導き
エルフは魔術師を嫌う。
それは自分たちこそが魔術の始祖であり、人間の魔術師は自分たちのおこぼれに預かっただけの紛い物という教義を抱いているためだ。
「魔術信仰……未だ魔術だけがこの世の叡智であると信じて疑わない、引きこもりらしい狭義です」
「魔術を重んじる彼らの感覚は、私たちにはわかりかねますわね。それも仕方ないことなのでしょうけれど。なんせエルフは、全員が産まれながらに魔術師なのですから」
天賦の才たる魔術は、ごく僅かな確率で宿るとされている。
しかしエルフは、全員が産まれながらにして天性の魔術師。
それが魔術信仰が力強く根付く所以でもある。
「それ故に、エルフは魔術の中でも異端である堕天使系を忌み嫌う。聞いた話では魂が拒絶反応を起こすのだとか」
「彼らから見たら、私たちは蛇やゴキブリにでも見えているのかしら。フフッ、なんだかおかしいですわね」
「何がですか?」
「ツゥの目には全てが斬っていいものに見えている。それと何の違いがあるのか、と思って」
「たしかに」
「エルフ本人に言わせれば、彼らの魔術と私たちの魔術とでは、そもそもが別ものとのことですが。閑話休題、それを踏まえた上でもう一度、あなた個人ではエルフと関わることは不可能と言わせていただきますわね。私でさえエルフとの取引には代理を立てますもの。一介の軍人風情では到底無理でしょう?」
自分ならばエルフが人間に抱く忌避感を斬れる、という自信がツルギにはあった。
また、誰にも気付かれずにエルフ自体を斬ることも。
ただしその場合、ツルギにかかる魔術の負担は計り知れない。
ただでさえ燃費が悪く、魔術の使用後は数日寝込むほど。
森賢国に単身乗り込んで無事で済む保証は無かった。
ツルギは無謀ではなく、また蛮勇でもなければ、獣でもない。
理知的で理性的であるからこそ、彼女は人斬りとして今日まで欲求を満たせているのだから。
「でもそうですわね。ツゥの態度次第では、考えてあげないこともありませんわよ?」
「というと?」
「ツゥが私の屋敷で働くの。労働の対価として、求めるものを提供するのは吝かではありませんわ。とびきり丈の短いメイド服を用意しなくては、あっ」
ツルギが指で弾いたクッキーが、カタリナの額に当たって砕けた。
「メイドは結構ですが、あなたなんかに仕えるのは御免被ります」
「上等なクッキーなのですから味わってほしいものですわ。まったく、人斬りの分際でプライドだけは一人前なんですから。気が変わったらいつでもいらっしゃいな」
そのときはメイド服の丈だけでなく、胸元も露出していることでしょうけれど。
そう言ったカタリナに、ツルギは試してみましょうか、と返した。
「減らず口というのは、どこまで斬っても減らないのか」
カタリナは小指を口角にかけて引っ張ってみせた。
「いつでもどうぞ。代償を払う覚悟があるのなら」
「はぁ。だからあなたは嫌いですよ、カリィさん」
「私は大好きですわ、ツゥのこと。そういえば……ツゥはご存じかしら。幸せの青い鳥の話」
「なんです急に?」
「ただの世間話ですわ」
「商人の会話は全てが商談だと言ったのはあなたですが。青い鳥……。本当の幸せは身近なところにあった……というあれですか?」
「愚か者は手の届かない宝箱にばかり目をやって、足元の金貨に気付かない。これがお話の教訓です」
「それが?」
「ですから、ただの世間話ですわ」
いっそ斬ってしまった方がスッキリする、とツルギは目の前のニヤついたカタリナに辟易した。
歪んだ友人関係。
二人の少女は、笑顔の仮面の下の本心を見せることはなく、紅茶とクッキーで束の間のひとときを過ごしたのだった。
「さて」
商会から出てきたツルギに、一人の男性が声をかけた。
「おや、お嬢さん」
「レーヴェさん」
第二部隊隊長、レーヴェ=R=シュナイダーである。
「こんにちは。奇遇ですね」
「ごきげんよう。今日は休日ですか?」
「ええ、まあ」
コートを羽織った春らしい格好をしていることから、ツルギはそう判断した。
「私服のレーヴェさんは初めて拝見しました。よくお似合いです」
「ありがとうございます。私としては、休日など不要なのですが。上司が休まなければ部下が休めないと、無理やり休みを取らされまして」
レーヴェは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
レーヴェ=R=シュナイダー……紳士であり女性尊重者であり、病的な奉仕主義者。
一日の睡眠時間は三時間の仕事中毒である。
「たまには休むことも大切ですよ。身体は資本ですから」
「おっしゃるとおりです。お嬢さんもお休みですか?」
「いえ、絶賛勤務時間です」
「そうですか、それはそれは」
対しツルギ=ヴォルフラム、堂々たるサボタージュである。
「その辺でお茶でもいかがですか? と言っても、今しがた紅茶をいただいてきたばかりなので、あまり長居は出来ませんが」
「せっかくのお嬢さんのお誘いなのですが、じつはこれから」
「レー……ヴェー……さーんっ!」
へし折るような勢いで腕に抱きつき言葉を途切れさせたのは、長い金髪を一つに結った、オレンジの眼を持つ女性だった。
「お待たせしました! 待ちましたか? 普通に寝坊しましたすみません!」
「大丈夫ですよ。私も今来たところです」
「そのわりには女の子をナンパする余裕が……って、あー! 人斬り令嬢さんじゃないですか!」
何とも笑顔が眩しく快活なその女性に笑顔が引き攣りそうになる。
「こちらは?」
「彼女は第二部隊副隊長の」
「はじめまして! マリー=ラッツェル中佐です! よろしくお願いします! すごい本物だ! すごく美人さんですね人形みたいです! 何度かお見かけしたことはあるんですけど、お話するのは初めてですね! 仲良くしてください!」
目をキラキラさせて有無を言わさず左手を握ってくる。
ギャリングにも似たその特有のコミュニケーション能力に、ツルギは自然と距離を取った。
「どうも。ツルギ=ヴォルフラムです」
「はっ、レーヴェさん部下をナンパだなんていけないことだと思います! いくら休みだからって!」
「けして違うので誤解しないように」
「レーヴェさん、デートでしたか?」
「いえ、そういうわけでは」
「はい! デートです!」
腕を組んで胸を押し当てるマリーに、レーヴェはため息をついて頭を押さえた。
「彼女はお目付け役です。私がちゃんと休んでいるかの」
「お目付け役ですか」
「レーヴェさん、私が見てないとすーぐ仕事しちゃうんですよ。だから目を光らせる人が必要なんです。ちなみにこの休みを被せる役は第二部隊でローテーションを組んでいます」
マリーは、どやぁ、と胸を張った。
が、寝坊はした。
「大変ですね」
「本当に!」
ツルギはレーヴェに言ったつもりだったが、返事はマリーが声高々にした。
「このような機会でなければ、お嬢さんのエスコートを申し出たもの。非常に残念です」
「レーヴェさんともあろう方が両手に花をご希望とは。私たちはそんなに安く見えるのでしょうか」
「とんでもありません。どちらかを選ばなければならないなら、この身を裂いてでもという断腸の思いです」
「なんだかよくわからないけど気持ち悪いですレーヴェさん!」
「君の明け透けな性格が気に入っていますよラッツェル中佐」
「ホントですかありがとうございますやったぁ!」
女性尊重者と裏表の無い性格の女性。
上官と部下ながら相性はいいようだ。
「そういうことなら私はこれで失礼します。せっかくのデートを邪魔するわけにはいきません。いい休日をお過ごしください。主の光が一日を照らしますように」
「ありがとうございます」
「えー? 行っちゃうんですか? 私は三人でデートでも大丈夫ですよ?」
「遠慮します。私も暇ではないので」
「そういえば、グローテヴォール商会から出てきたようでしたが、何か用でも?」
「いえ、少し欲しいものがありまして。緊急で砥石が必要に」
「砥石ですか?」
「はい。何でもエルフの国の原産品らしく、簡単には入手出来ないもののようで」
「エルフの国の砥石……それってもしかして、ゲルムライトのことですか?」
踵を返しかけたツルギの動きが止まる。
「今、なんと?」
「ゲルムライト鉱石です。森賢国だけで採掘出来る、魔力を多く含んだ石。硬度が高すぎて加工がしづらくて、ほとんど使い道がないんですけど、模様がキレイで観賞用に人気があるっておばあちゃんが」
「あなたのおばあさんというのは」
「あ、エルフなんですよ。って言ってもずっと昔に国を出――――――――」
ツルギは反射的にマリーの手を握っていた。
「主よ、思し召しに感謝いたします。気が変わりました。ぜひデートしましょう。行き先はマリーさんのおばあさんの家で」
思わぬ導きに目を爛々と輝かせるツルギに、レーヴェとマリーは顔を見合った。




