堕天使の財
招待客が消え静まり返った庭を見ながら、ツルギとカタリナは言葉を交わした。
「どうにも、やるせない幕切れですね」
「今日ではなかったということですわ。続きはまたの機会にいたしましょう」
「あなたの首を斬るくらいのことはいつでも出来そうですが、致し方ありません。あの刀はしばらく預けておきます」
「あら、もう自分のものにした気でいますのね。フフ、可愛い方」
「そうなりますよ。わかりますから」
「まるで運命の赤い糸でも見えているかのようですわね」
あなたならそんなもの斬ってしまいそうなのに、とカタリナは皮肉を込めて言った。
「ええ、斬れますよ」
皮肉も冷笑もツルギには何の効果も無い。
「私は何でも斬れるんです。そう……たとえば、あなたのあの刀への興味なんかも」
「!」
気付いたときにはキンと鍔が鳴っていた。
カタリナはあくまで商人だ。
加えて両足が不自由でもある。
肉体の強さのみを戦闘力に換算すれば、いいところが子ども一人分ほどだろう。
そんな人物がツルギの剣に反応出来るわけがない。
「どうですか? 先ほどよりは、あの刀への執着は無いはずですが」
「……ええ。そうですわね。妙な気分です。ぽっかりと心に穴が空いたような……手に入れたものに飽きたときのような虚無感。無関心。本当に……」
「重畳です。しばらくは、預けておきました。では、ごきげんよう。刀は後で使いの者をやりますので。最後のひとときをどうかお楽しみください」
もうこの場に用は無い。
カタリナの脇を抜けて背中を向けた、その瞬間。
「私のものが私のものでなくなる……ああ、本当に……………………最低で最ッ悪な気分ですわ」
黒い腕がツルギの身体を貫いた。
(攻撃……身体を貫通……痛みは無い……)
ツルギは即座に剣を抜き腕を斬り落としたが、腕の形をしたそれは元に戻り、カタリナの背後で蠢いた。
(反応出来なかった……? 私が……?)
一瞬の出来事に戸惑うツルギ。
途端、その膝がガクンと崩れた。
「力が……」
「一瞬ですものね。奪えた生命力はほんの僅かですわ」
「生命力……?」
カタリナは自分より低い位置にある頭を見下ろしながら、そっと自分の口元に手をやった。
「私、欲しいものは何でも手に入れられますの。その人の活力、希望、感情……そう、何でも。ちょっと元気が欲しいときは、生命力をもらいますの。安心してくださいな。体力と同じですぐに元に戻りますから」
「それが、あなたの魔術ですか」
ツルギは類稀なる直感力により、自身への敵意と悪意に対し超速を以て反応することが出来る。
指の先に針を刺すほどの痛みさえ気配として予測する彼女が、何故カタリナの攻撃に対し反応出来なかったのか。
それはカタリナには敵意も悪意も、ましてや害意も無かったためである。
彼女を構成するのは純然な欲望のみ。
全てを我が物にしたいという底無しの強欲から産まれたその魔術もまた然り。
「もう少し反応が遅ければ、寿命も奪えましたのに。ツルギ様がいけませんのよ? 私のものを奪おうなんて、そんなの……そんなのォ、ゅ許されるわけなァァァいじゃないですかァァァ!! 簒奪を謳え――――――――堕天使の財!!」
「……ふぅ」
伸びる数本の腕がツルギに襲いかかる。
対しツルギは片膝をついたまま剣を振った。
「堕天使の剣」
体勢も余力も不十分。
だが、それで充分であった。
カタリナの魔術は一瞬で斬り裂かれ、黒い魔力の粒子となって散った。
「一度受けてしまったものは仕方ありません。ですがそれまで。二度目なんてありませんよ」
再度、カタリナの戦闘力はけして高くない。
それは魔術にも同じことが言えた。
速いわけでも強いわけでもない、ただ奪うことに特化した権能。
それもごく僅かな範囲のみに限られる。
「魔術は才能です。それは堕天使系とて例外ではありません。魔術は修行すれば鍛えられますが、魔力の容量はどうあっても増えることがない。魔力が少ないことは魔術師にとって致命的な弱点であり、覆すようのない限界なのです。その程度の魔術しか使えないあなたなど、片膝をついたままでも斬れますよ」
斬ることに特化した魔術と、奪うことに特化した魔術。
それらに相性も差異もありはせず、この場に於いて命運を分けたのは魔術師としての格。
そしてシンプルに、戦いに愛された者の経験の差であった。
尤も、そんなことはカタリナにとっては些末なことである。
勝てる勝てないは元より度外視。
奪える奪えないも頭には無い。
奪うのみ。
全ては自分のものであると、彼女は信じて疑わない。
「ィヒッ、アヒャッ……いいですわね、それ。欲しい……欲しい欲しい欲しい、欲しいィですわァァァ!!」
カタリナは激しく黒い魔力を迸らせた。
「くぅ、ださぁ、いイィー、なァァァ!!」
ツルギは魔術を斬ることが出来る。
だが、あろうことかツルギは斬ることを躊躇った。
この魔術は斬ってはいけない、そう直感した。
「チッ……」
動かない足と、迫りくる手に為すすべ無く舌打ちする。
と、その時。
「ツルギお姉ちゃんのこと、いじめちゃダメ」
カタリナの背後で巨大な狼が口を開けた。
黒い手が止まる。
指先一つでも動かせば、狼の牙が自分を噛み殺すことを、カタリナは察した。
「フラン……あなたまだいたんですか」
「だってご飯いっぱい残ってるんだもん」
「まったく」
意地汚いことを咎めることはせず、足に力が入るようになったのを確認し立ち上がる。
「大きいワンちゃんですね。可愛らしいこと。あなた、私のものになりませんか? ご飯ならお腹いっぱい食べさせてあげますよ」
「ご飯! いっぱい!」
「あなたは私の妹です。尻尾を振るのをやめなさい」
「あぅ……」
ツルギはカタリナの喉に剣を突きつけた。
「フランに臆し手を止めましたね。自分の命よりも欲しいものを得る。あなたはそういう人種だと思いましたが」
「命よりも? クスクス、金は命より重い……なんて戯言を信じるほどあなたは幼稚なのでしょうか。私のものは全て等価。何かを得るために何かを捨てる? 取捨選択なんて弱者の遠吠えに過ぎませんわ。ですから、奪われるくらいなら死にます。あなた方二人ともというわけにはいかないでしょうが、一人くらいは道連れにしますわ。何が何でも。それでお釣りが来るなら儲け物。でしょう? ウフッ、フフフフ」
先ほどまでの緊迫した空気は何処へやら。
ツルギは毒気を抜かされ剣を収めた。
「今度こそごきげんよう。もうあなたの顔は見たくありません」
「連れないことを仰らないで。私たち、もうお友だちでしょう?」
「何の冗談ですか」
「私まだお友だちは持っていなくて。前から欲しいと思っていましたの。ツルギ様……お友だちに様なんておかしいですわね。ツィー、ツィール……ツゥ……ああ、ツゥがいいですわ。響きが可愛くてお人形みたい。私のことはカリィと呼んでくださって構いませんわよ。初めてのお友だち……フフッ、なかなか甘美ですわ」
人の話を聞かないカタリナに、疲れたように息をついて肩を落とすも、ツルギはその提案が悪くないものであると考えた。
「たしかに、悪くありませんね。友だちを斬ったことは、未だありませんから」
目の前の少女が肉の塊であることに変わりはない。
ならばせいぜい利用させてもらおうと。
「友だちならば頼めることもあるでしょう。その時はよろしくお願いします。カリィさん」
「こちらこそ、ツゥ」
無償の間柄とはとても言えず、あくまで利己的に互いを搾取するだけの関係。
世間一般の友人とは遠くかけ離れていながらも、ツルギとカタリナは手を握った。
いつか斬る。
いつか自分のものにする。
素直なくらい己の欲望に従順に。
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