魔術
東共和国は資源に富んだ国である。
特に良質な鉱物、化石燃料が豊富で、技術者にとってはまさに楽園。
第一部隊分隊を率いる男、ジェスター=ボーガン大佐は、自らが設計し開発に携わった長距離砲を見上げ惚れ惚れとした。
「美しい……美しい!! 巨大であることの機能美!! 圧倒的な破壊力!! これこそ兵器!! これこそ正義!!」
「大佐!! 次弾装填完了致しました!!」
「よォーし!! 薄汚い帝国を更地に変えてやれ!! 撃てぇぇぇーーーー!!」
指揮の下、轟砲が低く響く――――――――よりも前に、光が瞬いた。
まるでバターのように、分厚く巨大な鋼鉄の砲門が両断され、重い砲身が落ち大地を揺らした。
「な、長距離砲が?! 一体なにご、と……」
ジェスターの目に、剣を煌めかせる少女が映る。
「て、帝国兵?! いつの間に……まさか、貴様が長距離砲を……? う、撃てぇ!!」
考えがまとまらないまま射殺命令を下し、兵士たちは一斉に銃口を向けたが、すでにそこには姿は無い。
「最初の一人が、いっちばん……気持ちいいんですよ……!!」
大胆に。
左肩から脇腹まで。
見事な袈裟斬りで兵士の一人が斬り裂かれる。
気付いたときには誰かの首が宙を舞い、誰かの背中から血が噴き出した。
視界に銀色が映っては消える。
大群を率いていたはずの東共和国軍は、すでに全体の二割の命を消失させていた。
「銀髪に……双色のオッドアイ……!! まさか……帝国の、人斬り令嬢か!!」
ツルギは血に濡れた剣を払い、狂人めいた視線でジェスターを射った。
「アッハハハぁ!! あーれれぇ?! 私ってば挨拶もまだでしたよねぇ!! ごきげんようツルギ=ヴォルフラムと申します!! ようこそ東共和国の……勇敢なる皆様に置かれましては……あれがあれで、どぉれですかぁ?! ああもう!! もうもうもう!! 無理無理無理無理っ!! 斬りますねぇぇぇぇ!!」
同じ人間か。
否、人間であるはずがない。
「とんでもねぇな」
バニルは双眼鏡で惨状を確認し眉根を寄せた。
「強いがデタラメだ。人間の身体はともかく、長距離砲まで斬るなんざ人間技じゃねぇ」
「あのスピードに関しては十中八九智天使系だろうが……もしくは……。勝手に動くなという命令違反は後で咎めるとして、相手側が混乱している今が好機だ。全軍前進!! 敵軍を殲滅せよ!!」
「おおおおおお!!」
「一人で戦局を変えちまう化け物か。とんだじゃじゃ馬が飛び込んできたもんだな」
「無駄口はいい。私たちも行くぞ」
「おれたちが到着する前に全滅するぞ」
「任務の遂行と暴走は別の話だ」
ノクトはポケットから取り出した指輪に視線を落としてそう言った。
「いやだ……」
女性兵士は倒れる仲間に背を向けて走った。
さっき斬られたのは共に研鑽を積んだ同期だ。
今斬られたのは支え合ってきた友だ。
「あっ!!」
今足を引っ掛けたのは夕べプロポーズされた想い人だ。
昨日まではたしかに在った。
それがたった数分で全て消えた。
仲間も、国が誇る最新鋭の武器も、軍人としての誇りも。
「逃げなきゃ……逃げなきゃ……!!」
軍規違反など知ったことかと。
とにかく今は逃げる。
逃げて生き残れば拓ける明日があることを軍人は知っているから。
「逃げて……逃げれば……きっと……ぁあっ!!」
「きっと、何ですかぁ?」
「あ、あああぁぁぁ!!」
横から顔を覗き込んでくる悪魔に、彼女は悲鳴を上げて尻もちをついた。
たくさん斬った。
口直しならぬ剣直しに長距離砲も斬った。
司令官らしい者はとっくに。
後は……と、ツルギは這いながらも逃げる彼女の髪を引っ張った。
「なんで逃げるんですか? まだ戦争の途中なのに」
「い、いやぁ……助けて……」
「助けて! それを東共和国兵が言うんですか! 巨大な鉄屑で我が国土を汚し、多くの仲間を傷付け、愉悦に浸っておきながら! 自分たちがやり返されれば泣いて謝れば済むと思っているなんて! ああ、なんて浅慮! なんて厚顔無恥! 主はさぞお嘆きでしょう!」
「降伏っ、降伏します……!!」
「へ?」
「捕虜になります!! 知ってる情報は全て包み隠さずお教えします!! だから、だから命だけはお助けをがばっ?!!」
涙ながらに命乞いする女性の口に手を突っ込み、言葉を発せなくする。
「ぁ、が……?!!」
「ダメですよ……命乞いなんて。そんなのつまらない。くだらない。おもしろくない味気ない。国に忠誠を誓った身なら、身なら、身なら……最後の最後まで軍人で在ってくださいよ。でないと、斬っていい理由が無くなっちゃうじゃないですかぁ!!」
「――――――――」
女性は恐怖に白目を剥いて股間を濡らした。
顔面に向かって勢いよく振り下ろされた剣が、同じく剣に阻まれる。
「やめろ。ヴォルフラム二等兵」
黒の剣を手に、ノクト=S=ミューラーは鋭い眼差しでツルギを牽制した。
「すでに気を失っている。貴様は敵意無き者を斬ろうというのか」
「……フフッ」
ツルギは宿していた狂気を収め、普段どおりの純真な笑みを浮かべた。
「お言葉ですがミューラー大佐。敵意というなら魔導帝国に牙を剥いたときからです。一度芽生えた敵意は枯れることはありません。今萎れたとて、いずれまた成長し我々の敵となるでしょう。その前に芽を摘むことがいけないことですか?」
「その判断をするのは貴様ではない。貴様のそれはただの建前だ。敵を斬ることを正当化するな。我々の目的は殺戮ではない。祖国を、そこに暮らす人々の平穏を護るのが我々の役目だ」
「正当化……正当化…………そうですね。たしかにそうです。全く以てそのとおりです。失礼いたしました大佐。危うく私は主の教えに背くところでした」
剣を地面に突き刺し両手を組む。
「汝、隣人を愛せよ。この方が一人生き残ったのは、きっと神がそう導いたからです。なら私は生き残った彼女を愛しましょう」
ツルギは気を失った女性を強く抱き締めた。
骨が軋むほど、爪が肉に食い込むほど強く。
「惜しみなく愛を注ぎましょう。私を殺せるほどの熱が生まれるように。あなたの仲間を斬ったのは私ですと、めいっぱいの愛を唱えましょう。いつか復讐の炎で私を焼き焦がしてくれますように。フフ、フフフ! フフフフフ!!」
今にも女性を斬り殺しそうなツルギを見て、ノクトは辛辣な言葉を投げた。
「……貴様は軍人ではないな」
言われてツルギは女性を横たわらせ、地面から剣を抜いた。
「怪物らしく在った方がお好みなら、もっと早く出会うべきでしたね」
剣を鞘に戻すところで手が止まる。
「……その方は捕虜にされるのですよね?」
「貴様のせいで心が壊れていなければな」
「捕虜ならもし暴れ出さないよう……手足の一本くらい、斬っておいた方がいいですよねっ!!」
「やめろと言ったはずだ」
ツルギは二度に渡って自分の剣が止められたことに驚いていた。
しかも今回は剣で触れてすらいない。
剣を見えない何かが遮断している。
「風……これが大佐の魔術ですか」
魔術とは肉体、魂に刻まれた天賦の才。
神より与えられし魔術は、使徒である天使の名を冠して呼ばれる。
ノクトに与えられた魔術の名は、大天使の翼。
大天使系は四大系統に数えられる風の魔術である。
「剣を引け。これはお前の剣で斬れる代物じゃない」
「斬れる代物じゃない……斬れる……代物じゃない…………フフッ!!」
「ヴォルフラム!」
ノクトの言葉はツルギに力の差をわからせるためのものだったが、むしろツルギは余計に熱を上げた。
斬れないもの、斬ったことのないものへの好奇心が、またもや彼女の狂気を再燃させた。
「ああ!! 薄い風を何重にも渦巻かせてバリアを張ってるんですか!! これでは砲撃も通らないでしょうね!! アッハハハ!! すごいすごいすごいです!! 剣が、私の剣が弾かれるなんて!! 初めてぇぇぇ!! 斬りたい斬りたい斬りたい!! もしも一緒に斬ってしまったら……ゴメンなさい、です!!」
「この狂人が……!!」
ノクトは手に握っていた指輪を左手に嵌めた。
その瞬間、ツルギは目を見開いた。
「それは――――――――」
「おとなしくしろ」
「ぁ――――――――」
かと思えば、それまでの騒がしさが嘘であったかのように沈黙し、ツルギは白目を剥いて気絶し地面に横たわった。
大天使の風を解除したノクトは、倒れるツルギを見て肩を落とした。
「……命令違反だ。戻ったら隊内での暴行事件と合わせて懲罰を与える」
それからノクトは、気絶して尚もどこか愉悦に浸ったツルギの顔ではなく、右手の手袋の下に見える機械の肌に目をやった。
「義手……?」
かくしてツルギ=ヴォルフラムの華々しい……もとい、血生臭い初陣は幕を閉じた。
のべ三百人超の撃破。
兵器破壊という戦果。
そして、人斬り令嬢への惜しみない畏怖を添えて。