食欲
魔術師を襲う。
本人にその意図があったわけではない。
たまたま食べたのが他の人間より芳しく、他の人間よりも瑞々しそうで、美味そうであったと、それだけだ。
刻まれた本能がそうさせた。
突き詰めれば"それ"に魔術師という知識すらありはしないというのに。
また"それ"は本能的に自らが弱者であることを悟った。
強大な力に怯えるまま巣を飛び出し、暗い闇が跋扈する街へと逃げ、小さく身を潜めた。
空腹に耐えきれなくなるまでは。
この暗い街にもとてつもなく美味しそうな気配があったが、弱者であるが故に近付かず、手頃に食べられる人間だけを襲った。
そして、"食べてもいい"のだと覚えた。
ここには餌がたくさんある。
食べても尽きない空腹のまま、"それ"は街を彷徨い、やがて見つけた。
ボロ布に身を包んだ弱い人間。
普通の人間よりも美味である魔術師の気配だ。
美味しそう、美味しそう、美味しそう。
食欲に突き動かされるようにゆっくりと近付く。
惜しむらくは片腕と片足が千切れ可食部が減っていることだが、多少の差異は些末なことだと。
"それ"は大きく口を開けた。
「見ぃーつけたァァ!!」
同じくして、暗闇の中から飛び出したツルギもまた大きく口を歪ませた。
突風の勢いで地面を蹴り、"それ"目掛けて剣を突き出す。
剣はボロ布に包まれた人間ごと壁を陥没させたもの、"それ"は人間離れした動きで回避。
優に数メートルを一足に跳び、建物の屋上からツルギを見下ろした。
「グルル……グルルル……!!」
食事を邪魔された恨みに唸りながら。
「存外速いですね。見くびりました」
剣を引き抜き払うツルギの横で、エリザベートが倒れる。
そんな彼女の腹にツルギは蹴りを見舞った。
「いつまで休んでいるつもりですか。さっさと起きなさい」
「はい♡」
片手と片足、それに貫かれた部分が再生する。
囮として使われぞんざいに扱われて尚、彼女の愛は留まることを知らない。
「しかし、まさか"あれ"が……」
「不要な子の正体だとは、ですか。べつに驚くことでもありません。なにせ、あの頭のおかしい人が作ったものなのですから」
「作った……"あれ"を……。いえ、"あの子"を……?」
「グルルル……」
二人が見つめる先で、真っ黒の毛並みの狼が吠えた。
「ァオーーーーーーーーン!!」
『人生はトライアンドエラー。失敗と犠牲の上に、医療と科学は成り立つんだよ』
グレーテルが言ったその言葉を思い出し、黒狼を見上げながらツルギはバカバカしいとほくそ笑んだ。
「あの人もジョークを言えるくらいには人間味があるということでしょうか」
「ブルー様?」
「なんでもありません。手筈どおりにあれを処分します」
「了解しました」
黒狼は逃げない。
目の前の餌を前に腹と喉を鳴らした。
か弱い女性二人が如何に人間の目には異常者に映ろうと、自身の目にはご馳走にしか見えないのだから。
故に黒狼は無策に跳んだが、逆にツルギたちの思考を鈍らせた。
「正面から……」
空を駆けるわけでも、物語よろしくに炎を吐いたりもしない。
ただ大きく口を開けて喰らいつくのみ。
そんな無闇な突進が当たるはずもなく、受けてやる道理もないツルギは、身をよじって躱し黒狼の腹に蹴りを入れ吹き飛ばした。
「弱い……?」
拍子抜けしたエリザベートは、高まった緊張が身体から抜けていくのを感じた。
「少しは期待しましたが、蓋を開けてみればこんなものですか」
「どういうことですか? ブルー様……」
「これがコソコソと祝福落ちのみを襲った理由ということです。純粋に戦闘力が欠如しているからこそ魔術師を襲えなかった。本能なのか思考した結果なのかはわかりかねますが」
「ですが今は」
「私たちが侮られたか、そうでなければ抗えなかったのでしょう。自らの食欲に」
グルルル……唸り声にも似た腹の音が響く。
口からはヨダレを垂らし、赤い目は飢餓に血走っていた。
「この狼がヴィクトリアさんが造った……しかし、ブルー様。気掛かりなことが」
「待ちなさいリゼさん。どうやら、拍子抜けには早いようです」
ツルギが肌を刺すような殺気……そうでなければ食い気を浴び口角を上げる。
視線の先の黒狼は身を一度震わせた。
「グルルル、グルルル……!!」
黒狼は自分が強いとも弱いとも思わない。
自身を突き動かすのは食欲のみ。
しかしこの姿では満足に喰うことが出来ない……ならば、形を変えればいい。
より多くを喰えるように身体を大きく。
より一度に喰えるように口を増やす。
黒狼は自身を怪物と化すことで、食欲の化身を体現した。
全長約五メートル。
首に、脚に、身体に、尾に牙を剥いた口を開いた異形に、ツルギはただ高揚する。
「ああ……いい、いいですね。斬り応えがありそうじゃないですか。やれば出来る……なら最初からそうしてくれればいいのに。ああ……高まってきました。これだけ昂らせて期待外れなんて……どうか勘弁してくださいねェェェ!!」
異端たる自身が怪物を更なる怪物に変えたことなど知る由もなく。
久しぶりの更新となります!
更新は不定期ですが、どうか皆様に楽しんでいただけますようにm(_ _)m




