血まみれ令嬢《カーミラ》
『やあライナー』
「どうやらヘルガが目標Bと接敵したようです。如何なさいますか?」
通信機の向こうで男は、ああ、と笑った。
『放っておいていいよ。ヘルガが上手くやるさ』
「しかし相手は不死です。いくらヘルガでも」
『心配性だね。大丈夫だよ。おれの部下は全員強いから。それよりライナー、今すぐそこを離れた方がいい』
「は?」
『ただの勘だけどね。嫌な予感がする』
おれの勘は当たるよ、と言い残して通話が切れる。
ライナーと呼ばれた男は訝しみを覚えたが、次の瞬間には身体中が総毛立ち、振り向きざまにライフルを鳴らした。
「見つけた、おいしそうなご飯」
少女フランは、放たれたライフルの弾を歯で止め、ガリガリと咀嚼した後、目の前の獲物によだれを垂らした。
「食べてもいい?」
「化け物め……!!」
コッキングし構え、引き金を引く。
その間僅か一秒未満。
しかしライナーの放った弾丸は空を切るに終わった。
「速い……!!」
目の前に迫るのは狼の脚。
腕を部分的に変化させたフランは、その爪で獲物を引き裂こうとした。
「……あれ?」
確実に腕の一本はもぎ取れたはずだったが手応えは無い。
それどころかフランの視界からライナーの姿が消えていた。
すん、と鼻を鳴らすと、頭の上から羽が一枚落ちてきた。
「子どもと侮っていたつもりはないんだが」
フランが目をやったのは、爪が掠め血を滴らせる左腕。
それよりも、彼の背中に生えた雄々しいまでの翼であった。
「排除する。悪く思うな」
フランは昂ぶる魔力……もとい食欲に爛々と目を輝かせた。
「鳥のお肉って、おいしいよね」
――――――――
エリザベートの戦闘力は、良いところ一般の兵士並みだ。
ツルギの過度なトレーニングにより同年代の平均基礎体力は大きく上回っているものの、センスの欠如が要所で滲み出る。
格闘、剣術、重火器や爆薬の扱い、どれも平凡といったところ。
「あれだけ粋がって、これ?」
故にヘルガは拍子抜けしていた。
頭を撃ち抜く、喉を突き刺す……どんなことをしてもエリザベートは死ぬことはなかったが、相手取るにはあまりに弱すぎた。
さながら羽虫を払うのと同義だ。
「弱いなら戦うのやめてよね」
「戦い? フフッ、おかしいことを言わないでください。戦うつもりなんてありません。ただの八つ当たりです。こんなことになっていなければ、今頃ブルー様の甘いお仕置きを受けられていたというのに。あなたくらいじゃ……」
エリザベートは大きく口を開けると、自ら舌を噛み切った。
「はぁ……全然足りません」
「イカれじゃない……」
エリザベートの首、胴体、腕、足が一度にバラバラになる。
が、当たり前のように再生する。
「あなたの攻撃も悪くはありませんが、やはりブルー様に比べると……?」
ふと、エリザベートは右腕に違和感を覚えた。
ヘルガがニヤリと口角を上げた次の瞬間、右腕が異様な動きを見せた。
皮膚の下で何かが蠢き、やがてそれは皮膚を突き破り姿を露わにした。
「まあ、蜘蛛」
小さな数百という蜘蛛が腕を、身体中を這い回る。
皮膚を破られても、肉を食い千切られても、エリザベートはきょとんとした顔。
そんな彼女を見て、ヘルガは再度肩を落とした。
「普通の女の子は、身体に蜘蛛が這ってたら悲鳴を上げるのよ」
「蜘蛛はよくお茶の中に入れられたり、ベッドの中に放り込まれていたりしたので。フフ、可愛らしいですね。これがあなたの魔術ですか? 虫を操る智天使系……違いますか。先ほど私をバラバラにしたのは糸のようでしたし」
「……よく見えてること」
「だとしたら……熾天使系ですか。蜘蛛の、虫の熾天使系なんて珍しいですね。だとすると、おかしいですね。身体に獣の力を宿すという熾天使系の概念を大きく逸脱しているような」
「王女様って存外頭が悪いのね。魔術は想像力でしょ。イメージ次第で何でも出来る。蜘蛛を生み出すことも、糸で相手を引き裂くことも、毒で正気を失わせることも。これが私の魔術、熾天使の糸。どう? 少しはビックリしてくれた?」
「熾天使の糸。フランちゃんが聞いたら喜びそうです」
蜘蛛が這う腕に視線をやると、エリザベートは穏やかな笑みを浮かべた。
「この子たちも随分食いしん坊みたいですね。ですが気を付けてください。あまり欲張るとお腹が破裂してしまいますから」
蜘蛛が身体の中まで食い漁り、小さな牙を内臓に突き刺したその時。
爆炎が夜闇を照らした。
「っ、爆発?! 何が……」
蜘蛛の子はおろか上半身が無惨に吹き飛んでいる。
飛び散った血と肉が再生する最中、エリザベートは尚も変わらず笑みを向けた。
「あなたの餌はこれで充分でしょう、ってブルー様が私に爆弾を食べさせたんです。フフッ、さすがブルー様。この状況を見越した見事な采配です」
実際は余興のように面白可笑しく爆弾を口にさせただけだが、エリザベートはそれもツルギの愛と全身を恍惚とさせた。
「さて、もうネタは割れたのであなたに興味は無くなりました。もう殺しますね」
「ただ死なないだけのお人形が、結構なこと言うじゃ……ッ?!」
ヘルガは自分の足に何かが巻き付いているのに気が付いた。
「これは……血……?!」
「さっき自分で言ったじゃありませんか。魔術は想像力。イメージ次第で何でも出来ると。だからイメージしてみました」
堕天使の血の本質は、肉体の完全なる維持にある。
髪の毛一本から爪の先まで、どれだけの損傷を負っても万全の状態に復元される。
その万全とは誰が決めるのか。
他でもない魔術師本人、つまりエリザベートだ。
「案外、やってみると出来るものですね。その状態を万全だと定義づければ、身体から離れた血でも硬質化させて遠隔で操作出来るんですから」
エリザベートに軍人としての才能は無い。
だが、魔術師としての才能なら彼女は群を抜いている。
「こんなもの……」
ゴギッ
ヘルガの右足が嫌な音を鳴らした。
「ァ、ッア゛ぁぁぁ!!」
「鍛えられた軍人の骨はいい音が鳴りますね」
「ほら、もう一本」
血がヘルガを締め付ける。
ヘルガは歯を食い縛り怒り心頭の目でエリザベートを睨みつけながら吠えた。
「調子乗ってんなよイカレ女ァ!!」
紫がかった魔力が荒れ狂い、ヘルガの身体を包む。
身体を縛っていた血を吹き飛ばした彼女の姿は、人の上半身に蜘蛛の下半身を持つ怪物のそれに変貌していた。
「まあ」
ヘルガは折れた足を自ら切り捨て、新たな足を生やすことで難を逃れた。
「自切ですか。不便な生き物ですね。いえ、同じでしょうか。蜘蛛も人間も、縊り殺せば死ぬことですし」
言ってナイフで自らの腕を斬りつける。
飛び散った血はエリザベートの周囲に、赤く輝く紅玉となって浮かんだ。
「殺す!!」
やれるものなら、と言う悍ましいまでに禍々しい姿は、奇しくも吸血鬼に仕えるに相応しいものであった。
血まみれ令嬢。
彼女を呼ぶのに、それ以上適した名前は無いだろうほどに。
血を纏い、血の翼を広げ、エリザベートは笑う。
「では、第二ラウンドと参りましょう」




