魂の救済
軍用車両での輸送は、とてもではないが快適なものではない。
階級が上の者は暖かい車内なのは当然だが、兵士は幌の荷台が基本。
下級兵ともなれば荷台に物資と一緒に狭苦しい思いをする。
そんな中ツルギは一人笑顔を絶やさず、鼻歌を歌ってご機嫌な様子だ。
「なんか楽しそうだね」
「はいっ。今から楽しみで仕方ありません」
「戦争好き?」
「いえ。人を斬るのが好きです」
「あ、そう? 噂通り変な子だね。あたしオフィーリア。オフィーリア=オブライエン伍長。十八歳。よろしくね」
「ツルギ=ヴォルフラムです。よろしくお願いします」
オフィーリアは右手で握手を差し出したのに対して左手を出されたことに疑問符を浮かべたが、彼女なりの気まぐれだろうと左手で握手を交わした。
「コート一枚で寒くない?」
「女性のお洒落は機能性と表裏一体です」
「アッハハハ、たしかに。ね、ツルギって呼んでいい?」
「はい。お好きな呼び名で構いません」
「女の軍人って少なくてさ。第一部隊だとミューラー大佐とモルガン中尉とあたしの三人しかいなかったの。むさ苦しいったら。だから女の子が入ってきてくれて嬉しい。けどついてないね。着任早々出撃命令なんて」
「いえ、むしろ幸運です。こんな機会でもなければ合法的に人を斬るなんて出来ませんから」
「……ツルギってもしかしなくてもヤバい子? ベルトホルト中尉との立ち回りもそうだけど。中尉今頃医務室で倒れてるし」
「ベルトホルト……さん?」
ツルギの脳内にすでに彼の姿は無かった。
「ところで、オブライエンさんはいい香りがしますね」
「えっ? そ、そうかな? 訓練終わりですぐに出撃したから汗かいてると思うんだけど」
「スンスン」
「わああああ?! ちょっとどこの匂い嗅いでるの?!」
「月のモノですか? 二日目といったところでしょうか。お身体は労わってあげてください」
「えええヤダ何この子怖い!」
「ハッハッハ、人斬り令嬢は血の匂いに敏感ってか?」
向かいに座る男が高らかに笑う。
「ドギー=ヴィンセントだ。地位は軍曹。まぁ、何かの縁だ。仲良くやろうぜお嬢」
「お嬢……」
「ちょっとヴィンセント。そんな呼び方可哀想じゃない」
「今更だろ。二年前からずっと話題じゃねぇか。べつに侮蔑ってわけじゃねぇし。ちょっと血の気が多いくらいが第一部隊には合ってるだろ。な、お嬢」
「可愛くて……いいですね、お嬢って」
ツルギは案外ご満悦なようで、ドギーの呼び方を嬉しがった。
「じつは少しドキドキしていたんです。皆さんと仲良くなれるかどうか。もし爪弾きにされたら、悲しくて悲しくて皆さんのことを斬らないといけないところでした」
ニコリと笑う彼女とは裏腹に、荷台の全員が戦慄し固まった。
「ま、まあなんだ。第一部隊の一員になったからには、おれたちは仲間で家族も同然だ。困ったことがあったらなんでも頼れよ。なぁみんな」
「おおっ」
「期待してるぜ新兵」
「ありがとうございます」
ふと、ツルギは鼻をヒクつかせた。
「失礼」
兵士たちの足を踏まないよう車両の先頭へと移動し、運転席の小窓を叩いた。
「どうした?」
「すぐにハンドルを右に切ってください」
「なに?」
「危ないですよ」
小窓から剣を突っ込みハンドルを無理やり切らせる。
車両が傾くほど急に。
「なにを――――――――?!」
その瞬間、車両が進んでいた方向で爆炎が上がった。
車両は横転しかけたが、運転手の泥臭いハンドル捌きで事無きを得た。
「い、今のって……」
「砲撃……東共和国が開発していたという長距離砲ですね。さすが魔導帝国を上回る科学力を誇るだけのことはあります」
「長距離砲ったって、まだ国境まで何キロもあるんだぞ?! そんな距離を撃ってくるって……!!」
「技術の進歩が著しいということです」
無機質な機械音が鳴る。
車両の無線機からノクトの声。
『第五車両。状況を簡潔に伝えろ』
「は、はっ! あ、おい!」
「こちら第五車両。ツルギ=ヴォルフラムです。人員、車両共に被害ゼロ。直ちにルートの進行を開始します」
助手席の上官から無線を奪い取る形で通信に出る。
無線機の向こうでは一瞬の沈黙があったが、ノクトはそのまま通信を続けた。
『了解した。おそらくは東共和国の長距離砲による砲撃だ。ただしこちらを狙ったものではなく』
「不運にも流れ弾が飛んできたのでしょう。あれを狙って撃つのは不可能ですから」
『だろうな。絶えず上空に警戒を向けつつ、そのまま国境まで向かえ。分隊と合流次第戦闘を開始する。各員準備を整えろ』
「了解。ミューラー大佐」
『なんだ』
「ご命令を。国土を侵害する敵に慈悲を与える必要は無い。一人残らず殲滅せよと」
『勝手に動くな。以上だ』
素っ気なく通信が切れ、短く釘を刺されたツルギだが、すでに高揚は抑えきれていない。
肺いっぱいに空気を吸い込み、硝煙でくすんだ空を仰ぐ。
「無理……!! です……!!」
狂気で彩った満面の笑みで。
魔導帝国、牧歌領。
東共和国との国境に面するこの領区は、堅牢な砦が全長二キロメートルに及ぶ要塞として聳え外敵の侵入を阻んでいる。
長く鉄壁を誇り幾度もの侵攻を防いだこの砦が今、戦火に煽られ脆くも崩れ落ちようとしていた。
「くっ!!」
東共和国が開発した長距離砲は、約百五十キロメートルの砲撃を可能にする兵器である。
それが三門。
砦の壁に命中すれば大きな破損を齎し、上空を飛んでいく砲弾に対しては国土を侵害される無力感を兵士たちに植え付けた。
バニル=カーティス中佐もまたその一人。
「チッ、わざとこっちから狙いを逸らしてやがる。厭味ったらしい東の頭でっかち共が」
自分たちに被害が出るよりも、近辺に住まう住民の安否を案じる。
軍人の鑑であると同時、それと同じだけ悔しい思いを抱いた。
「ミューラーの野郎はまだか!」
こちらの砲撃は届かない距離から一方的に砲撃を続けられる。
その苛立ちも相まって、徐々に彼の頭は沸騰した。
「これで死んだら死ぬほど呪ってやるからな!」
「なら死ぬな。お前に呪われると死ぬより厄介そうだ」
「ミューラー!」
「すまない遅くなった」
部隊を率いて現れたノクトに、砦の兵士たちは沸いた。
これで戦況が変わるかもしれないと浮足立つ者も。
しかし、バニルは感激の握手もそこそこに苦い顔をした。
その理由をノクトは即座に察した。
「二十五から……三十五キロメートルか。これではこちらの砲撃は届かないな」
「ああ、奴らの一方的な蹂躙だ。お前なら何とか出来るか」
「私の魔術でも届かない。揺動くらいは出来るだろうが、その間にこちらから進軍し距離を詰めたとて、この見晴らしのいい地形ではいい的になる」
「まずはあのデカブツを何とかするっきゃねぇってことだよな。囮の車両を出撃させりゃ何とかなるかもしれねぇが」
「無駄死になど誰も望むものか。第一そんな命令をするつもりはない」
「わかってるよ……うおっ?!」
砦に砲撃が命中。
火薬庫に被弾し爆発と火の手が上がった。
「手の空いている者は消火に当たれ」
「はっ!」
「考えている暇は無い。私が出る。カーティス中佐はその間に兵を率いて前線を押し上げろ」
「それしかねぇか。無茶すんなよミューラー」
「誰にものを言っている」
外套をはためかせ剣の柄に手をかけた、その時。
無線機からオフィーリアの慌てる声が届いた。
『大佐!! ミューラー大佐!!』
「オブライエン伍長?」
『遅れながら只今砦に到着しました!! あ、あの!! 申し訳ありません!!』
「どうした。何かあったのか」
『私たちでは止められなくて、その!!』
彼女の横を白い風が一陣通り過ぎた。
『ヴォルフラム二等兵が――――――――』
それは高さ十メートル以上ある垂直の外壁を駆け上り、あろうことかそのまま東共和国の方へと飛び降りた。
「なんだ?!」
「あいつ……!!」
より近くなる"斬っていいもの"の気配に、ツルギは歓喜し両手を組んで祈った。
「ああ主よ、我らの偉大なる主よ!! 矮小なる私から感謝と賛美を捧げます!! どうか憐れな仔羊の群れに、永遠なる魂の救済を!!」
剣を抜き払い、ツルギは駆け出した。
もう止まらない。止まれない。
剣は甘美な感触を求めている。