宿屋《パラディース》の女
花に蝶が集るように、そこには毎日多くの者が足を運ぶ。
国に見捨てられ日の光を浴びることを夢見る者たちの憩いの場。
薔薇の宿屋。
現実を非日常に変える夢の国である。
「いらっしゃいませ〜♡」
扉をくぐれば男も女も関係無い。
立場、境遇、過去も同じく。
性欲……ただそれのみが共通の言語であり意思である。
「キレイな女の子の軍人さんたちご来店〜♡」
「やった♡ 今日アタシ女の子の気分〜♡ ねえねえお姉さんアタシにしなよ〜♡ サービスするから〜♡」
「あーズルいズルい! 私の方が上手だよ〜♡」
「こっちの美人ちゃんも可愛い〜♡ タイプ〜♡」
見目麗しい女性たちに囲まれたじろいでいると、その中の一人がエリザベートの背で気を失っているツルギに気付いた。
「あれれ? 子鬼ちゃん?」
騒ぎになるか、とノクトは危惧した。
仮にも要注意人物であることを失念していたと。
しかし、その場の女性たちの反応は思っていたものとは違った。
「わあ久しぶり! 元気だった〜?」
「何言ってんのよ寝てるじゃない。相変わらず可愛いわね」
「女将〜! はやく来て〜! 子鬼ちゃんが来てくれたよ〜!」
嬉々と、和気あいあいと和やかな雰囲気。
そんな中、
「楽しまれているお客様がいらっしゃるのですから、あまり大きな声は出してはいけませんよ侍女たち」
その女性は凛とした空気を纏って現れた。
ただし衣服は一糸たりとて纏わず。
されど隠すことなく堂々と。
惜しむことも臆すこともせず。
完成された女性の肉体をさらけ出し、桃色金髪の長い髪を揺らした。
「うちの子たちが不躾に失礼いたしました。ようこそ薔薇の宿屋へ、帝国の一等星様。私は当店の女将を務めております。リーベとお呼びください」
「ノクト=S=ミューラーだ。私のことを知っているなら話が早い。幾つか訊きたいことがある」
「ええ、存じております。当店への用事でないのが残念です。あなたほどの方なら、お相手をしたい侍女たちがたくさんいたでしょうに」
「営業の邪魔をしたことを謝罪する」
胸に手を当て一礼するノクトに次いで、エリザベートも頭を下げた。
軍人が貧民街の住人に礼をするというのはそれだけで一大事。
もしもここが宿屋の外であったなら、軍を巻き込んだ騒ぎになっていたことだろう。
「営業とは少し言い回しが気になりますが……とにかく部屋を用意しましょう。可愛い子鬼が横になれるようベッド付きのところを」
リーベはツルギの頬を撫でると、聖母さながらに優しく微笑んだ。
「こんなところですから、碌なおもてなしも出来ず申し訳ありませんが」
と、二人の前には水が置かれた。
不純物が混じっていない澄んだものだ。
真っ白なシーツにツルギを寝かせ、エリザベートが振り向いた。
「ここの人たちは、ブルー様を見ても忌避しないのですね」
「宿屋は貧民街に在りながら、ほとんど独立した自治団体のようなもの。ここでは外の騒ぎなど、文字通りの蚊帳の外なのです」
リーベの物言いにエリザベートは小首を傾げた。
「さて、話というのはハンネ……亡くなった侍女のことですね」
「察しているわりには、あまり悲しそうではないように見える。特に親しかったわけではないと?」
「悲しみ悼む気持ちはあれど、そこまでです。私たちは仲間意識で繋がっているわけではありませんから。薄情と言われても仕方ありません。言うなれば同じ仕事に従事しているだけ。同じ目的のために動いているだけなのです。そもそもを突き詰めれば仕事でも営業でもないのですけれど」
「というと?」
「この薔薇の宿屋は、貧困の坩堝たる貧民街に於いて、一つの目的のために作られた施設であり非営利の組織。その目的とは何を隠そう性欲の解消です」
ノクトとエリザベートがキョトンとする。
「取り立てて娯楽の無いこの街で、身体一つで満足と快感、明日への活力と生きる希望を得られる。とてもシンプルで合理的だと思いませんか?」
「非営利と言いましたが、お客さんからお金を取っているわけではないと?」
「もちろんです。そもそもそんな余裕がある人などいませんから。侍女もお客様も等しくセックスのためにここに足を運ぶのです」
「需要と供給がちょうどよくバランスを取れているということですか。けれど、それならその辺で行為に及んだ方が手っ取り早そうにも思えます」
「それも趣深くはあります。しかし、やはり安全が第一。心の余裕があってこそ、セックスとは気高くも有意義で手軽に手に入る安寧足り得るのです」
そう言うとリーベは空の水差しを手に取り、一瞬で中を水で満たした。
「水の魔術……大天使の涙か」
「ええ。この建物全体が私の魔力で覆われていて、足を踏み入れた瞬間に身体の汚れが落ちる仕組みになっています。行為後の汗などの体液もまた即座に浄化されるため、ここでの衛生面は保証され、外的な病原菌の一切が死滅します。ついでに程よい保湿でお肌の体調も整えるというわけです。もちろん飲用も出来ますよ」
「なるほど。やけにお肌がプルプルするなと思っていたのはそういう。世の女性が羨ましがる魔術ですね。どうりでリーベさんはおキレイだと思いました」
「まあ、フフフ。ありがとうございます」
二人が和やかに話す中、ノクトはリーベの際立った異質さに身震いした。
(微細な身体の汚れ……病原菌レベルの悪性物質を全自動で浄化するほどの魔力の密度とコントロール。それに常時この範囲に結界を張るだけの持久力……魔術の扱いが天才的だ。何者だ、この女)
ノクトの視線に気付きリーベはクスッと柔和に笑んだ。
バツが悪そうに咳払いを挟み、ノクトは閑話休題と話を戻した。
「私たちがここに来たのは他でもない。情報が欲しい。何かわかっていることがあれば教えてくれ」
薔薇の宿屋はその特性故に、様々な情報が集まる場でもある。
意図せずしてその情報収集力はDUST'を上回る。
「見返りは如何程を求めてもよろしいのでしょう」
「私が賄える範囲ということになるだろう」
「軍の経費は見込めませんものね。では、ヴァレッダの新作の香水で手を打ちましょう。ハンネが好きだった甘いバルサムの香りのものをお願い出来ますか」
「わかった。口約束が心配なら書面を用意するが」
「フフフ、人と嘘を見抜けないような女ではありませんことよ」
リーベはグラスに指を翳すと、一滴ずつ水滴を落とし言葉を紡いだ。
「一人目はエグモントとユッタの娘のクラーラ、六歳の女の子。二人目は浮浪者のメーテ、女性。三人目が同じく浮浪者のエーリック、男性。そして四人目がハンネ、二十六歳。性別、年齢、被害に遭った場所も時間も統一性はありません。が、この四人にはある共通点があります」
「共通点?」
「皆が一様に魔術師であった、ということです」
「魔術師だと?」
「とはいうものの、皆が一様に祝福落ちではあるのですが」
祝福落ち?とエリザベートが首を傾げる。
「魔術の才を持つも魔術が発現せず、魔力だけを身体に宿した、魔術師として不全な者たちを昔はそう呼んだと聞く。今はほとんど使われていない蔑称だな」
「魔術が発現しないというのは、よくあることなのですか?」
「わりとざらにある話です。魔術師が千人に一人の割合で存在するとして、祝福落ちの可能性は内二割から三割といったところでしょうか。堕天使系の発現よりもずっと確率が高いと思いますよ。まあそんな話はさておき」
「魔術師だけが被害に遭っている……さすがに偶然というわけではなさそうだ。しかし何の目的で」
「目的なんて考えるだけ無駄ですよ」
「ブルー様!」
気怠そうに身体を起こすツルギに三人の目が向いた。
「向こうが何を考えているかなんて、私たちにはどうでもいいことです。でしょう、ノクトさん?」
「早い目覚めだな。もう少し出力を上げてやればよかった」
「これもノクトさんの愛と受け取ります」
ベッドから立ち上がり衣服を整える。
それからリーベに微笑みかけた。
「お久しぶりですお姉さん。息災のようで」
「ええ、久しぶりね私の可愛い子鬼」
白い指が頬に這うのも、柔らかな唇が逆の頬に触れるのも拒否しない。
ただ、それを見たエリザベートが発狂しリーベに殴りかかろうとしたのを見て、ツルギは静かにそれを制した。
「止まりなさい」
「っ!」
「お姉さんはこの街で私を気にかけてくれていた方です。狼藉は許しません。次に失礼があればあなたを殺します」
「は、はい……」
「駄犬が申し訳ありません」
「大丈夫よ。それよりそんな他人行儀な話し方の方が悲しいわ」
「矯正されたもので。今はこれが素です。さて、貴重な情報をありがとうございました。これで失礼します」
「もう行ってしまうの?」
残念そうにツルギを後ろから抱き締め髪に顔を埋める。
「私はこんなにあなたとの時間を待ち望んでいたのに」
「またいずれ。早くしないと誰かに獲物を横取りされてしまうかもしれませんから」
リーベの腕から離れ一礼し退室。
エリザベートもまた慌てて後を追った。
馴れ馴れしい態度のリーベにキッと厳しい視線をやって。
「相変わらず可愛い子。野良猫みたいに素っ気なくて気まぐれで」
「気にかけていたと言っていたな」
「慈悲深い気持ちがあるわけではありません。あの子は私にとって特別というだけです。ああ、心配しなくても横取りなんてしませんから安心してください」
「……は?」
「あら、違いましたか? あなたはあの子に惹かれているものだとばかり」
「大いに誤解だ」
不機嫌に眉根を寄せるノクトに、リーベは失礼しました、と頭を下げた。
「有益な情報の提供を感謝する。魔術師が狙われているということであれば、あなたも充分に警戒に努めてほしい」
「フフ、帝国の一等星様に身を案じてもらえるなんて光栄です。子鬼のこと、よろしくお願いいたします。あなたに星の導きがありますように」
「あれぇ? 女将、あの人たちもう帰っちゃったんですか? あの黒髪の軍人さんカッコよかったからヤりたかったのに」
「熱を持て余しているのなら後で私が相手をしましょう」
「女将と寝ると次の日まで動けないから嫌ですよ〜。大人しく一般のお客様とヤります。ああそうだ、それにしても可愛くなってましたね子鬼ちゃん。女の子らしくなったっていうか。年下は範囲外だけど、あれなら私もヤりた――――――――」
女性の言葉がリーベによって無理やり止められる。
時間が止まったかのような有無を言わせない口付けに、女性は恍惚に放蕩した。
「ダメよ」
されるがまま。
女性はベッドに身を落とした。
淫靡な音と匂いの中、リーベは女性と身体を重ねる。
あの子に女の悦びを教えるのは私と、燃え上がる行き場のない情欲をぶつけるように。
外はすっかり日暮れ時。
といっても陽の光もろくに届かない貧民街に時間の概念など有って無いようなものだが。
「私あの人嫌いです」
エリザベートはツルギの腕を取りながら頬を膨らませ憤った。
「ブルー様にベタベタと。いったい何様なんだか」
「それはあなたもです」
「きゃんっ!」
乱雑に蹴りを入れられ甘い悲鳴を上げる。
じゃれ合いには関せずタバコを吹かしながらノクトが問うた。
「どうするつもりだ。わかったのは狙われているのが魔術師ということだけ。ツルギ、貴様は貧民街にどれだけ魔術師が存在しているか把握しているか」
「ノクトさんは道端に落ちている石ころの数なんて気に留めたことありますか? まあそんなことはさておき、件の不要な子が魔術師を狙っているなら話が早いです。なんせここには三人も魔術師が揃っているんですから」
「囮を使うわけか。で? 誰がその役を担う?」
「決まっているじゃないですか。そのための奴隷です。ねえ、リゼさん」
「は――――――――♡」
返事を待たず。
リゼの片腕と片足が胴体から離れた。
「狩りの時間といきましょう」




