堕天使たち
「――――――――ちゃん。お姉ちゃん」
小さな手に揺すられ、ツルギは目を覚ました。
「あ、やっと起きた」
「フラン……? ……ああ、眠ってしまったんですね」
「もうっ。二時間も起こしたんだよ?」
懐中時計で時間を確認する。
エリザベートがこの場を離れてから、三時間が経過していた。
「ずっと起きないんだもん。死んじゃったのかと思った」
「熟睡しただけです」
「……? お姉ちゃん、なんで泣いてるの?」
フランに言われ、ツルギは頬に薄っすらと涙が伝っているのに気付いた。
「なんでもありません。リゼさんから話は聞いていますね。ここを片付けなさい」
「はーい。いただきます」
フランが両手を翳すと、闇が死体に覆い被さった。
しばらく蠢いた後に闇が消える。
後には血の一滴も残っていない。
「んーおいしいー♡魔術師じゃないのが残念だけど」
「堕天使の月と大天使の影を組み合わせたんですか。影渡りも問題無く可能なようですし、魔術の使い方が上手くなりましたね」
「ちゃんと毎日お勉強してるもん」
ツルギに撫でられご満悦のフラン。
「ご苦労さまです。帰っていいですよ」
「えーもう? もっと食べたいよー。生きてても死んでてもどっちでもいいからー」
「帰りなさい」
「むー! お姉ちゃんばっかりズルい! 影を移動するのってすっごくお腹ペコペコになるのに!」
「今さっき食べたでしょう。新鮮な死体を三つも」
「足ーりーなーいー! あーあ! もう一歩も動けないー!」
日に日に人間らしくなるフランに一抹の鬱陶しさを覚えたものの、これも成長かと、ツルギは姉としてわがままを受け入れた。
「わかりました。何か食べさせてあげます。その代わり影に潜んでいなさい。あなたが見つかるのは面倒ですから」
「ほんと? やった! お姉ちゃん大好き!」
フランはツルギに抱きつくと、そのままツルギの影の中へと消えていった。
大天使の影は闇を司る魔術。
闇を手繰り重力を操る多種多様な力ではあるが、それのみではせいぜいが影に潜る程度だろう。
しかしフランの魔術の一つである熾天使の咆哮を組み合わせると、狼の嗅覚によりマーキングした影を渡ることを可能にし、長距離の瞬間移動を実現する。
(魔術の組み合わせ方が天才的ですね。意思を持った魔術の特性なのかもしれません)
しかしどうしたものかと頬を掻く。
この大食漢に与える餌はどこから調達しよう、と。
基地に戻ったツルギを待っていたのは、不機嫌を露わに腕を組んだノクトであった。
「勝手はするなと伝えたはずだが、どこへ行っていた」
「軍人たるもの、市民が無為に血を流しているのは耐えられないと、私に何か出来ることはないかと街を訪れていました」
「その格好でか」
「主の信徒として祈りを捧げたくて」
着替えるのを忘れ、ツルギはそれらしいポーズを取った。
「懲罰だ。今日の夕食は抜きとする」
「えーーーー?!」
突如響いた聞き覚えのある声に、ノクトは眉間に皺を寄せ、ツルギは無言で影を踏んだ。
「……え、エー? ソンナーゴハンヌキナンテヒドイデスー」
「黙れ。貴様、何か良からぬことはしていないだろうな」
「今のところは」
少し斬りはしましたが、とはさすがに口を噤んだ。
「……ならいい」
「言及しないんですか?」
「非常事態だ。第一、問い詰めたところで貴様が本音を口にするとは思えない」
「失礼な」
「結果的に軍の利益になるなら、上官として言うことはない」
「では、ノクトさん個人としては?」
ドン、と大きな音が一つ。
ノクトはツルギの背後の壁に手をついた。
「おとなしくしていろ」
声に怒気を含ませるも、あっけらかんとするツルギに辟易し、ノクトはそのまま去っていった。
「怖いねノクトお姉ちゃん」
「あの人は怒った顔が可愛いんですよ」
「変なの。怒られて嬉しそうにしてる」
「……?」
本人に自覚は無かったが、ツルギの頬には若干の赤みが差していた。
「……高圧的に迫られるのが好きなのかもしれません」
間の抜けたことを考えたのは、しばらくしてからのことであった。
その後、基地の隣に併設された病棟に向かう。
傷付いた兵士たちを横目に、件の少女の元へ。
「ブルー様、おかえりなさい」
抱きつこうとするエリザベートを躱し、少女が眠るベッドの横に立つ。
各所に包帯を巻かれ、腕からは点滴の管が伸びていた。
「これでは話どころではありませんね」
そう呟いたとき、病室のドアが開いた。
「ツルギさん。戻ったんですね」
「今しがた。ソフィアさん、彼女の容体は?」
「かなり衰弱しています。私の魔術で怪我は大方治癒しましたが、ぁ」
不意にソフィアの身体が前のめりになったのを、ツルギがそっと受け止めた。
「ご、ゴメンなさい。私ったら」
「魔術の反動ですか」
「は、はい。私の智天使の愛は、傷を癒やし体力を分け与えることが出来るのですが、体力と魔力の消費が著しくて、あまり乱用が効かないんです」
それでも百人単位で治癒することが可能というのだから、彼女の魔術の技量の程が窺える。
「こんなに大胸筋に栄養を蓄えていそうなのに」
「い、いえ、あの、これはらくだのコブではないので……コホン、今は点滴による栄養補給をし様子を観察します。安静にすれば一週間ほどで目を覚ますかと」
「一週間……」
とんだお預けを食らった気分で、ツルギはがくりと肩を落とした。
それから、ふと固まり、俯いたまま口角を上げた。
「ソフィアさん、あれはなんでしょう?」
「あれ?」
窓の外に視線を向けさせた一瞬、目にも映らぬ早業でソフィアの髪を数本失敬した。
「すみません。ノクトさんが裸で奇妙なダンスを踊っていると思いましたが、見間違いだったようです」
「何と見間違えたんですかそれ……。では、私はこれで。彼女の安否に関しては任せてください。私の前では誰一人死なせたりしませんから」
フンス、と細い腕でポーズするソフィアに、
「よろしくお願いします」
ツルギは可憐に微笑んだ。
それから、
「フラン」
影の中にソフィアの髪を落とした。
「食べなさい」
「もぐもぐ……んーんーんーんー!♡」
フランは影からひょっこりと上半身を出すと、髪の毛を咀嚼しながら目をウルウルさせて歓喜した。
飲み込むのが惜しそうに、ゆっくりゆっくり味わって。
「すっっっごいおいしいー!♡お姉ちゃんお姉ちゃん、今のもっと!♡もっと食べる!♡」
「ダメです」
「随分反応が大きいですね。やっぱり魔術師は味が違うんですか?」
「違うよ! 普通の人はお肉!って感じだけど、今の人はお砂糖と蜂蜜とジャムをたーっぷりかけた山盛りのお肉!って感じなの!」
二人は揃って微妙な顔をした。
「まあ、味どうこうに興味はありません。フラン、魔術の方は?」
「うん大丈夫! 使えるよ!」
フランはベッドの少女に向かって手を翳した。
すると、淡い蛍光が漂い少女の身体を覆った。
「智天使の愛……治癒の魔術を手に入れられたのは幸運ですね」
堕天使の月は喰らった相手の能力を得ることが出来る。
それが髪の毛一本、血の一滴でさえ。
無尽蔵の食欲は、そのまま無限の容量。
喰らえば喰らうだけ、フランの力は強大になる。
「そんなに便利な魔術なのに、私の力は使えなかったんですよね」
「奴隷ちゃんはおいしくないからイヤッ」
フランはエリザベートにそっぽを向いた。
どうやら堕天使系は食べてもおいしくなく、また能力も使えないらしい。
実際フランがエリザベートの右腕を丸かじりしたときには、あまりのまずさに吐き戻したほど。
「私のことはお義姉ちゃんって呼んでくださいよ。可愛い義妹なんですから」
「イヤッ。奴隷ちゃんは奴隷ちゃんっ」
「いい子ですねフラン」
「ああんブルー様ぁ……」
「フラン、そのまま治癒を続けなさい。リゼさんはフランの付き添いを。何かあれば呼んで――――――――」
ツルギが少女に背を向けたとき、ふと動きが止まった。
見れば少女の手が鞘を掴んでいた。
「起きたのですか?」
「……いえ、無意識に手を伸ばしたようです」
エリザベートでさえ触れれば手が壊れた妖刀を鷲掴みにする。
それも無意識下で。
アルレシュミットの血は想像以上に期待出来そうだと、ツルギは少女の頭に手を置いた。
「はやく起きてくださいね。待っていますから。私も、この子も」
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