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死んでもいいからキスがしたい  作者: Anzsake
エリンジウム
3/50

1.2

 さすがに気が早っているのが全面に出ていたらしく、部活の先輩である紀章さんに小突かれる。

「今日はやけに息が上がってるな。」

「あはは…すいません。」

そりゃそうだ。今日はドキドキデーだ。そんな時にペース走なんて結果が出るわけがない。

「当ててやろう、恋だな」

「そうなんですよ」

「まじかよ」

紀章先輩の鉄板ネタだが、今日は事実なので素直に言う。うぶな僕に何かアドバイスが欲しいのだ。

「今日のトレーニングは終わりだ。お前の話、存分に聞こうじゃないか。」

そう言って先輩はタイマーを片付けて他の後輩に声を掛ける。僕も道具を片付けて紀章先輩と更衣室に向かった。

紀章先輩は人の恋愛話が大好きだ。勿論本人はちゃんとモテるのでちゃっかり恋人が居る。

「先輩ってなんで人の痴話話好きなんですか?」

「言い方。まぁ面白いからだな。今の俺では感じれないドキドキ、手に汗握る駆け引き。鼓動が早い奴に走るのはきついだろう。先輩として話を聞いてやらんとな」

「急に建前に戻してきた。」

手に汗握る、かぁ。汗がダメな愛里ちゃんに今の僕は近づくことも許されない案件だ。今改めてやろうとしていることの大変さに気づきつつある。

「先輩、触れられない女の子と仲良くなるならどう攻めますか?」

「二次元の話か?」

「オンラインの方がしっくりくるかも」

そうかオンライン。スマホゲームなんかはどうだろう。距離があっても楽しめるのではないか。

「まずは相手の興味に合わせれば確実だろう。…というか落とすのならさっさと直接会ってデートをしろ」

「まぁ、直接会ってはいるんですが」

「そうなのか?」

そこが難しいのだ。整理しよう。愛里ちゃんは人の体液などが体に入ることで発作が起こる。キスは勿論ハグも手をつなぐのもダメだ。食事もダメで恐らくプールや海もやめたほうがいい。人の多い場所も危ないし汗をかく運動も避けるべきだ。さぁ困った。でもこれは僕と愛里ちゃんとの秘密。尊敬している先輩といえど打ち明けたくはない。

「人の少ないデートスポットってどこがいいですか?」

「おっ。神社巡りとか美術館とか、あと牧場なんかもいいな。映画もいいが別に人は多いからなぁ。人気のない所ならイチャつけるってか?」

「それでいいです。」

なぜこんなにもスラスラと出てくるのか。流石は先輩である。更衣室で制服に着替えると先輩が制汗剤を渡してくる。

「つけてけよ。くせぇと嫌われるぞ」

「今日は会わないのでいいです」

「会いに行けよ。好きなら。」

好きだから会いに行けないのだ。こんな汗まみれで会いに行って愛里ちゃんに発作が出たらどうする?まぁ先輩には秘密なんだし、ここは素直に受け取っておこう。制汗剤をつけると体がスーッとして何だかいつもと違う匂いがして落ち着かない。

「…俺の匂い、移っちゃったね♡」

「今すぐにでもシャワーを浴びたい気分です」

「ひど」

先輩は筋トレ用のウェアに着替える。本来なら僕もここから筋トレだが、今日は帰ってやることがあるのだ。明日の会話デッキの構築という重大なやることが。先輩は僕が女に会いに行くと思ってるので何のお咎めもなく僕を見送ってくれる。仕方ないとは言え少し申し訳ない。

「顧問には適当に言っておくから、その代わりにまた相談をしろよ」

「はい、ありがとうございます。」

校舎を見上げる。あの空き教室にまだ彼女はいるのだろうか。


こんなにも朝の登校が落ち着かないなんて。決しておっくうではないのに校門を通るのが、階段を上るのが、教室に入るのが。その度に一息ついて己を鼓舞する。「大丈夫。その緊張こそが好きの証明だ」そう自分に諭す。

教室の最前列の席に座っている彼女と目が合う。マスクをしている理由も、最前列の席なのも、理由を知らなければ疑問にも思わなかっただろう。このクラスで僕だけが、僕と彼女だけが知る秘密に高揚感があった。

愛里ちゃんが小さく頭を下げる。僕もつられて頭を下げる。マスクで表情は分からないが、こうしたほんの小さなコミュニケーションこそが二人がまだこれからである証なのだと、そう思うことにする。


授業が集中出来なかったことは言うまでもない。

昨晩必死になって組み立てた会話デッキを頭の中で混ぜては引く。彼女が何を出してくるのか、その返しでどの札を返すのか何度もシュミレートする。

たまに会う従姉妹のよし姉がその度にトレーディングカードゲームを持ってきては、不慣れな僕との対戦でよく言うのだ。

「人生はカードゲームだ。どんなデッキを持たされるのか、何を引くのか、引いてみなくちゃあ分からない。今目の前の場はどうなってて、今の手札でどう進めていくのか、どうやって勝つのか。それを思考して一枚一枚をここぞという時に使うんだ。」

「勝つって、何に?」

「さぁ?」

後ろの席から愛里ちゃんの背中を見る。彼女のデッキは、一体どんなドMが構築したのだろう。それを何の関係もない女の子が持たされるとも知らずに。


待ちに待った休み時間。廊下を歩きながら思考を反芻する。ぐるぐると回る僕の頭の中は、やっぱりあのネジ巻きの釣りのおもちゃだ。美術室を過ぎてドアの前に立つ、中にいる彼女と目が合う。廊下を一瞥して中に入り自分の予想よりも遥かにかすれた声で言う。

「やぁ」

「…風邪?」

喉を鳴らす「ううん、緊張して」

子供の僕がカードゲームでよし姉に勝てないのはもはや当然のことだろう。だから僕はたまーに禁じ手に出る。手で盤面をぐちゃぐちゃにしてしまうのである。幼い子供だからこそ使えた禁じ手で、その度よし姉に怒られたものだ。

彼女を目の前にした今の僕の頭の中は、まさに今そうだった。

「今度、デートに行かない?」

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