帰還
一夜が明け、事態は緩やかに収束へと向かった。
操られていた兵士たちにはその間の記憶が無いもの、制圧時に負傷した以外は特に身体に異変は無い様子で、ズィードはほっと胸を撫で下ろした。
尚、制圧に動いたギャリングの談によると、正体不明の少女が乱入し、兵士数名を拐ったとのことだが。
「何にも覚えてなーい」
グレーテルはそれを記憶に無いとし、それ以上証言は得られず、騒動の中の消息不明者として処理された。
また事件発生から数時間後に現場へと戻ってきたエリザベートは、
「申し訳ありません。怖くて隠れていました」
そう言って事実の一切を黙秘した。
唯一事情を把握するノクトも、市民の保護を優先すべきと、過度に言及することはしなかった。
街は大聖堂を初め、居住地区も崩壊し、最早街としての機能はほとんど失っている状態。
本部に連絡をつけ、各地への物資の補給を含む支援を命題とした、魔導帝国軍第五部隊の派遣を要請し、数日以内には炊き出しや仮設住宅の設置が行われた。
操られた市民も兵士と同じくその間の記憶は無く、自分たちの街が半壊しているのを目の当たりに、現実を直視出来ていない状態が続いた。
特にベルガ教の枢機卿カスパル=ゲルプケの死は、ベルガの民に深い悲しみを落とした。
彼の本性がどうであれ、敬虔なる使徒たちにとっては、悼むべき存在であったということだ。
無論、彼の人生の結末は、一人の人斬りのみが知るところではあるが。
さらに数日後の昼過ぎ。
基地の医務室で、ツルギは目を覚ました。
「おはようございますブルー様。お加減のほどは如何ですか?」
「寝覚めの視界に汚物が映る不快感でいっぱいです」
エリザベートは、ツルギが眠っていた間のこと、そして事件の裏で動いていた人物たちのことを伝えた。
「いったい何者だったのでしょう?」
「さあ。誰が何に思惑を巡らせているかなど興味はありません。何にせよその方々のおかげで私は剣を振るえたのですから、少なからず感謝はして然るべきでしょう。同じだけやきもきさせられたのも事実ですが」
「ブルー様の命令なら私が調べますが」
「余計なことはしなくていいです。ところで、例の彼女は? まさかあの騒ぎで傷を付けたなんてことは」
「ご心配なく。ハイレーン大佐は街の怪我人の治療に当たっていますが、その間はフランさんが彼女に智天使の愛をかけました。ハイレーン大佐の見立てどおりなら、数日以内には目を覚ますかと思われます。今は基地から数キロ離れた小屋に」
ツルギは一言、重畳ですと言って外套を羽織った。
「刀一本を打ち直してもらうのに、大事になってしまいましたね。この事件を期に、ベルガとシュルトツィア……宗教間の対立は、限りなく下火になったようですが」
「同じ脅威に晒されたが故の連帯感ですか。所詮彼らが掲げる教義などその程度でしかなかったということです。嘆かわしい。真に敬虔なる信徒として、彼らを恥じるばかりです。どうせ熱さが喉元を過ぎれば、また同じ過ちを繰り返すというのに。主よ、愚かなる背教者たちをお許しください。さて、とりあえず食事にしましょう。お腹がすいて仕方ありません」
「ああ、そうでした。ブルー様が目覚めたら報告しに来るようにとミューラー大佐から言伝が」
はぁ、とため息を一つ。
「ノクトさんのラブコールとあらば、行かないわけにはいきませんね」
どうせ小言だとわかりきって。
それでもツルギはにこやかに、デートの待ち合わせに向かうように足取りを軽くした。
「ヒャーハイツ大佐」
ノクトのもとへ向かう途中の廊下で、ツルギは復興される街並みを遠い目をして眺めていたズィードを見かけた。
「ヴォルフラム軍曹。目が覚めたんですね。よかった」
「戦った後はいつもこうなんです。ご心配をおかけしたようで、申し訳ありません」
「いえ、こちらこそヴォルフラム軍曹に頼りきりで。皆さんがいなければどうなっていたことか。心から感謝を」
芯の通った立ち姿。
軍人の見本であるかのような敬礼に、ツルギは思わず一瞬時間が止まった。
「……感謝はどうぞ他の方々に。私は自分のやりたいことをやっただけなので」
「だとしても、です」
「酔狂な。あまり大っぴらに私に向かってそういうことを言うのはやめるのをお勧めします。他の隊員に見られて、あらぬ疑いをかけられるのは不本意でしょうから」
「あらぬ疑い……ですか?」
「ヒャーハイツ大佐は他の部隊の隊員にも慕われる人格者です。そんな方が、人斬り令嬢に敬礼など、妙な仲を勘繰られるだけです」
「妙な仲……ああ、いやこれは失礼しました! そうですね……いや、失念していたわけではないのですが、ヴォルフラム軍曹はまだ成人前の女性ですからね……それは私のような、妻帯者とはいえ男と関係を持つというのはよろしくないですね。ああいえ、関係というのはもちろん上官と部下ということで、やましい気持ちは微塵も無く!」
ズィードが見当違いに慌てふためくのを見て、ツルギはまた呆けた。
「コホン……ヴォルフラム軍曹、君が人斬りというのは紛れもない事実だとしても、それと君の評判が結びついたとしても、人斬りはあくまで君の一面。前にも言ったとおりです。君の人となりは、私が感じたものを信じます。私が信じる君に感謝を伝えることをとやかく言う者がいたとしても。ありがとう、ヴォルフラム軍曹」
ツルギは目を泳がせ、そうしてしばらくしてから、姿勢を正して敬礼した。
嘘偽りなく自分に本音をぶつけ、好感を抱くズィードに困惑しながら。
その胸には、得体の知れない何かが仄かに灯った。
また数日。
第三部隊及び第五部隊の派遣や第六部隊の尽力により、第一部隊は帝都への帰還を命じられた。
「あっちへ行けと命じられたら次は帰ってこいとは。本部は私たちを犬のように思っているのでしょうか。あ、けして猟犬の牙を揶揄したわけではないですよ」
無視である。
「白貴王国との賠償が成立したらしい」
「それはそれは。斬るものが減ったのが残念です」
「おいたわしやブルー様」
「まあ、帰れるというなら帰りましょう。そろそろ柔らかいベッドが恋しいですし」
それに……とツルギは含み笑いをした。
もうすぐ彼女が目を覚ます。
そうすれば……
ツルギはその時を今や今やと待ちわびていた。
「この度は本当にお世話になりました」
「頭を上げてくださいヒャーハイツ大佐。我々はやるべきことをやったまでです」
「ワッハッハ、それはそうですなぁ!!」
「それでもです」
帰りの列車に、ズィードは乗らなかった。
本部への報告はオラフに任せ、自分は現場で陣頭指揮と復旧作業に務めるとのこと。
同じくソフィアとグレーテルも、負傷者の治療に当たるため修道院領に残ることにした。
「あなたが残っても負傷者を実験道具に使うのがオチでしょう」
「死ねメスガキ」
「またお会いしましょう。それよりツルギさん、例のあの患者ですが。その後……」
「どうやらあの騒動の最中に行方不明になってしまったようで。目を覚まして一人でどこか行ってしまったのでしょう。気に病む必要はありません」
「そう、ですか……」
「何かあればいつでも連絡を。すぐに駆けつけます」
「心労痛み入ります、ミューラー大佐」
「では」
「……ヒャーハイツ大佐」
「はい、何でしょうヴォルフラム軍曹」
「ハンカチ、ありがとうございます。大切にします」
ズィードは穏やかな笑みをツルギへと送った。
一同を乗せた列車は、帝都へと汽笛を鳴らす。
「貴様が他人に興味を持つとはな」
対面に座るノクトがツルギにそう言った。
「嫉妬ですか?」
「だと思うか?」
「……いろんな人がいるんだと、実感しただけです」
「好意を持つのはいいがヒャーハイツは妻帯者だ。手を出すなよ」
「ノクトさん、私が誰彼構わずキスをするようなアバズレだと思っていませんか? 心配しなくても、そんな倫理観が欠如した行いはしませんよ」
「貴様が倫理観を語ると虫唾が走る」
「私はノクトさん一筋ですから。何なら久しぶりにキスしましょうか」
「誰がするか」
「キスくらいで顔を赤らめて。ノクトさんはウブで可愛らしいですね。セックスに誘っているわけでもあるまいし」
「そういうことを大声で話すな」
「だからノクトさんは処女なんですよ」
「貴様もだろうが!!」
ツルギはクスッと微笑み目を閉じた。
目の前の喧騒を子守唄に、自分の腰に差された一本の刀を夢見て。
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