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貧民街《スラム》

「ヴォルフラム一等兵は居るか?」


 訓練場にやって来たノクトだが、ツルギの姿は無い。


「ええと……遊んできますと、街へ……」


 予想していたこととはいえ、ノクトはため息をついた。

 それから一旦さておき、今しがたシルベスターより伝えられた事柄をその場の全員に通達した。

 すると、オフィーリアが進言を一つ。


「あの、ミューラー大佐……。もしかしてなんですけど、ツルギはその密偵を探しに出かけた……とか」

「……………………」


 ノクトは頭を押さえた。

 無い話じゃない。

 否、その可能性が非常に高いと。


「誰にも見つからなければ、都合の良い殺害相手が出来るわけだからな。……手の空いている者は私と共に来い。ヴォルフラム一等兵を連れ帰る」

「え、あ、あの、密偵を探すのではなく?」

「留意はするが、そちらに関しては我々が出張ることではない。むしろ、ヴォルフラム一等兵と奴らが鉢合わせる方が面倒なことになると判断した」

「奴ら?」

「お前も耳にしたことくらいあるだろ、オブライエン。軍が誇る飼い猫のことを」








 首都、帝都(シュレイン)

 魔導帝国(ヴェルトリーチェ)の中心であり、人口約十五万人を誇るこの街には二つの顔がある。

 一つは人々が往来する、華やかで栄えた表の顔。

 もう一つは飢餓と貧困が蔓延る裏の顔……貧民街(スラム)

 路地の奥は別世界に迷い込んだかのような治外法権の街。

 ツルギは暗がりを鼻歌を歌いながら闊歩した。


「おい……」

「あ、あいつ」


 羽虫の音より小さい話し声の方に笑顔を向ける。

 すると男たちは背すじを凍らせてその場から立ち去った。

 少しだけつまらなそうに、ツルギは更に奥へと進んでいく。


「なんだってあの野郎がここに……」

「知るかよ……とにかく、ボスに連絡だ。急げ。子鬼(ブルトガング)が来た、ってよ」


 鬱屈とした重い空気。

 カビと垢の腐臭。

 喧騒。

 それらを全身で浴び堪能しながら、とある場所へとやって来た。

 今にも崩れそうなボロボロの屋敷だ。


「ごきげんよう」


 見張りらしい屈強な男が四人。

 身綺麗な格好をした彼らは、ツルギが自分たちの横を通り過ぎて建物に入っていくことに何も言わない。

 それどころか目を合わせようともせず、賓客でも迎えるように頭を下げるだけ。

 中にいる数十名の男たちも同様だ。

 視線、呼吸、体温、全てを押し殺して静まり返る。

 何一つとしてこの少女の気を害さないように……もとい、斬る口実という名の無礼を犯さないように。

 二階の奥の扉を開けると、また男たちが立っていた。

 その中で一人、革張りの豪奢な椅子に腰掛けタバコを吹かす女。

 左目の眼帯の下には、額から頬まで大きな傷が走っている。


「ごきげんようハルトマンさん」


 挨拶は短く、勧められる前にソファーに腰を下ろす。


「コーヒーを。今日はミルクだけの気分なのでよろしくお願いします。それから何か甘いものを。シュトーレンなんかあると嬉しいです」


 一番近くの男に向かって注文をする。

 男が困り顔でハルトマンと呼ばれた女に視線をやると、無言で制し煙を吐いてツルギを睨みつけた。


「何しに来やがった、子鬼(ブルトガング)

「故郷に帰ってくるのが不思議なことですか?」


 貧民街(スラム)を取り仕切る裏組織(マフィア)DUST’(ダスト)

 裏組織(マフィア)といえど犯罪に手を染めているわけではなく、むしろ自警団としての面が大きい彼ら。

 血の繋がりは無く、実際は血よりも固い絆で結ばれた有志の集いであり、治外法権である貧民街(スラム)を力で支配し自らを家訓(ルール)とし縛ることで余計な争いを無くし、弱者に手を差し伸べる義侠の団。

 総勢数百人の荒くれ者を束ねるのが彼女、テレジア=ハルトマンだ。


「故郷? 笑わせんな人殺しが。忘れたわけはねぇよな。五年前てめぇが斬り殺した家族(ファミリー)たちのことを」

「忘れるわけありません」


 ツルギは両の指を組み合わせた。


「肉と骨が私の手の中でほどけていく甘美な感覚……忘れようにも忘れられません。名前は知らずとも主が与え給うた()。生の喜びに薪を焚べてくれた彼らに、感謝を絶やしたことなどありませんよ」


 テレジアはタバコを噛み千切り吐き捨てテーブルを蹴り飛ばした。

 

「何が糧だ生の喜びだ……戦争でもしに来たか……あァ?! 望みどおり殺してやるよ子鬼(ブルトガング)!! この目の借りも返さねェとなんねェしなァ!!」

「ボス!!」

「ダメです!! こいつ相手には分が悪い!!」

「落ち着いてください!!」

 

 銃口をツルギに突きつけるテレジアを、周りの男たちが数名がかりで止めた。

 騒々しさの中、ツルギは涼しい顔を絶やさない。


裏組織(マフィア)相手もいいんですけどね。ほら、あなたたちって数が多いじゃないですか。斬り応えはともかく斬り終わった後の快感が凄そうで……コホン。それはさておき、今日はお仕事の依頼……というか、情報が欲しくて来ました」

「軍の犬に話すことなんざねェよ!!」

東共和国(ラルバジスタ)の密偵が帝都(シュレイン)に入り込んでいるかもしれない、と耳にしまして。何か知っていることがあれば教えてください」

「あァ……知りてェなら聞かせてやるよ……!! ズタボロになったてめェの死体になァ!!」

「ボス!!」


 歯を剥き出しにして怒るテレジアを押さえながら、側近のスキンヘッドの男がツルギに大声を上げた。


「おい子鬼(ブルトガング)!! 貧民街(スラム)は流れ者が集まるところだ!! ここで騒ぎを起こさない限り、身寄りの無いガキも老いぼれた爺さんも余所者も、誰であろうとおれたちの家族(ファミリー)だ!! それはあんただって知ってるだろ!! おれたちはそんな東共和国(ラルバジスタ)人なんて知らねえし、知ってたとしても家族(ファミリー)のことは売らねぇ!! 頼むからさっさと出てってくれ!!」

「誰であろうと家族(ファミリー)……ああ、なんて尊い考え。愛に溢れた慈しみ。心から敬服します。あなたたちがこの国の民であることが誇らしいです。本当に……本当に…………本当に本当に本当に!! 残念で仕方ありません」


 冷たい声に全員が戦慄した。

 憤慨していたテレジアさえ、冷や汗を垂らして沈黙した。


「あなたたちが理性の無い獣なら、粛清という名の下に斬れたのに。ねぇ、ハルトマンさん」

「……!!」

「何故貧民街(スラム)が野放しになっているのか、何故あなたたちが生かされているのか、考えたことはありますか? どうでもいいからです。在ろうが無かろうが関係無い。価値も意味も理由も無い。けれど、国民であるが故に。この国に生きる同胞であるが故に。私はあなたたちを斬れないんです。そう、何も!! 害が!! 無いから!! ねぇ?! なんで?! なんで犯罪者じゃないんですか?!」


 恐怖に震えるテレジアの手から拳銃が落ち、無骨な音がやけに響いた。


「あなたたちにわかりますか?! この葛藤!! 胸を掻きむしるほどの衝動!! 悲嘆!! 慟哭!! ここには斬っていいはずの命がゴロゴロしているのに、そのどれも斬ってはいけないんですよ!! 軍人であるが故に!! 毎晩寝る前にふと思うんです!! ああ、軍人になる前に全員斬ってしまえばよかった、って!! そしたら!! そしたら!!」


 ツルギはそこまで言って、ふぅ、と息をついて気を鎮めた。

 純粋な殺意……違う。

 純粋な剣への渇望だ。

 ツルギの目には何が映っているのか。

 頭の中にはどんな光景が描かれているのか。

 誰も理解は出来ない。

 その狂気は、触れるにはあまりに深く恐ろしい。


「閑話休題です。絆を重んじるのはステキなのですが、それで死んでしまっては本末転倒。そうは思いませんか?」

「……たとえ死んでもオレたちは家族(ファミリー)を裏切らない。それがオレたちの家訓(ルール)だ」

「そうですか。残念です。その引き金を引いていたら、心置きなく斬れたのに」


 ツルギは立ち上がるなり、優しい笑みでそう言った。


「てめぇ……最初からそのつもりで……!! オレたちが家族(ファミリー)の情報を売るわけねェと高を括って……!!」

「もちろん、ちゃんとわかっていましたよ。私も皆さんと同じこの街の出身なのですから。たまに帰ってこないと、皆私のことを忘れてしまうかもしれないでしょう? そんなの」


 寂しいですからね、と残し。

 ツルギはDUST’(ダスト)のアジトを後にした。


「何が忘れてしまうかも……だ」


 テレジアは窓辺にもたれかかり、流れる汗を手で拭った。


貧民街(スラム)の悪夢を、忘れるわけあるかよ……!」


 疼く眼帯の下を強く押さえながら。






 


 貧民街(スラム)を更に奥に進むと開けた一角に出る。

 空き地にはこれまた古ぼけた教会が。

 屋根は雨漏りが、窓は割れて風が入り込むほど老朽化している。

 その場所を一望してから、敷地へと足を踏み入れようとした。 

 すると、そんなツルギを止める声が一つ。


「いけません。それ以上、足を進ませては」


 修道服に身を包んだ小柄な女性だ。

 

「ごきげんよう、シスターマリアンヌ」

「こんにちは」

「お元気そうで何よりです」

「ええ、おかげさまで」

「何をしに来た……とは、言わないんですね」


 穏やかな雰囲気を纏いながら、その顔に笑みは無い。

 かと言って特別厳しいわけでもなく、ただ静かにツルギを制するのみ。

 ツルギは自分に向けられた忌避感にたじろぐことなく、ポケットから分厚い封筒を取り出した。


「それを受け取るわけにはいきません。懐に戻しなさい」

「ただのお布施です」

「だからこそです。人を斬って得たものを、主に仕える私たちが受け取るわけにはいきません」

「それで子どもたちの飢えを満たせるなら、主も喜ばれることと思いますが」


 ツルギは封筒を足元に置いて踵を返した。


「また来ます。お身体に気を付けて」


 マリアンヌは何も返さない。

 ツルギの姿が見えなくなるまで、じっとその場で立ち尽くすのみだった。

 






 これといった成果を得られないまま、表通りへと戻ってきたツルギ。

 人々が往来するのを目に、しばらくボーっとその場に立ち尽くした。


「肩から」


 目の前を通り過ぎた中太りの男。


「首」


 毛皮のコートを纏った女と、


「縦に」


 手を繋ぐ子ども。


「ああ……斬りたい……」


 柄を握ってしまえば抑えが効かないであろう程、ツルギは焦がれた。

 目の前にはこんなに斬りやすいもので溢れているのに。

 

「早く見つけないと……早く……早く……」


 止まっていた足を動かしたとき、掃き掃除をしていた男にぶつかった。


「――――――――」


 腹いせに斬りかかりそうになる。

 しかし、


「失礼いたしました!!」


 ツルギが謝罪するより早く、男は地面に頭を擦り付けた。もとい叩きつけた。


「お怪我はありませんかお嬢さん(フロイライン)!! 私としたことがか弱い女性に汚らわしい身をぶつけてしまうなど!!」

「……平気です。こちらこそよそ見をしていました。申し訳ありません」

「ああいけない!! 靴が汚れてしまっている!!」

「少し裏路地を歩いたの、で――――――――」


 さすがのツルギをして沈黙した。

 男は自らの非礼を詫びながら、何の躊躇いも無しにツルギの靴に舌を這わせたのだ。


「私のような、んぁ……下賎の、んちゅ……はぁ……者が、御御足を汚してしまい……はぁはぁ、申し訳ありま、ジュルルルルル!!」


 足にしがみつき土汚れを舐め取る異常な行動に、ツルギは反射的に男を蹴り飛ばした。

 咄嗟のことで面食らい笑顔を崩したが、引きつりながらも笑顔を貼り付けて男を一瞥する。


「軍服……あなた、軍人ですか」

「あああ!!」

「?」

「いけない!! 私の薄汚い血が帝都(シュレイン)に!!」


 ツルギはわりと力を入れて蹴ったが、男は平然と起き上がり、地面に垂れた鼻血を破った袖で拭いた。


「ふぅ、キレイになった……一安心だ。やぁ失礼お嬢さん(フロイライン)。そちらの靴もキレイになったようで何よりです」

「あなたの唾液で汚れましたが」

「おや、よく見ればあなたも軍人でしたか。進んで街の警らとは。大変素晴らしいですね。所属はどちらで?」

「第一部隊です。失礼ですがあなたは?」

「麗しいお嬢さん(フロイライン)に名乗る誉れを賜われたようです。私は――――――――」

「シュナイダー大佐!!」


 後方から男が二名。

 同じ軍人だ。


「こんなところに居られたのですか!」

「やぁ二人とも。そんなに息を切らしてどうしたのですか?」

「本部より通達です! 東共和国(ラルバジスタ)の密偵がこの街に入り込んだ可能性が…………ブ、人斬り令嬢(ブルートザオガー)?!」


 男たちはツルギを見るなり引きつった顔をした。


「なんでこんなところに!! まさか、密偵の件と何か関係があるんじゃないだろうな!!」

第一部隊(お前ら)が出張るまでもない!! とっとと失せろ異常者!!」


 ツルギは罵詈雑言を浴びせられ、それまでの鬱憤を晴らしてしまおうと剣に手をかけた。

 瞬間、


「今、誰に何と言った」


 二人の内、一人の首がぐしゃりと嫌な音を立てた。


「が、ァ……!!」


 首を鷲掴みに、自分より体格のいい男の身体を持ち上げ、冷淡な声を発する。


「まさかその汚物を詰め込んだ臭い口で女性をなじったのか? それでも軍人か? なあ、おい!!」

「も゛、申じ、わ゛……ぁ……!!」

「た、大佐!! 申し訳ありません!! 申し訳ば――――――――!!」


 首を絞めた男の頭部を、もう一人の鼻先にぶつける。

 顔面が陥没し血溜まりが地面に広がった。


「女性の尊厳を傷付けるだけでなく、美しいこの街を汚すとは。ゴミに生きる価値は無い。おとなしく燃えて、死ね」


 男の右手に炎が灯る。

 紅蓮に輝く魔術の熱が男たちに襲いかかろうというとき、ツルギが袖を掴んで止めた。


「待ってください。()()……どうせ始末するなら、私が斬ってもいいですか?」


 頬を紅潮させねだるその姿に、男は息を呑んだ。


「…………!」


 すると、


「そこまでだ」


 烈風が一陣。

 外套をはためかせてノクトが飛んできた。


「ノッくん」

「貴様、また勝手な行動を。……いや、その話は後だ。往来です。その炎を収めてください、シュナイダー大佐」

「やぁ、ミューラー大佐。しばらくですね。相変わらず可憐でお美しい」


 男は炎を消すと、ノクトの手を取り甲に唇を当てた。


「今日という日の出逢いに」

「……部隊は違えど隊員への暴行は見過ごせません。僭越ながら介入させていただきました」

「お手を煩わせたこと心から謝罪を」

「ノッくん、こちらの方は?」

「……こちらは」

「ミューラー大佐、お嬢さん(フロイライン)に名乗る栄誉をどうか奪わないでいただきたい。遅ればせながら……私は帝国軍第二部隊隊長、レーヴェ=(レグルス)=シュナイダー。獅子の爪(レグルス)を拝命した一等星将(アストラル)です。どうかあなたの胸にこの名を留めてくださいますように」

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