エピローグ
北王国墜ちる。
長らく保たれていた均衡が崩れたというその報せは瞬く間に国中を翔けた。
王政は解体、王家は一市民に成り下がり、国民は魔導帝国の民に、国土そのまま青海領の領地となることが決定。
後の歴史を紡いでいくこととなった。
当面の対応は、国内情勢、治安維持を主題とする第六部隊が担当。
「何をどうしたら、こんな凄惨な決着をつけられるんだ」
と、誰かが言った。
敗戦国とはいえ兵士は怯え憔悴しきっており、軍隊としての機能は崩壊していた。
国民の混乱も免れないが、特に我が子を失った元女王サーシャ=ロマノグリアの有り様は酷いものであった。
「グレゴリー、我が子……グレゴリー……グレゴリー」
誰の声も届かないまま、廃人と化した彼女は残りの生を一人で過ごした。
死去する最期の一瞬まで、背中に刻まれた傷が誰の目にも触れないよう、重く暗い喪服に身を包んで。
ときに、どれだけ凄惨であろうと結果が勝利であれば称えられるのが戦争である。
あの場で起きたやり取りが一部の見聞に留まればそれも必然だ。
「大義であった、ノクト=S=ミューラー大佐」
「光栄の至りと存じます」
皇帝アルバートは北王国が墜ちる未来を予見した賢しく勇敢な皇帝として臣下や民衆に称えられ、ノクトもまた第一部隊の隊長として勲章を授かることとなった。
同時、第一部隊の面々にも多大なる褒賞が授けられたわけだが、そんな中ツルギは、
「ツルギ=ヴォルフラム」
「はい」
「不壊の盾グレゴリー=ロマノグリアの首を獲ったそなたの働きを称え、我が名に於いて下士官、曹長位を授けるものとする」
「ありがたく拝命致します」
前代未聞の四階級特進。
それだけの功績を挙げたのだからと結論づけるのは簡単だが、しばらくの間は軍内部でのどよめきが大きく、人斬り令嬢がグレゴリー=ロマノグリアに勝ったのは何か汚い手段を使ったからだ、だとか、皇帝陛下は人斬り令嬢に弱みでも握られている、など当たらずとも遠からずな噂が蔓延した。
しかし勲章の授与もグレゴリーの撃破も確固たる事実。
皇帝が下賜したともなれば、誰もそれを表立って口に出来ない。
人斬りの異常者。
軍内部での彼女の印象は更に色濃さを増したもの、階級は絶対の地位の証明。
ツルギ相手に敬礼をする者が増えたのもまた事実だ。
「ツルギに階級抜かされた〜!! ヤダ〜!!」
「オブライエンさん、これからは敬語でお願いしますね」
「ヤダ〜!!」
とまあしかし、実力を重んじ尊重する第一部隊の面々の態度はほとんど変わらないが。
「ワッハッハ!! 今回は手柄を取られてしまったなヴォルフラムよ!!」
「……どうもです、アンカーさん」
顔は笑顔ながら鬱陶しさを全面に出しながら、ギャリングに対しては距離を取る。
「ミューラー大佐も鼻が高いでしょう。期待の新人ですなぁ。いやさ最早人斬り令嬢には似合わぬ言い草か」
「……ツルギ、来い」
皆が戦勝に浮かれる中、ノクトはツルギを別室に呼び出した。
「なんですか? 用事なら手短に済ませていただけると助かります。まだ疲れが抜けきっていなくて、はやく休みたい気分でして。あ、もしかしてご褒美のキスですか? なんだそういうことでしたら。はい、どうぞ」
目を瞑るツルギの顔面に向かって、ノクトは容赦なく拳を放った。
何のことは無く避けられたが。
「つけあがるな人殺し」
「どんな字を付けられようが知ったことではありませんが、それだけは御免です。品がありません。第一、べつに殺している自負はありません。剣が身体を過ぎれば命が消えるというだけのこと」
「やはり私は貴様が嫌いだ。虫唾が走る」
「そんな私と共犯であることを選んだのはご自身であることをお忘れなく」
ツルギは唇に指を当てた。
「いろいろと策を講じこそしましたが、それは努力の証です。結果的にちゃんと国益になっているんですから、文句はお門違いですよ」
「貴様の身勝手に皇女殿下さえ巻き込んでおいてか」
「あれは勝手に懐いただけです。まあ、思ったよりも使えそうなのはたしかのようですけど」
「ペットのつもりか」
「それならもう少し愛情を注ぎそうなものでしょう?」
クスクス笑う様の品の良いこと。
それがまたノクトの不興を買った。
「立場はどうあれ同じ部隊の仲間だ。ぞんざいな扱いは見過ごせない」
「はい。肝に銘じておきます。ふあぁ……そろそろいいですか? 眠たくなってしまって。続きはまた今度ということでふあぁ……」
「おい待て。まだ話は」
「ごきげんよう。良い夢を」
二人の関係も変わらず。
静まり返った部屋で、ノクトは舌打ちを一つした。
「ブルー様、昇格おめでとうございます」
シャワーを浴びて戻った自室では、エリザベートがケーキを用意して待っていた。
「それは?」
「僭越ながら手作りのものを用意させていただきました。お疲れのブルー様を少しでも労えたらと」
「邪魔です」
「きゃっ」
押し退けた拍子に落ちたケーキには目もくれず、エリザベートにタオルを投げ捨てベッドに身を倒す。
同じく功績を称えられ二等兵から一等兵へと昇格した彼女だが、当たり前のようにツルギからの労いの言葉は無い。
「ああ、ブルー様の湯上がりの香り……」
「まだ疲れが抜けきっていないんです。騒ぎたいなら他所でどうぞ」
タオル越しに思い切り吸気するエリザベートの顔は蕩けていたが、ツルギはそれさえ触れてやる元気も無く瞼を閉じた。
「よろしければマッサージでもいたしましょうか。いえ、けしてブルー様の御身に触れたいという邪な発想ではなくですね」
「うるさいです」
と言いつつうつ伏せになる。
言葉にしないマッサージの要求だ。
エリザベートは嬉しそうにツルギの傍に傅いた。
「ああ……ブルー様の柔肌……。肉体も余す所なくキレイで完成された芸術品のようです」
「ふあぁ……」
返事代わりのあくび。
「それほどまでに燃費が悪いのですか? ブルー様の魔術は」
「ええ。特に目に見えないもの、概念を斬ったときは酷いです。魔力の消費以上に体力やエネルギーの消耗が激しいですね」
「それほど北王国を、ロマノグリアさんを墜とすのが難しかったということでしょうか」
「人を斬るのにも下準備が要るというだけです。小細工を弄せず人を斬れるならそれに越したことはないでしょうけれど。案外ままならないんですよ。血で血を洗う戦乱の時代であっても、理由無く人を斬るというのは」
「私ならいつでも歓迎ですよ」
「あなたでは不完全燃焼が拭えないので」
「ああん、ブルー様ってば冷たい……けどそんなところも好きです」
無視。
冷淡なツルギに胸をときめかせながらマッサージを続け、腕へと手を伸ばした瞬間、エリザベートの手が払われた。
「右腕には触らないでください」
初めて向けられる怒りの眼差しに、エリザベートは更に沸騰した。
「その腕は」
「触れるなと言いましたが」
「も、申し訳ありません」
「あなたに私の魔術の概要を伝えたのは、あなた如きどうでもいい価値の無い存在だからです。ですがそこまでです。取るに足りない塵芥の分際で、私の領域に踏み込んでこないでください」
「し、失礼しました……」
「もう寝ます。床のケーキは片付けておいてください」
「かしこまりました。すぐに」
エリザベートが掃除用具を取りに行こうとするのを見て、ツルギは静止をかけた。
「待ちなさい。私は片付けろと言ったんです。あなたには付いているじゃありませんか。汚らしく悪臭を放つ汚物入れが」
「……は、はいぃ」
エリザベートは罵倒に身を震わせながら、床に這って犬のようにケーキにむしゃぶりついた。
息を荒く、盛り、今にも腰を振り出しそうに。
「リゼさん、あなたは私の何ですか?」
「私は……んっ、ブルー様の、何者でも何物でもありません……。ただ付き従えるだけの、奴隷……いいえ奴隷以下の存在……です」
ツルギは嘲ることも肯定することもない。
ケーキを啜る音を耳にしたまま、深く眠りについた。
「ああブルー様ぁ……ブルー様ぁ……」
冷たい態度に熱を帯びたエリザベートが、股下から透明な汁を滴らせるのを知りもせず。
また、知ったところで興味は無く。
また明くる日。
「おめでとうツルギ」
「ありがとうございますおじ様」
「僅か二月足らずで曹長とは。存外遅い出世だ。君ならもっと上手くやるかと思ったが」
シルベスター=ヴォルフラムの言い分に笑って返した。
「あまりやり過ぎておじ様に迷惑をかけるのも悪いですから」
「ハハハ、親思いの可愛い娘だ。今後も励みたまえ」
「はいっ。とはいえ少し予想外でした」
「私もだよ。国を落とせば一等星将入りは確実だと思っていたからね。それだけ君に地位を与えるのを危惧している連中がいるということだ。四階級特進も所詮は餌に過ぎないのだろう。難儀で困るよ、軍というのは」
「聞かなかったことにしておきますね。中将のお言葉ではありませんから」
「ハハハ。それはそうと、昇格のお祝いをしないとね。ケーキでも贈ろうか。それともテディベアがいいかな」
それなら、とツルギ。
「彼女に支援を」
「ふむ、いいだろう。いつもどおり第四部隊を動かそう。しかし欲が無いな君は」
「欲まみれですよ。……いつも面倒をありがとうございます。おじ様に主のご加護がありますように」
「なに、娘の頼みを聞けるのは親の特権だよ。ああそうだ、腕の調子はどうだい?」
「異常はありません。自分で出来るメンテナンスは心がけています」
「よろしい。しかし、いざというとき不調では困るからね。近いうちに整備に行くように」
「……はい」
ツルギは渋々と返事をした。
「私から話を通しておこう」
「わざわざおじ様の手を借りずとも自分で赴きます」
「それがそうもいかない。なんせ彼女は今、牢屋の中だからね」
「また投獄されたんですか、あの異常者」
半ば呆れ気味に。
軍が誇る科学者相手に毒を吐いた。
留置所。
「ねぇーそろそろ出してってばー。飽きたーやること無さすぎー退屈でマジで死んじゃうー」
暗い箱の中で木霊する声の主に、看守は口を出そうともしない。
「反省してるってばー。もう勝手に人体実験とかしないからー。ねーえー」
その人物は固いベッドの上で舌打ちをして起き上がり、牢の檻を蹴飛ばした。
「聞いてんのかよクソボケ低能!! てめぇらの金玉に手榴弾移植すんぞカスがよぉ!! 出せよコラぁ!! 出せぇぇぇぇぇ!!!」
ここにまた一人。
何かに熱中する者が。
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今後も引き続きお楽しみいただけますように。
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