堕天使系《ネフィリム》
床に転がる首を見て、ツルギは二つの違和感を感じた。
アルバートとレーヴェがほぼ無反応であること。
自分の娘が、国の皇女が斬られ、自身を捕縛しようとも他の警護を呼ぼうともしない。
そして、ツルギにとってはこちらの方が問題であるかもしれない。
「斬ったのに気持ちよくない……これは……」
「フフッ、フフフ、アハハハハハハぁ!! 嬉しい!! ブルー様に、ブルー様に斬られちゃった!! エヘ、エヘエヘヘヘヘ!! 気持ちいいーーーー!!」
床に転がった首が奇声を上げて笑う。
そして時間が巻き戻ったように、エリザベートの首と胴体が繋がった。
傷はおろか血の一滴すら、惨状の痕跡は残っていない。
「魔術……」
「如何にも。堕天使の血という……エリザベートに与えられた魔術だ」
「堕天使系ですか。これはまた物珍しい」
「あはあ、ブルー様が私のことを知りたがって……!!」
「もう一度斬りますよ」
「構いません!! 何度でも!! ブルー様の愛、大海の器を以て受け入れましょう!!」
どこか歌劇的でさえあるエリザベートを鬱陶しく思い、ツルギは再び剣を突き立てようとした。
が、今度はレーヴェが止めた。
「一度目は陛下のご意向で止めませんでしたが、二度目はご容赦ください。女性が目の前で傷付くのは耐えられません。どうか、お嬢さん。エリザベート殿下も一度落ち着いて話をされては如何でしょう」
「まあ、私ったら。そうですね、シュナイダー大佐の言うとおりです。せっかくブルー様がいらしているのに。酷いですお父様。私に内緒でブルー様をお呼びするなんて。しかも私より先にお話して」
「すまないエリザベート」
ツルギは不完全燃焼で剣を収めることにまた不快感を覚えたが、レーヴェの顔を立てて呑み込んだ。
冷めた紅茶を温め直し、改めて話を再開した。
「私にしか頼めないというのは、この化け物が私にしか斬れないといった、そういう物騒な話ですか?」
「きゃっ、ブルー様に褒められちゃいました」
腕にしがみつくエリザベートから可能な限り身体を離そうとしながら。
「無論そのようなことではない。それに、そう邪険にしないでやってくれ。我の可愛い娘だ」
「失礼」
「ときにヴォルフラム殿」
「ファーストネームで結構ですよ。おじ様との区別も付けやすいでしょう」
「では、ツルギ殿。そなたも魔術師であることは報されているが、どれほど魔術への理解がある?」
「意地悪な質問をしますね。魔術を本当の意味で理解した人物など、この世に存在しないことくらい陛下もご理解の上でしょうに。千の蔵書、万の言葉、それらを以てしても魔術は計り知れません。未だ解明されないブラックボックスです」
「謎掛けではない。そなたの知識が聞きたい」
「私は魔術の専門家というわけではないのですけれど。そういうことでしたら」
魔術とは産まれながらにして与えられた人智を超越した力であり、魔力と呼ばれる特殊な力を用いて行使する者を魔術師と呼ぶ。
今代においてはその数が著しく減少しているもの、その力にはいくつか区分がある。
「炎、水、風、土の四大元素を含む各属性を司る魔術。これらを総じて大天使系と呼称します」
ノクトの大天使の翼、そしてレーヴェの炎を操る魔術、大天使の爪もここに含まれる。
発現する魔術の内、最もポピュラーな部類であると同時、その汎用性と世界への親和性の高さから、最も魔術の深淵に近しいものとされている。
「動物の力を身に宿す熾天使系、これら二つに該当しない超常的な能力を有する智天使系。以上三つの階位が、誰もが知る魔術の基本大系です。魔術は才能。持って産まれる以外、習得しようと思って出来るものではありません」
しかし、とツルギは言葉を区切った。
「極稀に。星が地上に降るような天文学的確率で後天的に魔術を覚える者がいます。きっかけはそれぞれ。条件は定まっていませんが、それは三つの系統の魔術よりも強力で、さながら呪いのように凶悪な、天使とは対極を成す悪魔の力。それが堕天使系」
「左様。エリザベートの魔術は……」
「お父様、その先は私が」
ツルギの口にチョコレートを運んで、エリザベートは言葉を遮った。
「先ほど見せました私の堕天使の血ですが、これは不死の魔術ではありません。超回復、超再生……そのどちらとも取れますが、本質は肉体の完全な維持となります」
「維持ですか?」
「肉体を万全の状態に復元する、とでもいうのが適切かもしれません。たとえ命の危機に瀕するような怪我や損傷でも瞬時に元に戻るというわけです。あとこれはおまけのような権能ですが、堕天使の血の発動中は苦痛は全て快楽に変わります」
「興味ありません。なるほど、斬ったときの違和感と不完全燃焼さはそのせいですか。欲しがる人は欲しがりそうな力です」
「そう勝手が良いわけではないのだ。そなたも知っているであろうが、堕天使系には他の魔術と違い制約がある」
「存じています。私もそうですから」
口直しのフルーツティーを一口。
ベリーの香りに気を落ち着かせ話を続ける。
「殿下が抱える制約とは?」
「それは……」
「それは!! 恋です!! ブルー様!!」
言い澱むアルバートを押しのけ、エリザベートはキラキラとした目でツルギに寄った。
「心から恋をしているとき!! 堕天使の血は全身を駆け巡るのです!! そうっ!! さながら運命の鐘の音のように!!」
「話が見えません」
無視。
「彼女が私に好意を寄せているとして、それで私にしか頼めない用事とは? まさか恋人になって相手をしてやれと? 寝言は斬られてからにしていただけますか?」
「そうだが、そうではない。どうか最後まで話を聞いてもらいたい。……堕天使の血が発動している間は、何があってもエリザベートが死ぬことはない。が、裏を返せば発動していない場合はその限りではないということになる。それが問題なのだ」
「命を狙われる危険性を憂慮しているなら、最初からそういえばいいものを」
アルバートは何も言わない。
第二皇女という立場、敵は多いだろうとツルギは推測した。
それが外のことであれ、内のことであれ。
「言いたくないことを無理に問い詰めはしませんが、核心は迫って然るべきです。何故、私なんでしょうか」
「……見てのとおり、エリザベートの恋愛癖は病だ。常人ではエリザベートの好意に耐えられず心を壊してしまう。しかしそなたなら」
「耐えられると? 躱しているだけで不快は不快ですよ。先ほども衝動のままに斬ってしまいましたし」
「ブルー様の愛、しかと受け止めました!!」
無視。
「護衛という意味も込めて、そなたの傍が一番安全だと判断したのだ」
「何度でも言いますが、私の目的は人を斬ることであって子守りではないのです陛下」
「頼みを聞き入れてもらえれば一月に十……いや五十人。こちらで用意しよう」
その言葉にはさすがのツルギも目を丸くした。
一国の皇帝が、たった一人のために他を犠牲にする。
そう明言したのだから。
「罪人でも貧民街の者でも構わぬ」
「その言葉の意味は、ご理解の上ですよね?」
「無論だ。私はそれだけ自分の子が可愛い」
「とんだ親バカで。フフ、アハハハ。感服しました。主はさぞ喜ばれていることでしょう。娘を愛する親の心を。なんて尊い。なんて、愚かしい」
テーブルの上に乗り、サンドイッチとチョコレートを足で踏み潰しながら、剣先をアルバートに突きつける。
「人斬り相手にその領分の話をするのは利口ではありません。言われなくても斬りたいときには斬りますよ。自制が利いているだけで。飢えた獣の前に肉を垂らしているつもりならお門違いです。……それだけで足りるわけないでしょう」
飢えていれば肉を垂らしている人間ごと喰らわんとばかりの一閃。
代々伝わる由緒ある王冠を斬り裂いた。
狂人めいたツルギに、アルバートは恐怖に冷や汗を垂らした。
エリザベートはうっとりと顔を紅潮させ、レーヴェはその殺気が本気でアルバートに向くまで後ろ手を組んで傍観した。
「子どもが可愛いというなら、娘を狙う下手人を斬らせればいいだけのこと。けれどあなたはそれを命じない。まるで相手に心当たりがあるよう。ああ、自分の子は可愛い……でしたね」
「それ以上は言ってくれるな、ツルギ殿」
と、アルバートは荒れたテーブルに頭をつけた。
「頼む」
「…………質問を。どれだけ狂っていても、娘は可愛いですか」
「この命を賭しても足りぬ」
「そうですか」
ツルギはテーブルから降りた。
「彼女の力を知っているのは?」
「我を含む皇族と、近しい臣下。それとシュナイダー大佐を始めとした第二部隊数名だ」
「そうですか……では、条件を四つ。まず一つ、彼女を軍属に。第一部隊に配属してください」
「殿下を?」
「その方がいざというとき守りやすいです。身分は偽り、顔は眼帯なりマスクなりで隠せば滅多なことでは露見しないでしょう」
「四六時中ブルー様と一緒に?! これは夢?! 夢ですか?!」
「上手く顔を斬ってグチャグチャにしてあげてもいいのですが」
「醜い顔でも愛してくれるのですね! そんなブルー様が好きですっ!」
無視。
「エリザベートに荒事は」
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすものです。多少の厳しさは親心ですよ」
「……二つ目は?」
「私はあくまでおじ様の、ヴォルフラム中将の預かりです。今後私への接触はおじ様を通すようお願いします。これで軍としての体裁は保たれるでしょうから。それと有事の際は後ろ盾になってください。これが三つ目です」
「有事の際、か。広義的だな。聞き入れよう。して、最後の条件とは」
ツルギは、それはそれは楽しそうにそれを口にした。
その後、アルバートが呟いた言葉がこうである。
「悪魔だな……」
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