欲しい
帝国に在ってその名前を知らない者は、せいぜいが赤子くらいのものだろう。
グローテヴォール……魔導帝国に於いては国内通貨の二割を握っているとされるほどの資産家であり、豪商と名を轟かせる、国内の商会を一手に束ねる長の役割を担う大商会の一族である。
「失礼しました。かのグローテヴォール家のご令嬢だとは露知らず。帝国軍第一部隊、ツルギ=ヴォルフラム曹長と申します」
「お、同じく第一部隊、リゼ=シュヴェールト二等兵です」
「まぁまぁ、フフフ。こんなところで敬礼なんておやめくださいな。公の場でもあるまいし」
袖で口元を隠す上品な所作には、まるで鈴が鳴ったような錯覚さえ覚える。
「ここに来たのはあなた方が初めてですわ。せっかくのコレクションなのに誰にも観てもらえないなんて、寂しすぎてどうしようと思っていましたのよ」
「妖刀に惹かれる物好きが世の中にどれだけいるのかという話です」
ツルギの言葉にカタリナは薄い笑みを浮かべ、エリザベートは小首を傾げた。
「妖刀?」
「魔術を込めて造られた剣は魔剣と呼ばれますが、妖刀は持ち主に不幸を齎すという呪われた刀。謂れは様々ですが、大概は刀の所有者が何人も命を落とすという曰く付きのものがほとんどです」
「お詳しいですわね」
「好きなもので」
「まぁ、フフ。私もですのよ。気になったものは蒐集しないと気が済まない性分なんですの。フフ、グローテヴォールの血筋かしら」
なるほど、とツルギは興味無さそうに再び刀に目をやった。
「この展示は自己顕示欲の表れでしたか」
「大層好きなんですの。コレクションを見せびらかすのも、芸術を前に知ったかぶりで無知を晒すおバカさんを眺めるのも」
「いい趣味ですね」
「お互い様ですわ。ここに来られただけで充分、悪趣味と呼ばれる分類でしょう? ねぇ、人斬り令嬢さん」
カタリナは車椅子を漕ぎツルギの隣に並び、一緒になって刀を眺めた。
「あなたは有名ですもの。貧民街から成り上がった叩き上げの軍人なんて、まるで英雄譚の序曲のようですわ。前々から一度お話してみたいと思っていましたのよ」
「商人と話すことなどありません。それとも主催者というのは、世間話で客の鑑賞を邪魔するのが役目だとでも?」
「世間話だなんてとんでもありませんわ。商人の言葉は余さず漏らさず一言一句が商談です」
「商談?」
「その剣、私のために振るってはみませんこと?」
「私兵の勧誘ということならお断りします」
「そう言わずに。もし興味がおありでしたら、ぜひ屋敷を訪ねてくださいな。ここには展示していない刀を眺めながらお食事でも如何かしら」
「これを見てしまった後では、滅多なものでは感動しないでしょうね」
煌めきなどない錆びた刀身。
砕けた柄に割れた鍔。
およそ刀としての魅力は皆無で、機能は欠如しているというのに、ツルギは深く惹き込まれていた。
そう、初めて剣を目にした時のように。
「造られた時代はおろか、製作者も不明。銘も無いただの刀。なのに他の刀のどれとも違う。自分を見ろといわんばかりの、強迫観念にも似た凄みを放っている。フフ、なんとも魅力的でしょう? 手に入れるのは苦労しました。十三人……ここに運んでくるまでに死んだ者の数ですわ」
ある者は箱に入ったそれを持って心臓発作を起こし、ある者はその姿を直視し発狂した。
またある者は望んだようにそれを自らの胸に突き刺した、とカタリナは思い出して笑った。
「どうりで血の匂いが濃いはずです。てっきり、試したのかとも思いましたが」
「試してみますか?」
そこでようやくツルギの関心が他に向いた。
「試してみますか?」
「私を誰か知りながらそんな提案をするなんて。冗談でしたでは済まされませんよ」
張り詰めたような空気の中、一人の女性が姿を見せた。
「し、失礼します、お嬢様……そ、そろそろ、次のご予定が……」
酷く怯えている。
本来ここに足を踏み入れることの出来ない類なのであろう女性は、視線を泳がせ足を竦ませながら頭を下げた。
「あら、残念ですわ。では、お話はまた次の機会に。楽しみにしておりますわね、ツルギ様」
「こちらこそ」
車椅子を押してもらいながら去っていく。
カタリナがその場から消えた後も数分ほどツルギは刀を眺め、そうしてやっと退館を決めた。
「帰りますよ」
「は、はい」
後ろ髪を引かれつつも。
「驚きでしたね。まさかグローテヴォールの方と出会うなんて」
「随分おとなしくしていましたね」
「グローテヴォール家は皇室とも浅からぬ付き合いで、私も幼少の頃に彼女と顔を合わせたことがありますから。あまり出しゃばっては正体がバレてしまうかもしれないと思って」
「ああ、そういえばそんな設定でしたね」
さて、とツルギは背すじを伸ばした。
エリザベートはハッと、今がデート中であることを思い出した。
何やら闖入はあったもの、刀という文化に触れて雰囲気が軟化したのはたしかであると。
手を繋いだり腕を組んだり、何なら頬にキスの一つでも許されるのではないか。
そんな淡い期待を抱きつつ、空いたツルギの左手を掴もうとする。
「ブルー様っ♡」
「ではここで解散しましょう」
「へぶっ!」
エリザベートの手はあえなく空を切り、勢い余って顔から転んだ。
「うう……あ、あのブルー様……近くに小洒落たカフェが、その……」
「まあ。悪くありませんね」
「じゃ、じゃあ!」
「今度ノクトさんとのデートに使います。あなたはさっさと帰って部屋の掃除でもしていなさい」
「はい……」
しょげる彼女に構うことなく。
ツルギは一人、人の流れに乗った。
その足取りはどこか虚ろだったが、変に意識はクリアであった。
(ああ、またこれだ)
ツルギの悪癖だ。
目に映る全てをどう斬ろうか考える。
色鮮やかな世界に白い線が引かれるのだ。
何百、何千、何万を超えた線で視界が真っ白になる。
(あんなものを見てしまったから)
いいな……と、ツルギは疼く手で剣の柄を撫でた。
(欲しいな、あれ)
この景色を白で覆い尽くしてしまう前に。
「〜♪」
「おや、いつになく上機嫌ですなカタリナ様」
斜向かいに座る中年の男性に、カタリナは微笑みを返した。
「あら失礼。大事な商談の最中に」
「いやいや。話が弾むというもの。談議の場にも華がなくては。何か楽しいことでもありましたかな? そういえば盛況のようですな、例の日出処国展。私も妻と一緒に伺わせていただきましたよ」
四十をとっくに過ぎた男性が、まだ十代も半ばのカタリナの機嫌を取るように媚びた声色を使う。
が、それが普通であるために、付き人たちは何も言わない。
男性が横に侍らせる妻も同じく。
「フフ、ほんの道楽ですわ。ですが、そうですわね。いい出会いがありましたの」
「ハハハ、いい人でも見つけましたか? ああいや、不躾なことを」
構いませんわ、とまた笑む。
「ステキな方にお会いしましたのよ。それはそれは凛とした、一本の剣のような方に」
「それは僥倖でした。しかしなんですな。カタリナ様は先代によく似ておられる。ヴィンツェンツ殿もそれはそれは大層な色男でしてな。周りの女性が歩みを止めて見惚れることがしょっちゅうで。あんな事故が無ければ、今も変わらず壮健であられたでしょうに」
「ウルリヒさん」
ヒュッ、とウルリヒは息を詰まらせた。
ウルリヒだけでない、カタリナを除く部屋の中の全員が青い顔をして冷や汗を垂らした。
「死者に口無し金も無し。故人に思いを馳せることなど無価値ですわ。そうは思いませんか?」
「あ、ああ、そ、そうですな! いやまったく、ハハハ! 私としたことがとんだ失言を!」
カタリナ=グローテヴォールは無駄を、無意味を、無価値を嫌う。
言葉の全てが商談であり、行動の全てが商売であると、極めて合理的な生来の商人の気質を有する彼女は、先代当主ヴィンツェンツ=グローテヴォールの死後約十年、その才覚とカリスマで若き当主として商会のトップに君臨してきた。
"欲しい"……ただその一念を礎に。
「し、失礼しまし――――――――」
「ウルリヒさん」
「は、はい!」
「ステキな指輪ですわね」
「は? あ、はぁ、二十周年の結婚記念日にと、妻から贈られたもので」
「まぁ、結婚記念日。言ってくだされば私からもお祝いしましたのに。おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「欲しいですわ」
カタリナは変わらず穏やかに笑って言った。
「くださらないかしら。その指輪」
「は、あ、いや……」
「欲しいんですの私」
「ど、どうぞ……」
ウルリヒは指から外した指輪をカタリナへと差し出した。
「キレイですわね。特注ですの?」
「え、ええ」
自分の指にはブカブカなそれを嵌めて灯りに翳すカタリナの上機嫌なこと。
それからカタリナは、
「ウルリヒさん」
「はい……なんでしょうか?」
「奥様もくださらない?」
「は――――――――?」
「ねえ、くださいな。あなたの奥様」
「そ、それだけは……それだけは、どうか」
「欲しいって言ってるんですのよ? ダメですの?」
「妻は……長く苦楽を共にしてきたかけがえのないパートナーです……。どうかご慈悲を……カタリナ様!」
ウルリヒは絶句した。
カタリナの表情から感情の一切が消え去っていたことに。
「私が欲しいって言ってるのに……ああ、悲しいですわ。こんなに……欲ォしィいィの、にいぃ!!」
静寂から一転、狂ったようにカタリナは怒声を上げた。
次の瞬間、カタリナから黒い何かが立ち上り人の形を取った。
それは腕を伸ばすとウルリヒの胸を貫いた。
「あ、あなた!!」
物理的な痛みは無い。
だが、
「あぁ、あァあ、あああああ!!」
ウルリヒの身体は痩せ細り、瞬く間に生気を失っていった。
「欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!! 私がこんなに!! 欲しいって!! 言ぃってるじゃありませんかぁぁぁぁぁぁ!! ヴァあああああああ!!」
「お、おやめくださいカタリナ様!! 夫の非礼を詫びます!! わ、私はカタリナ様のものになりますから!! どうか、どうかお赦しを!!」
「ならいいですよ」
一瞬であった。
怒気も狂気も、黒い人の形の何かも全てが消え、カタリナは平穏を取り戻した。
ただ一人、ウルリヒだけは骨と皮だけの老人へと成り果てたが。
「ぁ、あ……!」
「あなた! あなたぁ!」
「すぐに離婚の手続きを。今日から私の使用人として働いてください。フフ、ありがとうございます、大切なものをくれて。どうしても欲しくなってしまって。大事にしますね、ええと……そこの……何でしたっけ、お名前」
欲しいものが手に入れば興味も関心もない。
黄金令嬢……カタリナ=グローテヴォールとはそういう人間で、そういう怪物だ。
「ああ、あの方も欲しいですわ。私のものにしたいですわね。ツルギ様」
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