2.4
その上級生は見るからに不良だ。不良なんて居ないと思ってたけど、一般学生の僕が不良と同じ場所に居るわけ無かった。なのに今、よりによって愛里ちゃんを連れて出会ってしまった。
「ここでおっぱじめようってか?やるねぇ」
1歩後ずさる。愛里ちゃんも後ろに下がる。
「楽しいことするならさ、俺も混ぜてよ。いいだろ?減るもんでも無いしよ?」
愛里ちゃんに目配せをする、それに気づいて不良が歩いて寄ってくる。
「待ってくれよ、遊ぼうぜ」
愛里ちゃんが後ろに走り出す。僕も逃げようと後ろを向いたけど、襟を掴まれた。
「まぁお前だけでもいいわ。羨ましいなぁ可愛い彼女連れてよ、彼女だけ逃がして正義のヒーローじゃん」
「ヒーロー…」
僕が彼女の不幸を取り除ければヒーローになれるだろうか。顔を殴り飛ばされながら考える。
よく見たらうちの制服じゃない。他所の学校の生徒が勝手にここを使ってるらしい。
「頭良い学校入って女とイチャイチャして大層幸福なんだろうなぁ」
完全に妬みだ。頬の傷を拭いてゆっくりと立ち上がる。
「…あんたに、彼女の何が分かるって言うんだ」
「あ?知らねぇよ。口答えすんなや」
こんな馬鹿野郎に勝手に羨ましがられる事が気に食わなかった。知ったような口で軽口を叩かれる事に我慢は出来ない。「颯希はどうしたい?」そんな言葉が脳裏をよぎる。
両手を構える。別に格闘技を嗜んだことは無い。それを見て不良がゲラゲラと笑う。
「いいねお前!じゃあ殴り潰してやるよ!」
不良が接近して来て、顔の前で構えてる僕の鳩尾に拳が入り、強い衝撃が入る。でも倒れるつもりは無い。体幹やランニングフォームの為に、多少のトレーニングはしてきたつもりだ。アクションゲームにおいて、最もよく見る相手の隙。攻撃の直後。両手を組んで今僕の胸元にある相手の頭に叩き落とす。確かな手応えがあった。不良が頭を抱えて距離をとる。だが僕も、鳩尾の一撃でほぼKOだった。
「…テメェ!」
そう吠えて不良が襲いかかる。動けない僕はなんの抵抗も無く顔面に右のストレートを受けて吹っ飛ぶ。アドレナリンのせいで意識は飛ばないが、流石に痛い。不良を舐めてた。こいつは本気だ。
「ヒーローのなり損ないがよ!ふざけんじゃねぇ!」
また不良が吠える。それでも立ち上がろうと肩をあげる僕の頭を後ろから撫でられる。
「いいや颯希、お前はヒーローだ」
そう紀章先輩の声と共に陸上部の先輩が3人ほど前に出てくる。
「なぁクズ。警察呼ぶからよ、大人しく捕まれよ。」
紀章先輩は普段とは比較にならないほど低い声でそう言う。
後ろからすすり泣く声がして振り向くと愛里ちゃんが立っている。ゆっくりと起き上がり近づくと、愛里ちゃんがハンカチを渡してくれた。
「これで二枚目だね」
そう冗談を言える位には、頭がぶっ飛んでた。
救急車に乗ったのは初めてだった。もっと大袈裟な事でしか乗らないと思ってたけれど、校舎裏で生徒がボコボコにされてるなら僕だって呼ぶかもしれない。愛里ちゃんは乗らないで救急車が走り出す。お医者さんに傷口の手当をされながらボーッと淡く映る赤いランプの光を目で追う。
3度目の病院にいつもの木島さん。いや僕が診てもらうのは初めてだが。
脳のスキャンを撮り異常が無いことを確認する。
口の中が切れてたが、薬を使って治癒を促すらしい。腹の打撲は湿布だそうだ。後になって身体が痛い。
走って来たであろう愛里ちゃんが診察室に入ってくる。泣きそうになっては、自身の服を握って堪えている。
「直ぐに逃げなかったのは悪手だったね」
そうお腹に湿布を貼りながら木島さんが言う。
「後悔はしていません。守るべきものは守りました」
彼女の尊厳と、僕の矜恃。確かに痛い思いはしたけど、大事なものだ。
「どうかな」と木島さんは言いながら席を立って離れる。愛里ちゃんと二人きりになり、彼女は静かに僕が寝ている診察台の横に来る。
今まで堪えていたであろう彼女が、声を出して泣いた。大人しい彼女がこんなに声を出したのを聞いたのはこれが初めてだった。診察台の縁に手を置いて泣き崩れる彼女を見て、ようやく僕は負けたのだと理解した。尊厳だとか矜恃だとかそんな事よりも、彼女の笑顔を守れない事こそ僕の敗北なのだ。
診察台に仰向けになり、ただ静かに「ごめんね」と繰り返すしか無かった。
「あれがお前の彼女?」
美術室の奥、空き教室の廊下で紀章先輩が僕に聞く。事の顛末を正直に話したら、陸上部の物と言う名目で美術室前の廊下に花を置かせてもらうことになった。こうすることで花は守られる。
「そうです…」
顔が赤いのは怪我のせいだ。それ以外もあるけど。
「良い子だな。俺は鼻が高いぜ」
廊下に小さな棚を置く。棚には「陸上部」と書かれている。廊下の向こうからは見えにくい空き教室前の位置に棚を動かす。
「いいんですか?本当に」
「気にすんなよ。俺も花は好きだしよ。走ってる時に見かけると嬉しくなるしな」
小さな棚に鉢を置く。これで花を置くことは公認になった。その代わり紀章先輩に空き教室の事はバレてしまったが、助けて貰ったので何も言うまい。それに多分、わざわざ覗きに来るようなタイプでも無い。
「…結局僕は、まだヒーローにはなれなそうです」
ポツリと言う。何をしたって後悔はする。そう紀章先輩に言われたのを思い出す。
「つまりこれからなんだな、期待してるぜルーキー」
そう先輩が拳を突き出すので、僕も拳を合わせる。




