月下
帝都は、一つの部隊によって治安が保たれている。
帝国軍第二部隊。
掲げられる主題は皇族の警護、そして国の要である帝都の守護。
七つある部隊の内、最も重要度の高い主題を賜るのが彼らである。
それを束ねるのがレーヴェ=R=シュナイダー。
全隊長の中で最も忠実な主題の体現者だ。
同時に礼節を重んじる紳士であり、女性尊重者であり、
「あ、あの、ご……ご注文は……」
「コーヒーを」
「私も同じものを」
「私には水をお願いいたします。面倒であればドブ水で構いません。むしろその方がありがたい。グラスでなく皿に注いでくれると助かります」
「あ……えっと」
「ああ、お気になさらず。このお店の椅子の座り心地が悪いというわけではありません。紳士たる者、女性の二人くらい支えられなくては」
進んでツルギとノクトの椅子になろうとするほどの行き過ぎた奉仕主義……もとい、被虐性愛者でもある。
「シュナイダー大佐、床に這いつくばられると話しづらいので、どうか着席を。周りの視線も痛々しいことですし」
「ミューラー大佐の希望とあらば」
「ノッくん、何なんですかこの変態は」
「口を慎め。上官だ」
「構いませんよ。お嬢さんの発言の自由を侵害することは憚れます」
「……寛大な心遣い、感謝します」
「しかし羨ましいです。あなたのような美しい女性が配属されたとは。さぞ鼻が高いことでしょう」
「手に余る問題児でして。大佐の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです」
「ああ、そういう性癖ですか? ノッくんは拗らせていますね」
「黙れ。申し訳ありません、不躾で」
「ハハハ、大丈夫ですよ。私も尻を叩かれながら女性の足の指を舐めないと興奮出来ない性質ですから。どんな性癖だろうと恥じることはありませんよ」
「まぁ」
「黙っていただけるとありがたいです」
コーヒーと水が運ばれてきた後、ノクトは自分たちの周りに薄い風の幕を張った。
周囲に自分たちの会話が聞こえないよう、遮音を目的としたものだ。
「では改めて。私はツルギ=ヴォルフラムと申します。単刀直入に申し上げます。この街に密偵が入り込んでいる可能性がある件について。これを譲ってください」
「控えろヴォルフラム一等兵」
「お嬢さんの希望とあらば叶えて差し上げたいのですが、私にも職務があります。この街の平和を預かるものとして、その密偵とやらを排除する使命が」
「ですがそれなら、誰が始末しても同じことでしょう? 譲るとまではいかなくとも、私が先に密偵を斬ってしまっても構わないかと思うのですが」
「お嬢さんの話に頷けない理由が二つあります。まず、私は女性が危険な目に遭うのを良しとしません」
「差別です」
「尊重です。女性には優しく在れと厳しく教えられ育てられたもので」
「もう一つの理由とは?」
「帝都の平和を脅かし、市民を恐怖に落とさんとする……そんな愚行を働こうとするゴミは、この手で消し炭にしてやらなければ気が済まないのです」
ノクトは向かいに座るレーヴェの殺気に気圧された。
自分に向けられたもので無いにせよ、嫌な汗が背中に浮かぶのを感じた。
「矜持ですか」
「矜持であり、大義であり、正義です」
「おもしろい人ですね。レーヴェさん」
自身の指針を揺るがさず、矜持を冒涜する者はたとえ部下であろうと制裁を加える。
自分とはある種同類で真逆の狂人っぷり。
それ故にツルギは彼を気に入った。
「あなたのことも斬ってみたくなりました」
「光栄です」
ニコニコと笑顔を交わす温和な空間。
ノクトだけがその異質さを肌で感じ取っていた。
「わざわざ第二部隊と事を構えるつもりはありません。……それはそれでおもしろそうなのはともかく。あなたが矜持に殉じるならそれで良しです。ただ、警ら中に偶然私が密偵を発見してしまった場合は……そういう運命だったと受け入れていただければ幸いです」
「お嬢さんの手を血で汚さぬよう、私は任務に励むとしましょう」
紳士然と、レーヴェはテーブルに全員分の代金を置いて店を出た。
「いい人ですね、あの人」
「多少過激な部分はあるが、女性には毛一本の被害も齎さない方だ。私も昔お世話になった」
「お世話に……私を通り過ぎっていった男というやつですか」
「絶対に違うから二度と使うなそのニュアンス。最初の配属が第二部隊だったということだ」
「存じてますよ。一通り調べましたから」
ツルギはぬるくなったコーヒーを飲み干し言った。
「調べたというのは?」
「第一部隊一人一人の経歴、他国との情勢……まあ、いろいろです」
「勉強熱心というわけではないな」
「人を斬る……衝動のままに身を委ねるのは快感です。ですが、それだけではままならないこともある。知識もまた剣のための道具に成り得るのです」
「狂人め。飲み終わったなら行くぞ」
「デートですか?」
「訓練中の無断外出の懲罰だ。兵舎の掃除と武器の手入れ、それと書類整理。明日の朝までに終わらせろ」
「お断りします」
ノクトが眉を寄せてツルギを睨んだとき、近くの窓が叩かれた。
見ればバニルが手を挙げている。
退店した二人に、バニルは悪いなと第一声を発した。
「デート中だったか?」
「カーティス」
「冗談だよ。二人とも今日はもう上がりだろ? 飯でもどうかって誘おうと思ってよ」
「いいですね。ぜひ」
「貴様は……はぁ」
どうせ真面目に懲罰を受けようとはしないのだと、ノクトはため息をついた。
「いつもの店でいいか?」
「どこでもいい」
二十分も過ぎれば、三人はテーブルを囲んでいた。
鉄板で唸るステーキ、山盛りのポテトをつまみながら、先ほどあったことを話した。
「シュナイダー大佐か。あの人苦手なんだよな。あんな優男なくせに厳しさは一入で」
「貴様が怠惰なだけだ。仮にも中佐だぞ。いつまでもそんな調子では下の者に示しが」
「仕方ねえよ。これがおれだからな。おれみたいなのが一人くらい居た方が、世の中ってのはうまく回るもんなんだよ」
「うんうん。まったくそのとおりです」
ツルギは口いっぱいにステーキを頬張りながら適当に相槌を打った。
「貴様はもう少し節度を持て」
「いいじゃねぇか。小さく縮こまる人生なんざつまんねぇよ」
「生き様に文句は無い。だが軍属である以上は規律を守れと言っている。それがそんなに難しいことか」
「とか言ってよツルギ。こいつ昔、寝坊で訓練参加に遅刻して教官に大目玉食らってよ、半べそかいたことあるんだぜ」
「ほうほう。それは詳しくお伺いしたいですね」
「おい!!」
「野外演習じゃ鍋を焦がして食材全部ダメにしちまうし。大して強くもねぇのに飲み比べしてゲロ撒き散らしたこともあった。剣も射撃も下手でな。よくおれが教えてやったもんだ」
「む、昔の話だ!! 今は少しは……」
「ぬいぐるみを抱いてねぇと眠れねぇしな」
「カーティス!!」
「もぐもぐ……前々から思っていましたが、お二人は随分仲がよろしいですね。まさか恋仲というオチではありませんよね? そうなると血みどろの略奪愛になってしまうのですが」
「こいつと? 無い無い。おれはもう少し若い女が好みなんだ。悪いなミューラー。お前は趣味じゃねぇ」
「私だって願い下げだ!!」
ふん、と憤りながらビールを一気に流し込む。
「若いというと、私はもしかしてカーティス中佐のお眼鏡に適うのでしょうか」
「さてな」
「思わせぶりは結構ですが、申し訳ありません。私にはノッくんが居ますので」
「あちゃあ、フラれちまったよ。ハッハッハ」
「まったく……どいつもこいつも。ゴクゴク、ぷはっ。若い女で思い出したが、そろそろ神聖国の巡礼からエリザベート皇女殿下が戻って来られる頃だな」
「巡礼というと、身を清めるためのあれですか」
「成人前に行う皇族のしきたりだ。貴様も一度行ってこい。少しはマシな性格に生まれ変わるだろう」
「身も心も清廉潔白なので徒労に終わりますよ。これでもベルガ教の敬虔なる使徒です」
無視である。
「私たちが入隊した年だから、もう四年になるのか」
「懐かしいな。さぞ美しくなられてることだろうな。年はツルギと一緒だったんじゃねぇか?」
「ああ」
「皇族ですか……まだ斬ったことが無いんですよね。やっぱりいい暮らしをしているだけあっていい肉質なのでしょうか」
「絶対に口に出すな」
そんな軽口を延々と。
ノクトが酔い潰れ無言になった辺りで席はお開きとなった。
「ったく、一番弱いくせに一番飲むんだこいつは」
ノクトをおぶるバニルが柔く悪態をつく。
「寝顔も可愛いですね」
「黙ってれば年相応なんだよこいつは」
「そうですか? わりと子どもっぽいところがあると思うのですが」
「ハハハ、お前にそう言われちゃ形無しだな。こいつは魔術やら何やら才能があるし優秀なもんだから、何かと嫉妬の対象が多くてよ。普段気を張ってんだ。ナメられないように、ってな。だからこうして気兼ねなく目の前で酔ってくれると、なんか嬉しいんだよな」
「本当に恋仲じゃありませんよね?」
「だから趣味じゃねぇって。心配しなくても、こいつにはもっといい相手が現れるだろうよ」
「私ですね」
「かもな」
二人は笑いながら、街灯が光る夜道を行った。
雪が止んだ空には煌々と金色の月が輝いている。
「なぁツルギ」
「はい」
「ミューラーのこと、これからもよろしく頼むな」
月明かりに照らされた笑顔が妙に印象的で、ツルギは返事をするのを思わず忘れた。
そんな翌日のことだ。
バニルが遺体となって発見されたのは。
夏の暑い盛り、当作品を愛読いただきまことにありがとうございますm(_ _)m
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