皇后の戯れ
きっかけは、退屈と呟いたことだった。
料理に飽き、酒を零し、流れる音楽を耳障りだと止めさせる。
彼女の一言が場の空気を変えるのだ。
「何かもっとおもしろいことはないの?」
それまで和やかであった会場の熱が冷めていくのを、その場の全員が感じた。
そして。
「そうだわ。エリザベート」
「何でしょう、殿下」
「あなた、何か芸をしなさいな」
皇后の気まぐれは始まった。
「芸、ですか?」
「ええ。そうね、犬の真似が見たいわ。四つん這いで庭を駆け回りなさい。ピッタリでしょう? 卑しい血を引くあなたには」
「控えよエルメンガルト」
皇后エルメンガルトに待ったをかけられる唯一が、皇帝アルバートである。
しかしエルメンガルトは、いいじゃない、と手元を飾り付きの扇で隠した。
「こんな立派なパーティーを催してくれたお礼なのだから。そうよね、エリザベート」
「はい」
エリザベートはアルバートに微笑むと、テラスから庭に降り、手と膝を地面についた。
「ワンッ」
鳴き声こそ可愛らしいもの、その様はとても皇族らしからぬものであり、軍人、家族含め全員が目を背けた。
ドレスを汚すあられもない姿に、エルメンガルトは冷たい笑みを向けた。
「ウフフ、まあなんてはしたないのかしら。恥ずかしげもなくあんなことが出来るなんて。今に発情して腰を振り出すんじゃないかしら」
エルメンガルトの命令に他意は無い。
ただエリザベートを辱めるためだけのものだ。
アルバートを含めそれは理解している。
これが癇癪にも似た一時的な嗜虐であることを。
だからこそエリザベートは、いつもどおりエルメンガルトの命令を聞いた。
それでエルメンガルトの気が済むなら、と。
「ワンッ、ワンッ」
尤もエリザベートには羞恥は欠片ほども無い。
「ほら、食べなさい駄犬」
「ワンワン」
皆の前で辱められようが、ドレスが汚れようが、投げられ地面に落ちた肉に食らいつかされようが、彼女は何とも思わない。
恐怖も無ければ怒りも無く、この無為な時間が早く終わればいいと、それだけを願った。
少しすればエルメンガルトはこの時間にも飽き、アルバートに帰ることを提案する。
それがわかっていたから。
「クスッ」
しかしエリザベートの、その場の人物の意図とは裏腹に、一人笑いを込み上げた者がいた。
「アハッ、アッハハハハ! アハハハハ! なんですあのみっともない姿! アハハハハハ!」
空気を読まず、腹を抱え、目にはうっすらと涙を浮かべ、ツルギは大笑いした。
その様は人斬りに気分を昂ぶらせているときとは違う、年頃の少女らしいものであった。
「ヒィヒィ、ッククク……はーはー、お腹ッ、お腹が痛い……!」
あの人斬り令嬢が笑っている。
軍人の大半が目を丸くしてその様を眺め、ノクトを始め彼女をよく知る者は悩ましげに頭を押さえ、エリザベートは初めて見るツルギの姿に顔を赤らめた。
「ブルー様が私に、笑顔を……! はわ、はわわ……!♡」
好きな人に笑顔を向けられ興奮し、はしたない姿を見せている自分に羞恥を覚え、居ても立ってもいられず顔を地面に向けた。
ツルギはひとしきり笑うと、満足したようで目尻の涙を指で拭った。
「っく、はぁはぁ、ああ……笑わせてもらいました」
そうしてやっと、静まり返った会場の中、全員の視線が自分に集まっているのに気付いた。
「存外、空気は読めないタイプですのね。ツルギ様」
カタリナにそう言われるのは心外であったが、ツルギは自分が会場の空気を壊しているのを肌で感じた。
それで気後れすることはなく、周囲もむしろツルギの愚行に半分感謝を覚えるほど。
しかし一人、エルメンガルトだけはその限りではなかった。
バシン、と扇を叩きつけ一言。
「帰ります」
従者を引き連れ会場を後にする。
その最中、ツルギに厳しい視線をやった。
目が合った当人は、社交辞令代わりの笑顔を返したが。
「あらあら、まあ。どうやらパーティーはお開きにした方が良さそうですね」
「我が后が失礼をした。良き計らいであった」
「ありがたき幸せです。陛下」
恙無くとはとても言い難くも、慰安パーティーは閉会する運びとなった。
この章……なんか筆が進むな……
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