悪魔の研究
ツルギが目を覚ましたときにはすでに日が昇っていた。
「あっ、ブルー様! おはようございますっ!」
「……声が不快です」
「あっ♡」
寝起きの機嫌の悪さも相まり、ツルギは起き抜けにエリザベートに蹴りを見舞った。
右腕の可動の確認、軽くストレッチをしながら辺りを見回す。
「ここは……ノクトさんの私邸ですか」
「一度玄関先に来ただけのくせにわかるのはただただ気味が悪いな」
コーヒーを運んできたノクトに、ツルギはニコリと挨拶を交わした。
「おはようございます。それはもちろん、ノクトさんの匂いが濃いですから」
「コーヒーには消臭剤でいいか?」
「生活感溢れる大人の女性のステキな香りですよ」
寝起きにコーヒーを流し込み、脳の覚醒を促したツルギは、ところでと話を切り出した。
「あれはどうしましたか?」
「まだ目を覚ましていない。隣の部屋のベッドで眠っている」
「実験動物の分際で私より先にノクトさんと同衾するなんて。腹立たしいですね、ちょっと斬ってきます」
「同衾はしていない。私もソファーで寝た」
「私と一緒にですか? それにしては残り香が薄い気が」
「別のソファーがある」
冗談はそこそこに隣の部屋を覗き込むと、件の幼女が寝息を立てていた。
「ケージの中にでも閉じ込めておけばよかったものを」
「貴様よりは人道的な自負があってな」
ノクトとエリザベートが交代で見張っていたようだが、一度も起きはしなかったと言う。
「どうされますか? ブルー様」
「斬りますよ。それが仕事なので」
「私の家を血溜まりにする気か」
「軍人として犠牲はやむ無しです」
「貴様が言うな。聞いていた限り、ヴィクトリアさんが一から創った既存の生物ではない何かということだったが。あれはどう見ても人間だ」
「私もあの変人の研究の全容を理解しているわけではないので。まあ、誰も理解出来ないししようとも思わないでしょう。魔術をベースに生命体の創るなんてこと」
「魔術をベースにした人工生命体だと……?」
「この件に関わらせた時点で、ですね」
ノクトは耳を疑ったが、ツルギは幼女を見下ろしながら諦めた風に息をついた。
「魔術学については?」
「教本に載る程度の最低限のことは」
「魔術は神より賜りし奇跡。この辺りの思想は今も昔も変わらないわけですが、まだ魔術が魔術としての理解が及ばなかった時代には、精霊の悪戯や悪魔の災厄という見方もあったそうです。早い話が、魔術とは第三者の介入……もしくは、魔術自体が意思を持ち宿主を選んでいるという考えです」
「メルヘンチックですね」
エリザベートの言葉を無視し更に言葉を紡ぐ。
「まあ根拠の無い、信心深い民が語るだけのものとして今では潰えたその考えですが、グレーテルさんは興味を持ちました。もしもそれが本当なら、魔術はそれだけで生命足り得るのでは、と」
「馬鹿馬鹿しいにも程がある」
「普通ならそうです。ですがあの人は普通ではないでしょう?」
人体実験を厭わず、それを悪行と思わない。
そんな道徳を知らない者が普通の何たるかを知るはずもない。
ノクトは口を噤むことで肯定した。
「あのブルー様、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「魔術に意思があるかどうかはさておき、それをどうやって判別するのですか? 魔術に語りかけても返事があるとはとても思えません。実際」
「たしかに、テディベアに語りかけた方が幾分か建設的であることは間違いないでしょう」
起きる様子の無い幼女を置いて、三人は再びリビングへ。
まだあたたかいコーヒーを一口、ツルギは再度口を開いた。
「魔術の意思の有無……私も眉唾物として話半分に聞いたので、ここから話すことはあの人の妄想と思ってください。本人曰く、魔術とは脳や心臓ではなく人の根幹。血に宿るものらしいです」
「おかしな話だ。魔術は血統で遺伝しない。持って産まれた才能だ」
「実験の賜物と本人は言っていました。私たちの身体のどの部分より、魔力の含有量が多いのは血であるとも」
「そう言われてもあまり実感は出来ませんね」
指を開いたり腕を回したりしながらエリザベートが首を傾げる。
「魔術師の血をベースに科学的なアプローチを施す……そんな禁忌とも言える悪魔の研究の集大成があれというわけです。いえ、失敗作であることに変わりはないので、集大成という言い方は正しくないのでしょうけど。フフッ、魔術師をして悪魔とは我ながら皮肉が効いてユニークですね」
「誤魔化すな」
「冗談でも挟まなければまともに話が出来ないだけです。私にも理解が及ばないのですから。尤も理解が及ばないのは今起きている事象に対して以上に、あの人の頭の中身なわけですが」
「……元は魔術として、人の形をしているのはどういう理屈だ?」
「ノクトさんもご存じかと思いますが、血は遺伝子を始めとしたその人物の情報です。魔術が生命体足り得るのなら、必然的に魔術の宿主である人物の姿を形取るのが自然なのでは? それが誰かまでは知る由もないことですが」
そこまで言ったところでカップの中身が空になり、エリザベートに目配せしお代わりを催促した。
「かしこまりました。ついでに何か朝食でも作りますね。ミューラー大佐、冷蔵庫の中の物を拝借しても構いませんか?」
「……ああ。だが大したものは入っていないぞ」
「了解です」
エリザベートがキッチンへ向かったのを見送り話を戻す。
「元が人間の血なら、あの狼の力は熾天使の咆哮か。それにしても、複合的な魔術を有しているのはどういうことだ」
「これはただの推測ですが、脱走し逃げ込んだ先の貧民街で犠牲になった祝福落ち数名……彼ら彼女らが元来発現するはずだった魔術だったのではないでしょうか。祝福落ちの肉体や血を取り込むことを条件に、自身の魔術として行使出来るようになる、と」
「他者の魔術を取り込む魔術……そんなもの聞いたことがない。ということは」
「十中八九堕天使系でしょう。それも未だ観測されていない新種」
「貴様と同じ、か」
ツルギは虚を突かれ固まった。
が、それも一瞬。
すぐに笑顔を張り付けた。
「話した覚えはありませんよ」
「これでも一等星将だ。見ていればわかる。三系統に比べて堕天使系は魔術師の特徴を色濃く反映することだしな。大方、斬りたいものを斬る魔術といったところだろう」
「乙女の秘密を覗くなんてノクトさんはエッチですね」
「何故話さなかった」
「死にゆく最中でもあるまいし、自分の魔術を他人にペラペラ話す魔術師などいません。まして、いずれ斬り合う相手なら尚更」
お互い視線を外さない。
部屋に沈黙が流れようとも、片や心底楽しそうに、片や辟易しながらも律した眼差しで。
「ブルー様、ミューラー大佐、ご飯が出来ましたよ」
重くなりかけた空気を破ったのはエリザベートだ。
二人の気も知らず、運んできたトレイをテーブルに置く。
皿にはソーセージとスクランブルエッグにミニトマトが添えられている。
皇女ながら見事な仕上がりだ。
「有り合わせですがお口に合えば」
「では、食べながら今後についてお話しましょう」
「話?」
「決まっています。どうやってあれを斬ろうかのです」
物騒な物言いにノクトが眉の根を寄せた折。
隣の部屋からふわりと香る食事の匂いに鼻をひくつかせ、黒く透き通った目で幼女は虚ろに天井を見上げた。




