背が低い魔導士の少年。

 魔導士ローブの下に短パンを穿き、膝から下の生脚を露出させている、いわゆるショタキャラ、弟系キャラ。

 ゲーム中唯一の年下設定で、ユーザー間で安定した固定ファンを持っていた。

 「いた」という過去形で言わないといけないのは、とても残念──。

 「ラグほえ」運営は、現ユーザーの課金ではサービスを維持できないと判断したのか、年明けからあからさまに、男性同士のいちゃつき要素を盛り込んだ。

 腐女子を新規層として取り込もうという、見え透いた判断。

 こっちがダメならあっち、という安直な思考。

 その安っぽいマネー回収シナリオが、いま目の前で再現されてる──。


「ルドリックは、いつだって……。僕の騎士ナイトで、いてくれたのに……」

「……それでいいのか、ムスタン。いつまでも、だれかに守ってもらえるという生き様で?」


 ……ねーよ、そんな設定。

 「僕の騎士ナイト」なんてムスタンの台詞、シナリオ全部読み返したけど一度もなかったわ。

 令和5年の大晦日までは、そんな設定ミリもなかったんだよ。

 新春イベントが、おちゃらけたギャグ展開で──。

 お年玉と銘打ったログインボーナス、大放出で──。

 その月末までは、路線変更に気づけなかったけれど……。

 バレンタインイベントではもう、みんなさすがに顔歪んだよね。

 なにしろ、男同士でチョコ交換展開──。


『『『『『……はあ?』』』』』


 一気にSNS上へ蔓延した、違和感の嵐。

 関連ワードが続々トレンド入りし、悪目立ち。

 これがいけなかった。

 ショタキャラのムスタンが男オタクの目に留まり、「ムスたん」としてバズった。

 バズってしまった。

 おねショタ、おにショタのみならず、ムスタンの女体化、ふたなり化が流行。

 同時にゲーム内で、男性ユーザーから女性ユーザーへのフレンド申請爆増。

 それによって従来の「ラグほえ」ユーザーは激減。

 引退者続出。

 その騒動の影で、公式サイトからしれっと消されたメインシナリオライターの名義。

 あの、時に軽快で、時に優雅な物語は、この先にはもうない。

 ここからお出しされてくるのは、いわば公式の二次創作物──。

 「公式が出したらそれが正史なんだよ」という正論をSNSで目にしては、事実陳列罪でブロックの刑。

 それでも……そんな日々でも、わたしみたいな古参ユーザーたちは、なんとか耐えた。

 ゲーム内での楽しい思い出。

 コミュニティー機能を通じたファン同士の交流。

 グッズのランダム特典、その交換会場で触れた優しさ、ほっこり。

 そしてリアルイベント会場の、運営陣と声優陣によるサービス不滅宣言へと流した熱い涙──。

 その古参の心の支柱を、たやすくボッキリ折ってきたのが、さらなる邪悪な仕様変更──。


「……ムスタン!」

「……ルドリック!」


 転倒したままの主人公わたしを差し置いて、抱き合おうとする美男子二人。

 そこで世界は止まる──。

 そして空中に浮かび上がる、憎々しいメッセージ──。


『このストーリーはここまでです。続きを読む場合はストーリーチケットをご購入ください』


 ストーリーチケット。

 女性向けソシャゲ黎明れいめいによく見られた仕様。

 男性ユーザーに比べて「ガチャ」に慎重な傾向が強い女性ユーザー対策として、シナリオの続きを読ませるために導入された課金アイテム。

 濃厚なラブシーンを見るためにはお金を出しなさい、というわかりやすい要求。

 中には、会話たった5タップで次のチケットを要求してくる強欲ソシャゲもあった。

 これは結果的にガチャ以上に不評で、令和ではほぼほぼ見られなくなる。

 その平成のシステムを、「ラグほえ」は令和6年に実装したのだ。

 わたしの目の前にいるルドリックとムスタンは、時間が止まったように停止。

 抱き合う直前の笑顔のままで、フィギュアかCGのように固まっている。

 人によっては、二人へ近寄ってガン見したり、くんかくんかしたりするのかもしれないけれど……わたしには無理。

 自力で立ち上がり、スカートをはたいて砂を落とし、この場をあとに──。


「はあ……」


 制止した世界で一人漏らす、重い溜め息。

 「ラグナロクの中心で不満に溜め息」……か。

 こんな世界、来たくなかった……けれど。

 現実世界で死んでしまったのだから、しょうがない。

 死んでわたしはここにいる。

 その実感と記憶は、しっかりあるのだけれど……。

 死んだ原因、理由がすっぽりと、記憶から抜け落ちてる。

 願わくば死因が、「ラグほえ」のサ終に悲観した自害……でないことを祈る──。


 ──ガチャッ……バタン。


 学生寮の自室のドアを開けて、帰宅。

 この部屋にはベッドと木製デスク、天蓋付きベッドに化粧台、課金やイベント報酬で手に入れた衣装とアクセサリーの数々。

 そして……初期配置かつ移動不可の、大きな柱時計。

 いまこの制止した世界の中で動いているのは、わたしと柱時計だけ。

 針と振り子が、律儀に、愚直に、時を刻んでる。

 そして2時間おきに、世界が動き出す。

 「ラグほえ」のストチケ無料配布も2時間おき──。


「ふう……。次のストチケまで、1時間半かぁ……」


 ベッドへと腰を落としてから、仰向けになって腕枕。

 真上に見えるのは、天蓋の裏側、その板張り。

 女ならば一度は憧れる、天蓋付きベッドだけれど。

 その望みをこんな世界で叶えたところで、ちっともうれしくない。


「……あーあ。ここがストーリー路線変更前の、『ラグほえ』世界だったらなぁ」

「おまえもそう思うか」

「……っ!?」


 突然の、低めな男の声。

 聞き覚えのない、声優の声。

 驚きで腰が勝手に「く」の字に曲がり、上半身が起き上がる。

 声の出所……勉強机には、椅子の背もたれを体の正面で抱いて座る、見知らぬ男。

 黒く長い前髪で片目を隠した、やや色白の、線の細い青年。


「あ、あなたは……?」

「俺はラヴァード・ブック」

「ラヴァード……ブック……」


 ……いたかしら、そんなキャラ。

 記憶にない。

 攻略wikiの内容をほぼほぼ把握してる古参勢のわたしの脳内にない、ということは……謎の人物。


「そんな奴知らない、といった顔だな。無理もない。俺は未実装キャラだ」

「み……未実装キャラ?」

「幸い、一部セリフのボイス収録が済んでいてな。そのおかげで、こうして声で話すことができる」


 ゆらりと立ち上がる、ラヴァード……さん。

 七分袖の黒いシャツ、あざとく露出させたへそ周り、細身の体をより細く見せる黒いスキニーパンツ。

 うなじで束ね、腰まで垂れ下がる後ろ髪には、光沢ある碧色のメッシュ。

 背丈は……わたしより頭一つ分高そう。

 これは、刺さる人が結構いそうなルックス。

 そういうわたしも、かなり──。

 いやいやじっくり観察する前に、確かめることが一つ。


「ラヴァードさんは……チケットない状態でも動けるんですか?」

「ああ、未実装キャラだからな。この世界の仕様の外に生きている」


 未実装キャラ……ということは。

 まさか、この人……。


「もしかして……。シナリオ大改編の前に実装が予定されていたキャラ……あ、いえ。お方……ですか?」

「そうだ。あのメインストーリー路線変更時に、人知れず消された存在。それが……俺」


 低音ボイスだけれど、声はどこか幼げ。

 声優さん、だれなのかな?

 ともあれ、庇護欲に駆られて天井までガチャ回しそうな人いそうな、儚げで憂いのある印象。

 あっ……ラヴァードさん、ベッドの縁へ腰下ろしてきた……。


「……俺と一緒に、物語を元へと戻してくれないか?」

「元……。改編前の設定、ですね」

「うむ。おまえが都合よくモテまくる、虫のいい物語だ」


 そ……そこはオブラートに包んで言ってもらえれば……。

 だけど、物語を元に戻すって……そんなことできるの?


「元に……戻すって。いったいどうすればいいんですか?」

「おまえがモテまくればいい」

「えぇ……?」

「単純な話だろう?」

「単純ですけど、簡単ではなさそうな……」

「フフッ……まあな。この世界の男たちはいま、異性への興味をほぼ失っている。設定上、垢抜けない平凡な女のおまえには、ハードモードだろう」


 ……きっと、そう。

 いまのここは、ほぼほぼBLの世界。

 BL世界の女性主人公……苦労しないわけがない。

 BL界隈だと女性キャラは、見切れや匂わせですら拒否反応起きるのに──。


 ──ボーン……ボーン♪


 あっ……柱時計の時報。

 1時間ごとのお知らせ。

 ストチケ配布まで、あと1時間。


「さあ……行こうか、アキ。時間が惜しい」

「あ、あの……ラヴァードさん? わたしたち以外まだ、止まっていますよね?」

「だからこそ、だ。世界が止まっているうちに、課金アイテムを奪いまくる」

「ええーっ!?」

「俺もおまえも、酷い扱いを受けたんだ。それくらいは許されるだろう?」


 時間が止まっているうちに泥棒……。

 でもそれって……バレることのない完全犯罪!

 その発想はなかった!

 微課金勢だったから、そもそもアイテム屋を覗く習慣が身に着いてなかった!


「じゃあ、えっと……。魅力値激増のパーティードレスや、移動先が増える馬車も無課金で手に入る……ってことですか?」

「当然。それからストーリーチケットもな。これからは、好きなタイミングで世界を動かせるぞ」

「あっ……。なるほどぉ!」


 時が止まっているうちにアイテム強奪して、自分を思いっきり強化して、ストーリーを……世界を、元の路線へと戻す──。

 言われてみれば、なぜ思いつかなかったんだろうって話。

 ……ううん。

 思いついても、わたし一人じゃ実行できなかったかも。

 そんなことをすれば、この世界に不具合が生じる……。

 この世界がバグって壊れる……。

 そんな不安で、結局動けなかったはず。

 けれど、この世界の住人の、ラヴァードさんとなら……!


「はいっ! 行きましょう、ラヴァードさんっ!」

「よし。まずは近場の街で、目ぼしいものを漁るぞ。次回のストーリーチケット付与……世界が動き出すまで、遠出はできないからな」

「わかりましたっ!」


 二人して、寮の外へ──。

 きれいに手入れされた芝生、生垣……。

 学園の高い外壁、その向こうに見える白い雲、青い空。

 そして、時間停止してるモブの学生たち……。

 美しいながらも、空々しい景色。

 けれどいまは、見るものすべてに命が宿っているかのよう。

 隣に仲間……ラヴァードさんがいるから──。


「ちなみに……ラヴァードさんのプロフって、見ることできます?」

「一応はな。ステータスの類は実装済みだ。だが、見ないほうがいいだろう」

「えっ……。ど、どうして……ですか?」


 重度の鬱設定背負ってるとか……。

 女たらしだとか、実は犯罪者……だとか?


「一人くらい素性の知れぬ男がいたほうが、おまえも飽きないだろう?」


 あ、そういう意味……。

 ほっ……一安心。

 確かに古参ユーザーのわたしは、この世界のこと知り尽くしてる。

 だったら、新規実装キャラ……ラヴァードさんは、これからゆっくり知ればいい。


「はいっ、わかりました!」

「では……行くか。だがその前に、こいつを忘れてはいけない」


 ──バサッ!


 ……日傘?

 ラヴァードさん、黒くて通気性のある傘を差した──。


「日光が苦手でな。出歩くときは、こいつが手放せない」

「お肌、弱いほうですか?」

「ン……まあな」

「黒ずくめの姿で、日光が苦手……。まるで吸血鬼ですね、アハッ♪」


 ──びくっ!


「……いま、びくってしました?」

「んん……? いや、おまえの気のせいだ……」

「本当ですか~?」

「……素性を探ってくるなら、組まんぞ。生来俺は、独りが好きなたちだ」

「あっ……いえいえ。わたしの気のせいでした、はいっ!」


 ラヴァードさんってまさか……。

 本当に吸血鬼……だったり?

 でも、「ラグほえ」に魔族系のキャラいなかったから……。

 もしそうなら、かえって楽しい生活になるかもっ!


 さあここからは、わたしの知らない「ラグほえ」の世界!

 設定を元に戻すため……。

 そして、その先を創り、そこで生きるため……。

 いざ……出発───!





 ◇ ◇ ◇





 あれから──。

 ラヴァードさんと出会って、いま半年くらい……かな。

 ループ世界のここでは、時間ってあまり意味ないけれど。

 ラヴァードさんと一緒にアイテム盗んだり、止まった時間を好きなタイミングで動かしたりで、少しずつ世界を変えていけてる。

 ドーピングというか、チートというか……得られたアイテム群のおかげで、わたしはずっとずっときれいになった。

 美容も、フォーマルもカジュアルも、アクセサリーも思うがまま。

 そしてついに手に入れた、2階建てのちょとした豪邸。

 「ラグほえ」男性陣には貧乏画家や根無し草の旅人もいるから、これでいつでもお迎えできる──。


 ◇ ◇ ◇


「ラヴァードさん、ただいまーっ♪」

「……遅かったな」

「エイセスさんがなかなか帰してくれなくって……エヘヘッ。時間停止のおかげで、ようやく解放されました」

「エイセス……熱血脳筋くんか。アキの推しキャラだな」

「ええ、まあ……。わたしは基本箱推しなんですけど、『ラグほえ』始める前から赤毛キャラ好きで……。正直、彼はひいきしてました。アハハ……」

「チケット使って、デートの続きをしてきたらどうだ? かなり押せているんだろう?」


 ……そう。

 BL世界の住人となった「ラグほえ」のみんなとも、少しずつだけれど近しくなっていけてる。

 路線変更があったとはいえ、キャラの基本設定に変更なし。

 古参ユーザーのわたしは、みんなの境遇や趣味嗜好を完全把握。

 そこへ美を増したことで、みんなの見る目が少しずつ変わってきた。

 ときには男装なんかもしちゃって、目を引いてみたり。

 けれど──。


「……いえいえっ! 一日三度の食事はラヴァードさんと……って、決めてますから!」

「食事と言っても、出来合いを皿へ並び変えるだけだろうに」

「うっ……。だ、だってこの世界のお食事、出来合いのものしか売ってませんから……しかたないです」

「まあな。料理も弁当も出回ってはいるが、その材料がどこから来ているのか、さっぱり不明。しょせんはゲーム世界だ」

「そのくせ、農民や漁師のNPCはいるんですよねぇ……不思議」

「俺はここの生まれだからまぁいいとしても、アキはどの料理も食べ飽きたろう?」

「……そうでもありませんよ。出来合いのお料理をアレンジしたレシピ、考えるの意外と楽しいんです。ラヴァードさんが食べたことない創作料理、きょうもごちそうしますよ!」


 いましがたお弁当屋さんからぬす……ゲットしてきたランチセットの数々。

 ハンバーグ、ベーコン、目玉焼き、トマト、レタス、タマネギを取り分けて、フィッシュフライ弁当からタルタルソースを拝借……。

 これをバンズで挟めば豪華なハンバーガーの出来上がり!

 そのバンズは、パン屋さんから失敬してきたコッペパンを、包丁で上下に分割して……っと。

 それにしても「ラグほえ」が料理系充実してる作品でよかった……。

 サブで遊んでたソシャゲの食べ物アイテム、幕の内弁当とお団子だけだったから、そちらへ転生してたら舌がヤバかった、うん。

 さて、コッペパンへ包丁を入れて──。


「……アキ」

「えっ? ラヴァード……さん?」


 唐突に背中をくるむ熱気、体温。

 腰に回る、細くも力強い両腕。

 わたしの上半身が、自ら望んでいるかのように、彼の胸元へと引き寄せられる──。


「あ、あの……ラヴァードさん? わたし包丁握ってますから、危ないですよ?」

「包丁で傷つくほど、俺の体はやわじゃない」

「やっぱりラヴァードさんって……吸血鬼ヴァンパイアなんですか?」

「そうだ。その俺がいま最も食したいのは……アキ、おまえの血だ」

「ち、ち、血……ですかっ!?」

「心配ない。致死量には程遠い、ほんの一口だ。俺に捧げてほしい」


 えっ……ええええ……。

 わたしの血を吸わせてほしい……って、ど……どうしよう。

 けれどわたし、現実世界ではしょっちゅう小さなケガしてたし。

 蚊にもよく刺されてたし。

 献血も経験あるし……。

 ほんの一口って、いうのなら……。


「じゃ……じゃあ、どうぞ」

「急にで悪いな。エイセスの奴に、やきもちを覚えたのかもしれない」

「えっ……?」


 ──カプッ!


「あっ……つっ!」


 注射を打たれたような痛みが、右の首筋へほんの一瞬。

 きっと彼の犬歯の先端。

 それから柔らかな唇が、わたしの肌と密着。

 これって吸血というより、首筋へのキスなんじゃ──。


「ラ、ラヴァード……さ……ん……」


 痛みはもう少しもない。

 血を吸われている感じもしない。

 これはただただ、首筋への熱いキス……。

 ううぅ……口の中が甘酸っぱさでいっぱい……。

 頬がキュウっと内側へ萎む……。

 それにしても、一口って言ったのに……長い。

 けれどこの時間が、もっと続いてほしい気も……。

 彼はいまのいままで、吸血を我慢してくれてたんだから……。

 死なない程度までなら……いい……かも…………。


 ──リーン……ゴーン……リーン……ゴーン♪


「……はっ!?」


 どこからか……ううん、家の四方から響き渡ってくる、重くも美しい鐘の音。

 失神しかけていた気がするけれど、それで意識が戻った。

 ラヴァードさんも、鐘の音に驚くように、牙を……体を離す。


「す、すまない……アキ。おまえの血が美味しすぎて、口を離すことができずに……」

「い、いえ……それはいいんですけど。この鐘って……」

「あ、ああ……。まさか……」


 真正面で目を合わせ、二人同時に息をすぅ……と吸う。


「「……祝福の鐘っ!」」


 ──祝福の鐘。

 「ラグほえ」にて、攻略対象キャラと固い絆で結ばれたときに鳴る……と《《される》》鐘の音。

 メインストーリー終盤に実装予定と、運営が公言していた要素。

 けれどそれを耳にするユーザーが出る前に、「ラグほえ」はサ終。


「祝福の鐘……。実装……されていたんですね……」

「う、うむ……。データが存在していることは知っていた。ただ、いまここで鳴るとは……」

「鳴る条件、なんだったんです?」

「キス……だ。俺は食事のつもりだったんだが、アキは……そうは受け取らなかったようだな」

「なっ……なすりつけないでくださいっ! ラヴァードさんこそ一口って言っておきながら、長々と……。途中からキスだったんですよね、あれっ!」

「……否定はすまい。ただ、いまのをキスと解釈されるのに不満もある」


 握りっぱなしだった包丁を、ラヴァードさんが強めの力で奪い取り、シンクへと置く。

 それからその手を、わたしの顎の下へとそっと添えた。

 指先でわたしの顔を、軽く持ち上げる。

 彼の意図を察し、受け入れ、瞳を閉じる。

 ラヴァードさんの顔の熱気が、ゆっくり近づいてくる──。


「ン……んん……」


 重なる唇。

 鐘はまだ鳴ってる。

 彼の両肩を掴んで、つま先立ちへ。

 さっきの吸血とは違う、ちゃんとしたキス。

 だったらさっきのより、長い時間しないと────。


 ◇ ◇ ◇


 ラヴァードさんと結ばれても、「ラグほえ」の世界は続く。

 広がっていく──。


「ちょいとお嬢ちゃん……じゃなくって奥さん! いい白菜入ってるよっ!」

「もぉ、おじさん! 奥さんはやめてって、いつも言ってるじゃないですかぁ! わたしまだ学生ですよぉ?」


 呼び込みの声にそう返すわたしの顔は、ニヤニヤのゆるゆる。

 かつて出来合いのお弁当を売っていたお店の軒先には、いまや生鮮野菜がズラリ。

 祝福の鐘が鳴ってから、「ラグほえ」の世界は少しずつ変化している。

 時間停止がなくなり、人々の生活は現実のそれに近づきだす。

 ラヴァードさんがわたしの血を吸ったことで、互いが互いに生身……命を感じ、それが鐘の音に乗って、この世界へ命を分け与えたんだと思う。

 NPCだった学園の同級生たちも個性が強まり、自我を持ち始めた。

 その一人が、こちらへ駆けてくる──。


「ねえねえアキっ! いまそこでエイセス様をお見掛けしたんだけど、どこへいらっしゃるか知らないっ!? あと、喜ばれる差し入れっ!」

「……えーっと、エイセス様ならこの時間、公園の西の広場で筋トレ……かな。甘いものは好まれないから、黒胡椒たっぷりのハンバーガーなんていいんじゃない?」

「ありがとっ! さっすが事情通!」


 踵を返してパン屋へと駆けていくクラスメート。

 彼女のゲーム中のグラフィックは三つ編みだったけれど、いまは解いてウェービーヘアー。

 わたしが知らない、彼女の姿。


「ふーっ……やれやれ。いつまで事情通でいられることやら。アハハハッ♪」

──── 完 ────

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ