彼女の自由
軍では常日頃から様々な訓練を実施する。
剣、重火器、筋力トレーニング、座学。
祖国を守るため兵士たちは汗水を垂らし訓練に励むのだ。
「ふあぁ……おはようございます……」
兵士たちが朝の九時から訓練に勤しむのに対し、ツルギ堂々の十時起床。
優雅に朝食を済ませ、訓練参加は圧巻の十一時である。
「遅い」
「朝は弱くて……ふあぁ……」
上官の前でのあくびを咎める気にもなれず、ノクトは即座に訓練の参加を促した。
「遅れた分は取り戻せ。銃を背負ってランニング十キロからだ。行け」
「遠慮します。そういう気分ではないので」
「貴様の気分など知ったことではない。やれ。命令だ」
「お断りします。もう少し休憩するので、昼食か剣の訓練になったら起こしてくださいノッくん……ふあぁ……」
額に青筋を立て、立てかけていた木剣を手に背後から振りかぶる。
軍人の行動から逸脱した行為ではあるが、木剣がツルギを掠めることはなかった。
「木剣でも斬れますけど、せっかくなら真剣でお願いします。はぁ、眠い眠い……」
「待てヴォルフラム一等兵」
「ふぁい……?」
「そんなに剣が好きならお前にうってつけの仕事をくれてやる」
「なんですか? 罪人の処刑とか?」
「もっと人のためになることだ」
「それが……これです、かっ」
斧を振り上げては下ろす。
ツルギの脇には次々と薪が量産されていった。
「薪はいくらあっても困らないからな」
「斧は斬るというより割るに近くて、私としてはあんまりなんですが……」
細身の少女が斧を振るのは何とも異様な光景であった。
「こんな仕事士官候補生にやらせればいいのに……」
「サボるなよ。昇進してもやることは変わらない」
「はーい……」
ぶつくさ言いながらも、ただ走るよりずっとマシらしい。
ツルギは黙々と薪を割り続けた。
そんな中、薪の一欠片がノクトの足元に転がる。
それを拾い上げたノクトは、何を思ったかツルギへそれを投げつけた。
後頭部に直撃するかと思われた薪は、最小限の動作で避けられ受け止められたが。
「体罰ですよ、ノッくん」
「見えていたのか」
「まさか。梟じゃあるまいし。真後ろからの不意打ちなんて見れませんよ」
「ならば何故」
「んー……秘密です」
ツルギはしたり顔で口元に人差し指を当てた。
「ノッくんが私に愛を囁いてくれたら教えてあげますよ」
「ならいい」
「フフッ、冷たい人ですね」
「よう、やってるな」
「カーティスさん。ごきげんよう」
「何か用か?」
「モルガン中尉が探してたぞ。書類にサインが欲しいそうだ」
「そうか、わかった。ヴォルフラム一等兵、私はここから離れるがけして職務を放り出すな」
「了解です」
「貴様も戻れ」
「そう急かすなって。一服くらいさせろ」
軍人らしからぬ態度の者がもう一人。
しかし大した言及をすることなく、ノクトは兵舎へと戻っていった。
「相変わらずマジメな野郎だ」
「そこが可愛いんですよノッくん、はっ」
「からかい甲斐はあるな。そういや昇進したんだってな。おめでとさん。しかし、あれだけの戦果を挙げてもまだ一等兵なのか。何考えてんだか、上層部の連中は」
バニルはタバコに火を付けると、高い空に向かって紫煙を吐き出した。
「ま、地位が上がっちまえばこうしてサボることもままならねぇか」
「私が言うのも何ですが、カーティスさんは軍人らしくありませんね」
「そりゃあな、いつ死ぬかもわからねぇ危険な仕事、自分からやりたいなんてモノ好きの方が少ねぇだろうよ」
「たしかに。では何故カーティスさんは軍人に?」
「愛する家族のため! 友のため! 祖国のため! いざ奮わん立ち上がらん! ハハ、なんてな。軍人ってのはそこそこ立派で、そこそこ誇れて、そこそこ稼げるちょうどいい仕事だからな。すぅ……ふぅー……。そんで、そこそこ頑張って吸うタバコが旨いんだ。これだけで軍人になった甲斐がある」
「なるほど、平穏に意義を見出すわけですね。勉強になります」
「ハハハ、そうか? けどおれのことは反面教師くらいに見ておくくらいがちょうどいいぞ。教えてやれるのなんか、いい昼寝場所と安い飲み屋くらいのもんだからな」
「フフ、ステキですね。今度案内してください」
カコン
斧を振っていると、ふとバニルの目に、その様子を見た兵士たちがヒソヒソと話をしているのが止まった。
「おいあれ」
「人斬り令嬢じゃないか」
「第一部隊に入ったっていうのは本当だったんだな」
「なんであんな異常者が」
「どうせヴォルフラム中将のコネだろ」
「おい、もう行こうぜ。下手に関わったりしたらいつ斬りかかられるかわかったもんじゃない」
バニルの耳に話す内容は届いていなかったが、全員が全員ツルギに対し良い印象を抱いていないのはわかった。
「他の部隊の奴らか。嫌わてるなお前」
「嘆かわしくも、彼らは主の教えに準じていないようです。汝、隣人を愛せよ。受け入れ、尊び、敬うところから、人と人との繋がりは生まれるというのに。可哀想な方々です」
「信心深いな」
「孤児の身分、教会で育てられたので」
「その腰のブックホルダーの中身は聖書か」
「お守りです。主はいつでも私たちを見守ってくださりますから」
「話してみりゃ、年頃の普通の子どもなのにな。……いや、すまん。普通ではない」
「カーティスさんの裏表の無いところ、私好きですよ」
「ま、くだらねぇ噂話は戦果で黙らせてやりゃいい。正式な軍の一員なわけだしな。頑張れよ。じゃ、そろそろ行くな。次は飯でも行こうぜ」
「はい。ごちそうさまです」
奢るとは言ってねぇよ、と。
バニルはその場を後にした。
「よぉカーティス」
「あ?」
バニルを数名の男性が呼び止めた。
全員ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「お前らのところで人斬り令嬢を引き取ったんだってな」
「なんだ。羨ましいのか」
「よくあんな異常者と一緒に居られるもんだと感心してるんだよ」
「第一部隊様は勇敢だなぁ。おれたちじゃ、いつ背中を斬られるんじゃないかと怯えなきゃいけないからな」
「しっかり首輪で繋いでおいてくれよ。得意だろ? 狂犬を手懐けるのは」
「チッ……てめぇらそれ以上臭ェ口開いてみろ。腹がはち切れるまで鉛の弾をぶち込んでやるぞ」
「ハハハ――――――――は?」
高笑いをしていた男の眼前を斧が横切る。
斧が壁に刺さったのを見て、男は腰を抜かした。
「ひ、ひいいっ?!」
「すみません、お怪我はありませんか?」
「ツルギ……」
「慣れない斧なんて使ったら、疲れて手からすっぽ抜けてしまって。よいしょ、っと」
悪びれた態度も無しに、斧を壁から引き抜く。
「き、貴様、わざと……」
「わざとだなんてとんでもありません。言ったでしょう、慣れていないと」
ツルギはしゃがむと男と視線を合わせた。
「これが剣なら、ちゃんとあなたの首を狙えていましたよ」
男は怯えきった目をして、恐怖で歯をガタガタ打ち鳴らした。
「良かったですね。同じ軍属で。でなければ今頃は」
笑顔から一転、光の無い目を向けられ、男たちは悲鳴を上げ蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
「ったく、あんまり無茶するなよ」
「カーティスさんにお手を煩わせることはないと判断したまでです」
「はぁ……見ての通りだ。あいつらは他の部隊の奴らなわけだが、第一部隊はどうもやっかまれててな。第一部隊の主題は最前線での活動だろ? 言うなれば軍の花形みたいなもんだ。日の目を浴びるのを嫉妬する連中ってのが大多数いるんだよ」
「他の部隊で実地研修をしてるときに何度か耳にしました」
「どう思った?」
「くだらない、と」
「ハハハ、そうだな。同じ軍だ。仕事に大きいも小さいも無いってのに。悪かったな、変なところを見せて」
バニルは再度手を振って別れたが、ツルギの思うところは別だった。
「そういうわけではなく……斬ってしまえば皆同じということが言いたかったのですが……。まぁ、いいですよねべつに」
さっさと薪割りを終わらせてしまいましょう。
ツルギは面倒そうに斧を担いだ。
労働の後は遅めの昼食。
厚切りのステーキはマスト。今日の気分はウェルダンである。
レアの肉肉しい斬り応えとは真逆の、ザクリとナイフが入る感触に、
「〜♡」
ツルギもご満悦。
メインは粉チーズをふんだんにかけたパスタ。
野菜たっぷりのスープとゆで卵、デザートにはりんごのパンケーキを。
サワークリームのさわやかさと絶妙にマッチした一品だ。
「毎度毎度よく食うなお嬢」
「健啖家なんです私」
「ていうか午前の訓練丸々サボったでしょ。午後からはマジメにやらないとダメだよ」
「いつだってマジメですとも。午後は何でしたっけ?」
「格闘術の組手。それと戦術基礎学の座学」
「いい天気なので午後は買い物にでも出かけますね」
「ダーメ。ミューラー大佐にお目付けを命令されてるんだから」
パンケーキの切れ端を頬張ると、ツルギは気怠げに肩を落とした。
格闘術の訓練は実戦的だ。
一対一、ときには一対多数で行われる。
グローブと防具を装着しても、気を抜けば大怪我に繋がる。
それ故に訓練場では緊張感が漂うのだが。
「ふあぁ……」
昼食を終えたツルギ。
ちょうどいい眠気に襲われ、皆が組手で汗を流す中、一人呑気にあくびをする有り様であった。
「ツルギ、ちゃんと構えてってば。訓練にならないでしょ。防具もちゃんと着ける」
「だって眠いものは眠いので……。せめて剣術ならマジメにやるんれすは……ふあぁ。オブライエンさんの訓練を邪魔するのは忍びないので、どうぞ勝手に殴ってきてください」
「無抵抗な人を殴るのはちょっと……」
「大丈夫です。人の拳なんか寝てても避けられますから」
「言ったなー。よーし、先輩らしくいいとこ見せるからね。これでも格闘術にはちょっと自信あるんだから。たぁっ!」
打ったパンチはあくびをしながら躱された。
「もう一回!」
左の牽制からの右。
これも皮一枚のところで。
「あ、あれ?」
どんな速さで、どんな角度から打っても、蹴りを混じえても掠りすらしない。
「なんでぇ?!」
「オブライエンさんのパンチがのろすぎるからです」
オフィーリアはカチンと目頭をヒクつかせた。
「じゃあ今度は本気で殴るからね。怪我しても文句無しで!!」
女性の平均的なパンチ力は、およそ五十から七十キログラムとされている。
そんな中、鍛えられたオフィーリア=オブライエンのパンチ力は、それを遥かに上回る二百キログラム。
並の成人男性すら越えるパンチは、当たりどころが悪ければ死に至る。
先程までの手加減とはわけが違う、しっかりと腰を入れ急所を狙った拳。
「しませんから安心してください」
ツルギはそれをまたも最小限の動作で躱し、足を払ってオフィーリアを転ばせた。
「あぅっ!」
「ね?」
「痛たた……なんで当たんないの?! ツルギ魔術使ってるでしょ! ズルだズルー! はいズルしてまーす!」
「こんなことくらいで使いませんよ」
「こんなことって言ったー! この後輩ナメてる! むきー!」
その後も数人と組手を行うも、汗一つかくことは無く。
結局ツルギは途中で訓練に飽き、早々にシャワーを浴びて自室へと戻った。
後にそのことがノクトにバレてお小言をくらう羽目になるとしても、彼女の自由は抑えられない。
「どうだい、彼女の様子は」
「はっ。僭越ながら、非常に持て余しております」
帝国軍中将シルベスター=ヴォルフラムの問いに、ノクトは余計な脚色無しに本音を吐いた。
「君は素直でいいね。美徳と誇るといい。さて、彼女が配属されてから早一週間が経過したわけだが。彼女を従軍させていることについて、上司の口から忌憚無い意見を聞きたい」
「度重なる規律違反、同僚への暴力行為及び未遂、特別待遇……軍に在っては皆の意識低下を促す危険性が鑑みられるかと」
「では、彼女の強さについてはどう思うかな?」
「……貴重です。魔術師としての才、奔放で型破りな捉えどころの無い剣技……あの狂気さえも、向ける相手を誤らなければ武器になり得ます」
「さながら一本の剣のように、か。やはり君のところに配属させてよかった。君なら彼女の理解者になってくれると思ったんだ」
「理解はともかく、新兵を第一部隊にと聞いたときには何かの冗談かと思いました。……失礼ながら、閣下は何故ツルギ=ヴォルフラムを養子に引き取ったのでしょうか」
「何故……か。ふむ、秘密だ」
一瞬、ノクトの目にシルベスターとツルギが重なって見えた。
「よく似ておられますね」
「四年も親子をやっていればそうなるさ。ところで、東共和国の件だが」
「はい」
「捕虜を尋問したところ、どうやら東共和国の密偵が、すでにこの帝都に入り込んでいるらしいとの情報を得た」
「密偵……目的は?」
「残念ながらあの捕虜は何も知らされていなかった。情報に確証があるわけでもない。が、万が一にも不安の芽は取り除いておかないとね。すでに第二部隊には通達してあるが、何かあった際には第一部隊にも出動を要請することになるかもしれない。気に留めておいてくれ」
「はっ」
ノクトが敬礼をする、その背後。
扉の外でツルギは口角を上げた。
「おじ様にお小遣いをせびろうとやって来たら……これは思わぬ情報をもらってしまいました。密偵……まだ誰にも見つかっていない……なら、斬ってしまえば誰にもバレない。フフ、フフフ」
軽やかな足取りでツルギは街へと向かった。
デートの待ち合わせでもしているかのような、ドキドキとワクワクを胸に。
そう、彼女の自由は抑えられない。