1.7
少し大きめのカバンに、財布、ハンカチ、ティッシュ、ゴミ袋、タオル、貰った汗ふきシートを入れる。しかし自分の布系は恐らく彼女は使えないだろうから、渡せるのはティッシュ位だろう。服装は…正直分からなかったので白いTシャツと黒いズボンのシンプルな物にする。制服で行こうかと思ったが、
「休日デートに制服?絶対だめだ」と先輩に強く言われたのでクローゼットから無難なものを引っ張り出した訳だ。
眉毛を整えて髪型を直して鏡を見る。恋愛により自信がつき始めた事による勝手な妄想なのは百も承知だが、昔よりもかっこよくなったのでは?
天気は曇り。汗ふきシートは要らないかもしれないが、汗はかかない方がいいし、準備はあるに越したことはない。この間行った神社で待ち合わせ。人通りも少なく、お互いが分かる場所にうってつけだった。進む度胸が高鳴る。高校の近くを通る時、同級生に見られたりしないだろうかと、そればかり不安になる。見られたらダメでは無いのに、何だか隠していたい気持ちだった。神社の前に近づき階段に座っている人を見かけて駆け寄った。…多分彼女だ。
完全防御だった。メガネにマスク、いつものパーカーに長ズボン。いやいつもと大して変化は無いのだが、外で見ると一瞬不審者かと思った。ちょっと面白いが全力で表情筋を固める。
「お待たせ。待った?」
初めて使うテンプレートの挨拶。彼女は首を横に振り「大丈夫」と答える。やはり待たせたのだろうか、しかし時間は待ち合わせの5分前。次はもっと早く来よう。
「で、どこに行くの?」
「えっと…病院」
彼女は月に一度、大きな病院で定期検査をするらしい。原因不明ではあるものの、身体に異常が出るのなら検査して早期発見に力を入れようとの事だった。高校から歩いて15分ほどで郊外の大きな病院に着く。総合病院とかみたいな真っ白な感じではなく、レンガ造りのオシャレな病院だった。
彼女の後ろを歩いて中に入る。中はほかと一緒で白い病院らしい見た目をしている。受付をする彼女を待合席から立ちっぱなしで見ていると、彼女がこちらを見ながら受付のおばさんと会話している。自分のことを話してると分かると途端に恥ずかしくなり、おずおずと椅子に座る。
「付いてきてくれて、ありがとう」
彼女が座りながらそう言う。
「信頼されてる気がして嬉しいよ」
そう答えると彼女は少し照れくさそうに目を逸らした。初めこそ「デート?これが?」とか思ったが、これはこれで悪くない。みんなと違う僕たちのみんなと違うデートに優越感すらある。
直ぐに彼女の名前が呼ばれる。慣れた足取りで廊下を歩く彼女の背中を追う。内科と書かれた札の部屋にまた座り、お互い静かに待つ。
普段から僕たちにあまり会話は無い。初めこそ「なにか話さなくちゃ」と焦っていたが、今は隣に居て静かに同じ世界を共有出来ることが素直に嬉しい。
彼女が立ち上がり「待ってて」と言い診察室に入っていった。窓の外を見ると少し晴れ始めている。夏までもう少しだ。出来ないことが多いなら、できることを全力で楽しもう。一緒に何をしようか今から考える事が楽しかった。
隣に白衣の男性が座った。男性はこちらを見て
「君が愛里ちゃんの付き添い?」
と聞いてきた。メガネをかけた柔らかな表情の男性は僕の頭から足まで目を通して「優しそうな人だ。良かった」と笑顔で言った。
「こんにちは。えっとそうですね。付き添いです。初めて来ました。」
「そうだったの?ありがとうね、来てくれて」
ご年配の人がちらちらとこちらを見て何だか居心地が悪い。男性は気にせず会話を続ける。
「君は愛里ちゃんのこと、どこまで知ってるの?」
「体質の事ですか?大まかには聞いています。」
「体質、か」
男性は正面を向いて手を顎に置く。
「あれは体質なんて優しく呼んでいい物じゃない。彼女は受け入れつつあるけれど、本来は僕たちが治すべきものだ。」
お医者さんと言う立場上、考え方には彼女と相違があっても仕方ない。そしてそれが叶わないことを嘆いている良い人なのだと、そう思った。
「君は、そんな彼女を受け入れる覚悟はあるのかい?」
「…覚悟?」
何となく聞き返してしまう。なんの事かはよく分かっている。
「悔しいけれど、彼女はこれからも、この病気と生きていく。君が望むような普通の恋愛は出来ない。彼女がそれで苦しむかもしれない。受け入れ難い最期かもしれない。それでも君に、この先彼女と共に生き続ける覚悟はあるのかい?」
病気。そうはっきりと言った。心苦しかったが、改めてそうなのだと思い知らされる。
「…はい、覚悟は出来ています。」
男性の目を見てハッキリという。メガネの向こうの冷徹な目がまた柔らかくなる。
「そっか。良かった。他でもない彼女が選んだんだ。きっと大丈夫だと信じるよ」
そう言われて何だか照れくさくなる。まだちゃんと言えてないけど、ちゃんと告白をしないといけないなと決意する。男性が内ポケットから小さな紙を取り出して渡してくる。名刺を貰うのはこれが初めてだ。病院名の下に木島という名前と電話番号が書かれている。
「彼女に何かあればそこに連絡して。応援してるよ。」
木島さんがメガネを直して立ち上がる。もう一度優しい笑顔を見せて立ち去って行った。
また一人になったベンチに深く座り直してさっきまでの会話を頭の中で繰り返す。
(共に生きる覚悟はあるのかい?)
分かっている。分かっているのに、なぜだか心が痛む。
「…大丈夫?」
いつの間にか横に彼女が座ってこちらを見ている。なんともない顔をして見せて笑う。考えても仕方ない。僕がどうするかじゃない。彼女がどうしたいかだ。
立ち上がり2人歩く。これからの彼女を決めるのは医者でも神様でも無い。今はただ、そんな彼女の後ろ姿を見ながらぼんやりとした覚悟を持ったところだった。