悪意
準備を万全に整えた数日の後。
第一部隊は北王国国境に陣を敷いた。
銃火器で武装し、戦車を揃え。
状態は万全。
だった。
「化け物……」
鳴り止まない砲撃に混じって誰かが呟いた言葉だ。
およそ街の一つも消し飛ぶであろう砲火を受けて尚、その人物は平然とした。
鎧と大剣一本を身に纏う、およそ時代に取り残されたかのような一人の戦士。
グレゴリー=ロマノグリア。
北王国第一王子だ。
「撃て!! 砲撃の手を休めるな!!」
「笑止!! 神より賜りし我が魔術に、そのような玩具が通じるものか!!」
大天使の腕。
大地を司るこの魔術により、グレゴリーの背後には砦よりも高い壁が隆起。
約数キロまで聳えることで北王国への侵入を阻止している。
雄々しく険しい力の使い方を見せる反面、自身に向けられた銃弾と砲弾は岩の壁で防御するという繊細さ。
攻撃の面では人の頭より二回りほど大きな砲弾、岩の槍を射出し帝国軍を苦しめた。
「第一部隊が形無しだな」
「そう言ってやりますな。相手が悪い」
外套を靡かせるノクトと、上着を脱ぎ捨て分厚い筋肉を剥き出しにするギャリング。
「ノクト=S=ミューラー、ギャリング=アンカー。帝国屈指の魔術師が前線に出張るとは。よほど帝国は人員が不足していると見える。よもやたった二人でこの私を相手にするつもりか」
「ワッハッハ。痛いところをつかれましたな大佐。我々だけで充分とは過大な言い分であるが、この腕の借りがあるのでなぁ」
豪快に笑い、ギャリングは肩から先の機械の腕をゴギリと鳴らした。
「借りは返さねば軍人の名折れよ」
「貴様個人に恨みは無い。全ては我らが祖国のため。貰い受けるぞ、北王国」
「させはせぬ。北王国に住まう命、大地、海、全てが我が母、女王陛下の所有物。何一つとして貴様らには渡さぬ。奪うつもりならば……かかってくるがよい小童共!! 全身全霊を以て、私は貴様らを討ち滅ぼそう!!」
グレゴリーの鬼気迫る魔力に、ノクトもまた凄まじい魔力を返した。
「驕るな北の老兵。帝国の一等星の前に掠め」
「穿て、大天使の腕!!」
「吹き荒れろ、大天使の翼!!」
礫の雨を暴風の刃が薙ぎ払う。
「ワッハッハ!! さすがですなぁ大佐殿!! どれ、私も!! フゥン!!」
飛びかかってパンチを一つ。
グレゴリーの岩の壁が轟音と共に粉砕した。
「以前よりは良いな、アンカー!!」
「先の敗北は失態!! 雪がせてもらうぞ!! 滾れ熾天使の顎!!」
ギャリングの魔力が高まると同時、一回り巨大化した身体が黒い体毛に覆われた。
「出たな大熊!!」
獣の力を身に宿す熾天使系は、鍛えた肉体の強さをより濃く反映させる。
腹に岩の槍が直撃しても、槍の方が砕けるほどに。
「ほう!!」
「貴殿を倒すべくして鍛えた腹よ!!」
巨体を感じさせない軽やかで俊敏な動き。
グレゴリーの魔術を捌きながらも果敢に攻め立てる。
「凄まじいな……!!」
グレゴリーは称賛した。
目の前のギャリングはもちろん、それ以上に一歩引いたところから魔術を繰り出すノクトを。
二人が目まぐるしく立ち回る中、ノクトはピンポイントでグレゴリーに攻撃を仕掛けた。
魔術の発動速度、風の柔軟性、人並み外れた洞察力、戦術眼、何より剥き出しの敵意にグレゴリーは高揚感すら覚えた。
「だが、我が母への愛はこれしきのことでは圧されぬ!!」
大剣の一薙ぎを、ノクトは黒の剣一本で正面から受け止めた。
「ぬうっ!!」
一等星将には皇帝より賜りし栄誉が三つある。
勲章と権限。
そして魔力を含んだ特殊な鉱石から加工された武具――――――――宝具。
使用者の魔力とリンクし、魔力を込めることで秘められた権能を発揮することが出来る。
ノクトに与えられた宝具、銘をレーヴァテイン。
その権能は風化。
斬ったものに滅びを与える、風の真髄にして一撃必殺の剣である。
「?!」
剣を振り抜きノクトは目を丸くした。
大剣を折り、致命傷にはならずとも戦闘不能になるまでのダメージを与えたつもりだ。
しかし目の前のグレゴリーは血を流すどころか、そのまま土塊に姿を変えた。
「泥人形……!!」
非の打ち所がない分身に呆気取られたのも束の間。
「大佐殿!!」
ギャリングの大声より早く、グレゴリーの拳がノクトの顔面に突き刺さった。
「ぬるいわ小童が!!」
「大佐殿!! おのれ!!」
拳を撃ち合いギャリングの腕が嫌な軋みを上げる。
「貴様ら如き我が敵にあらず!!」
至近距離から放たれた特大の砲弾に吹き飛ばされ、ノクト共々雪の上を転がった。
「隊長!!」
「そんな、ミューラー大佐だけじゃなくアンカー中佐まで」
第一部隊の面々が揃って顔を青ざめ、半ば絶望めいて後ずさる中。
「フフッ、お強いこと」
ツルギは砦の駐在兵に拵えさせた山盛りのサンドイッチとローストポークを優雅に平らげていた。
「さて、そろそろですね」
『ブルー様、お待たせいたしました。準備のほどが整いました』
「ごくろうさまです。やれば出来るじゃないですか」
『あとでいっぱい褒めてくだ――――――――』
通信を切ると、ホットココアで食事を締め立ち上がった。
んっ、と背すじを伸ばし深呼吸を一つ。
「では、行ってきます」
「ツ、ツルギ」
「お嬢、お前また」
「待機を命令されていましたが、あれではさすがに私が出る以外ないでしょう」
「け、けど……」
「魔術師に一般人が勝てる道理があるとでも? まあ」
ツルギは自分を止めようとするオフィーリアたちに微笑んだ。
「皆さんがノクトさんたちを見殺しにしろと仰るのならここに留まりますが」
誰がそんなことを言うものか、ツルギはわかりきった答えにまた笑みを零した。
「いい子ですね皆さん」
一足の下に加速。
戦場を横断する。
誰にもバレないよう、邪悪に顔を歪むのを隠して。
「ぐっ……うう」
「ほう。まだ立ち上がるか」
視界が揺れる。
出血も多い。
ノクトは意識が途切れそうになるのを気力で踏ん張った。
「貴様らはたしかに強い。が、私はそれよりも強かった。それだけだ」
グレゴリーは自分の言葉を疑わない。
鍛錬に裏打ちされた強さは確固たるものだ。
しかし、それにつけても調子がいい実感があった。
普段より身体が軽く、魔力の巡りもいい。
体調の差異と結論づければそれまでにしても、彼はそれを違和感とも感じ取らない。
感じ取れるはずもない。
「死ね、帝国の星よ」
振り下ろされる大剣が鈍い音を立てて途中で止まる。
「……何者だ」
一本の剣越しにツルギは平然と返した。
「ごきげんよう、不壊の盾さん」
「ツルギ……貴様……!!」
「お加減いかがですか? ここは危ないですから下がっていてください」
「ふざけるな……待機を命じたはずだ!!」
「そんなことを言っている場合ですか?」
乱入者を見やりグレゴリーは眉間に皺を寄せた。
「銀髪に双色の眼……噂に名高き人斬り令嬢か……!!」
「お見知りおきを」
グレゴリーは一瞬で脅威を覚え大剣に力を込めた。
足場は陥没するも、ツルギはその細腕で悠々と受け止めてみせた。
「貴様には多くの同胞を斬られた恨みがある!! 戦士たちの墓標にその首供えてくれようぞ!!」
足元から岩の槍が突出するのに合わせ、身を翻して跳ぶ。
「ほら、こちらもこう言っていることですし。私が斬ってもいいですよね?」
「貴様はこの戦争の意味を理解していない! 下がれ! 奴の相手は私がやる!」
「勝てば正義。戦争の意味はそれだけが真実です。それに、この立ち合いは向こうが望んでいるのですから。誰にも止められはしませんよ」
「ごちゃごちゃとわけのわからぬことを!! 来い人斬り令嬢!!」
「逸る気持ちはお互い様。もう少しだけお時間をください。ここにいる誰もが納得する理由が、もうすぐやってきますから」
「なに?」
「そういえば、聞こえませんか? 不壊の盾さん」
ツルギは右手を耳に添えた。
「戦争が起きているのが目の前ばかりなんて、そんな甘い夢を見ていたつもりではないですよね」
「なにを――――――――」
グレゴリーはハッと壁の方を振り返った。
轟く戦火で掻き消えるようだが、たしかに壁の方から……北王国の方向から恐々とした声が聞こえる。
「馬鹿な……ありえぬ……侵入者、か? いつの間に……」
ヒュン
ツルギの剣が空を斬る。
「失礼、あまり人に聞かれたくないので。少しだけ音を斬らせていただきました。今この会話は私たちにしか聞こえていません」
「音を、斬る……?」
グレゴリーは訝しんだが、実際後ろのノクトには声が聞こえていない様子だ。
「岩や鉄といった物質、炎や水などの無機物に、音、視線、気配に至るまでの目に見えない概念の一切……万象を切断する刃。それが私の魔術です」
「智天使系……いや、堕天使系か……!!」
「はい。とまあ小難しいことを言いましたが、ようは斬ろうと思えば何でも斬れる魔術というだけです。ああ、一応私の名誉のために言っておきたいのですが、人を斬るときだけは使っていません」
人を斬った快感が薄れますから、とツルギはさも当然のように言ってみせた。
「ただ斬ることに特化したこの魔術ですが、燃費の悪さはともかく、案外使い勝手がいいんですよ。先に話したとおり、音を斬れば人混みの中でも秘密の会話が出来ますし、気配を斬れば誰にも気付かれずにどこへだって侵入が出来ます」
「侵入……貴様、まさか仲間を……!! どれだけの数を忍び込ませた!!」
「昨夜のうちにこっそりお邪魔させていただきました。まあ、あまりに貧相なお城だったので、一晩過ごすのは無理と私は帰ってきてしまいましたけど。安心してください。壁の向こうにはこちらの手駒は一人しかいませんよ」
グレゴリーは焦燥を浮かべ土壁を低くした。
「良い魔術ですよね、大天使の腕。私のと違って汎用性が高そうで。さすが最強の戦士ともなると、魔術の規模も桁が違います。……ところで、不思議に思いませんでしたか? なんで自分は今日、こんなにも調子が良いんだろう。なんでいつも以上に力が出せるんだろうって」
「な、に……?」
「フフッ。先ほどの続きです。私の魔術は何でも斬れます。身体の限界を斬れば身体能力が何倍にもなるように、魔術の限界を斬れば普段以上の魔術が使えるようになるんです」
「まさか、私の限界を……? そんなことが可能だとでも……いや、何のために……そのような」
隆起したそれが沈んだと同時、斬った音が元に戻る。
「不思議でしょう? けどおもしろいでしょう? どんな気分ですか? 他人の手でこれまでの鍛錬を足蹴にされるのって。……フフフ、アハハハハ!! ああゴメンなさい!! もう我慢が効かなくって!! 光栄に思ってくださいねぇ!! 全ては、あなたを斬るための準備なんですからぁ!! そして……これで、やっと万全です!!」
「ブルー様、お待たせいたしました」
傍らに後ろで手を縛った女性を連れ、エリザベートは褒められるのを待つ犬のように目を輝かせて敬礼した。
その背後には、剣戟と銃弾を浴びせて無傷のエリザベートを、化け物でも見るような目で怯える兵士たち。
「グ、グレ、ゴリー……!! ああグレゴリー!! 助け、助けてぇ!!」
「母上ぇ!!!」
サーシャ=ロマノグリア。
北王国の女王が泣き喚く姿に、またはツルギによって組み立てられた悪意に、グレゴリーは冷や汗を垂らし息を詰まらせた。
「ツルギ……貴様、いったい何の真似だ!!」
「何の真似? 変なノクトさん!! これは戦争ですよぉ?! 清濁併せ呑みましょうよぉ!! 勝てば正義、そうでしょお!! アハハハァ、アッハハハハハ!!」
自身が描いた未来図の上で。
悪魔は……もとい堕ちた天使は自身を惜しみなく喝采した。
夏が終わってもまだ残暑が厳しい毎日。
皆様もお身体には気を付けて、当方の百合をお楽しみください。
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次回――――――――堕天使の剣




