狼の飢餓
「先に見つけたか」
遅れてノクトが駆けつけ、傍観するエリザベートの横に立った。
「状況の説明を」
「件の襲撃者を相手にブルー様が善戦……いいえ、圧倒しています」
結論から言って、どれだけ姿を異形に変えようとも黒狼の戦闘力が大きく上昇するということはなかった。
ツルギの方が速く、彼女の剣の方が爪や牙よりよっぽど鋭い。
野性的な直感で致命傷こそ逃れているが、黒狼の身体には徐々に痛ましい傷が増えていった。
「巨大化に肉体の部分的な増殖……特徴は智天使の足跡と智天使の棘に酷似していますね。元々複数の魔術を持ち合わせていた……?」
剣を背負って冷静に考察するツルギだが、フッと我に返りおかしくなって吹き出した。
「あの狂乱令嬢が何を造ったかなどどうでもいいことでした。申し訳ありません狼さん。今ひと思いに斬って差し上げますから」
一歩、また一歩と近付くツルギを見て黒狼は本能で察した。
これはただ喰われるだけの餌ではない、と。
胃が求める。口が求める。食欲が求める限り脚は引かない。
喰らえという衝動のまま、異形と化した黒狼は右の前脚を大きく振った。
次の瞬間、見えない何かがツルギの頭上から降ってきた。
「ふん」
見えようが見えなかろうが、ツルギの死の気配を察知する未来予測の前では無意味。
斬られたそれはツルギの左右の地面を深く陥没させた。
「今のは……」
「重力……まさか、大天使の影か……!」
「闇を司る魔術ですか。智天使系のみならず大天使系まで使えるとは」
一瞬は興味が湧いたものの、斬れてしまう以上脅威ではない。
圧縮された重力の球を、一帯を押し潰す重力派を斬りながら、ゆっくりと黒狼との距離を詰めていく。
「もう少しおもしろければ楽しめたのに」
黒狼が振る腕を避け、超速を以て黒狼の背に跳び乗る。
ツルギが剣を振り被ったのを見て、ノクトとエリザベートは決着に肩を落とした。
「終わりのようだな」
「はい。ですが……一つ気になることがあるんです」
「気になること?」
「ヴィクトリアさんの私邸にあった檻……それに貧民街で発見した遺体……どちらも食い破られていたのは間違いありませんが……あれは、あの歯型はどう見ても……人間のものだったんです」
暴食の異形に魂の救済を……ツルギが剣を振り下ろした、そのとき。
「!」
黒狼の身体が急速に小さくなった。
元の狼のサイズより小さく。
やがて黒狼は、年端もいかない幼女へと姿を変えた。
「狼が、人間の子どもに……」
濡れたような貫庭玉の髪、透き通った眼、闇に在って輝くような白い肌、……しかし目以上に、地響きのような腹の音が耳を惹いた。
ノクトとエリザベートは揃って事態に対し目を丸くしたが、一糸まとわぬ彼女に向かってツルギは止めた剣を再び振ろうとした。
が、ノクトの風が腕を掴んでそれを阻む。
「何の真似でしょう、ノクトさん?」
「こっちのセリフだ。目の前の異常事態に囚われない狂人め」
「狼が子どもになっただけですよ? それがどうかしましたか?」
子どもを斬ってはいけない道理は無いでしょう?と言わんばかり、ツルギは再度腕に力を込める。
合わせてノクトも魔力を込めた。
静かな膠着の中、その渦中にいる幼女はふと口の端から黄色いものを吐いた。
胃液……ツルギの殺気、置かれている状況の理解、戸惑い……それらを十二分に排し、ただの空腹によって幼女は糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
「…………」
それでも構わずとツルギは剣を振ろうするが、
「いい加減に止まれ」
右腕の装置を起動されたことで気絶した。




